38 〈殺竜〉

 亜竜の体がまばゆい金色の光に包まれる。そこから一条の光線が地上に放たれたと思うと、彼女を取り巻くようにして数万の鳥影が現れた。豪雨のような羽音が耳を聾し、彼らはヨルを追い越してオロトエウスに向かっていく。

 残存する魔力を出し切った『生命創造クリエイト』。鮮やかな羽根をもつ鸚鵡カカチュアの大群は、まるで空に現れた極彩色の大河のようだった。濁流がオロトエウスを呑み込む。

《虚仮威しでは日輪は墜とせんぞ!》

 怒声と同時に白光が群れを焼き、燃える血が寸刻みにする。鳥たちは炎に触れる端から燃え尽きながら、なおもとめどない波濤として押し寄せ、オロトエウスを押し込めた。

 徐々に地上に向かって押される〈燼灰〉をさらなる一打が襲い、ぐん、と高度が下がる。

 飛翔の勢いを乗せたヨルの突進だった。鸚鵡カカチュアの群れによってぎりぎりまで接近を隠したのだ。その足は竜の背を掴み、激しい羽ばたきによってさらに巨体を押し下げていく。オロトエウスの異常な体熱に、亜竜の足の裏からは煙が立ちのぼった。

《愚かな》

 オロトエウスが嗤う。瞬間、竜鱗りゆうりんが逆立ち、その下から超高温の鮮血が噴出する。流血それ自体を武器とする〈熱血〉に対して白戦を仕掛けるのは、たしかに愚策中の愚策だ。

「う、うう……ッ!」

 だがそれは、かざされた手によって防がれる。タニシャだった。

 噴き出た血は、途中で勢いを失って、地上にだらだらと落下していく。

 最初の遭遇通り、『巨人還り』の力はオロトエウスの息吹ブレスを防げない。彼は実際に体内で作り出した炎を吐き出しており、そこには魔術の関与が乏しいからだ。

 だが『熱血』は別だ。血流を自在に体表から噴き上げるという芸当は、魔術を使わねば不可能だ。

 ネイの予測は的中し、迎撃に失敗したオロトエウスは、さらに数十メートル、高度を下げることになった。『熱血』の無効化に気づいた竜が首をふり向け、息吹ブレスを吐いた時には、すでに亜竜は背中から離脱しており、彼は地表すれすれにあった。

 唸りを上げて翼を広げ、墜落を防ごうとする〈燼灰〉の頭を炎が炙る。

 息吹ブレスだ。上空でホバリングする亜竜の攻撃に、竜は同じく息吹ブレスで応戦しようと構えた。

《何……?》

 その時、ネイはオロトエウスが思わず漏らした声を聞いた。彼の驚きは、それがここ千年は経験することがなかった感覚だったからだろう。

 つまり、何者かに足を掴まれるなどということが。

 森に屹立した巨大な人型が、オロトエウスの下肢を鷲掴みにしていた。背丈は竜としては巨体であるオロトエウスの体高と比べてもおよそ四倍、全長で比べても二倍以上ある。

 今度こそ、〈燼灰〉は目を見張った。

《バカな。巨人が……》

 驚愕の声を後に残し、オロトエウスは地上に叩きつけられた。竜の体からほとばしった大量の出血が爆発を引き起こし、森の木々はへし折れ、吹き飛び、燃え上がった。ガハァッ、と吐き出された息はそのまま炎となって大気を焦がした。

 巨大な人型は手を緩めず、再度、竜の体を振り回す。

 しかしそこは『人竜大戦』を経験した歴戦の竜だ。オロトエウスは噴き出した血の勢いと翼の揚力を利用して巨体を旋回させると、人型の腕をひねり上げて脱出した。回転のまま尾を振る。体重と遠心力の加わった強烈な一撃は、人型の頭部に直撃した。岩と土が吹き飛ぶ。

 ずん、という地響きと共に竜は着地し、辺りに土煙が薄く広がる。

《土塊――》仕掛けに気づいたオロトエウスが頭上の亜竜を仰ぐ。《『生命創造クリエイト』か!》

 同時、頭部を失った人型が竜に体当たりを喰らわせた。

 ヨルが『生命創造クリエイト』で仮初めの命令を吹き込んだ土と岩の塊は、巨人の姿を取りつつも生命を持たず、ゆえに頭を吹き飛ばしても止まることがなかった。質量任せの突進にオロトエウスは四肢を踏ん張って抵抗するが、ずるずると押し込まれる。地面に爪が太い轍を引く。

《木偶人形如きが……ッ!》

 オロトエウスは完全に押さえ込まれる前に後肢で立ち上がると、人型と真っ向から組み合った。尾と翼と頸、それに牙を使って人型の身体を打擲し、殴りつけ、噛みちぎる。

 威厳をかなぐり捨てた野獣のような戦い方だが、巨体に見合った凄まじい膂力は確実に人型にダメージを与えた。無生物の人型は相手に合わせて戦い方を変えるような融通が利かず、大質量である以外は単なる岩と土の塊であるため、外見よりも衝撃に弱いのだ。

 加えて近づくだけで髪が焦げるような体熱と、噴出する〈熱血〉がある。

 こうして釘付けにできるのはもってあと数秒――

 そこにふたたび上空から息吹ブレスが奔る。

《ヨルネェェェェェル!》

 オロトエウスは母の名を吼えるが、まだ残っていた鸚鵡カカチュアたちが息吹ブレスの射線を邪魔する。鳥影と自身の息吹ブレスとで竜の視界を遮りつつ、亜竜は急降下を仕掛ける。

 機動力を奪った相手に対する二段構えは、かつてナザレがネイに仕掛けた基本戦闘機動だ。

 それを合図にネイは走った。先ほどのオロトエウスとの格闘戦にまぎれ、地上に降りてきたのだ。オロトエウスは頭上の亜竜に意識を取られてこちらには気づいていない。

 ネイは人型の背を駆けのぼると、竜に向かって肩を踏み切った。魔力を盾にして熱の壁を突き破る。弧を描いた跳躍――その頂点で、ネイは自分の致命的な失敗に気づいた。

 ニスバルド・アングール。

 オロトエウスの〈騎手ライダー〉たる男の、濁った目がネイを射た。彼の周囲にみなぎる魔力が、そこらじゅうに開いた傷口から竜の燃える血を浮き上げる。竜の体熱によって揺らめく景色の中、煮えたぎる血が集まって空中に球をつくる。

「私を木偶と侮った、貴様はその僭越により死ぬのだ。竜狩りの娘よ!」濁った目を暗い喜びに輝かせ、ホーミダルの〈灰王〉は哄笑した。「――『熱血』!」

 空中では躱しようがない一撃。

 加速された超高温の竜血が、ネイの胸に向かって放たれた。

「『土塁バンク』ッ」

 背後の人型から土山が出現し、ネイは斜め前方に吹き飛ばされた。一瞬前までネイの体があった場所を『熱血』が射貫く。着地の勢いもそのまま、ネイは得物を抜き払った。

 竜殺しの白い魔槍。

「何を――」

 ニスバルドの言葉が終わる前に、ネイは『巨人の小指コヴェナント』をオロトエウスの傷口に突き立てた。

 唱える。「『錬金シンセシス』」

 ネイの手のひらから魔槍を伝い、透明な液体が傷口へと流れ込む。

 さらに唱える。「『賦活ヴィタル』」

錬金シンセシス』によって合成した劇薬が、『賦活ヴィタル』によって加速させられた血流に乗り、オロトエウスの全身へと送り込まれる。

 ここに至ってようやく、オロトエウスは自分の背に取り付いた者に気づいて振り返った。その目前に立つネイの手には竜遺物レムナント――庵から持ち出してきた「戦利品」がある。

 ネイの体から、金の光が放たれる。

「『生命加速キャンセレイト』」

 やわらかな黄金の光がオロトエウスを包むと、まず、流血が止まった。傷口には時を早回しするように薄皮が張ってきて、見る間に厚くなり、剥がれた鱗までが生えそろっていく。

 それは生命活動を促進させる、〈大地母竜〉ヨルネルの第二の権能。

《母上……》

 声を漏らすオロトエウスに、ネイの中からヨルが言う。

《母の顔すら忘れるとは。ぬしは本当に親不孝者じゃ……》

 ヨルはそう言って、我がの背から飛び降りた。

 ナザレの駆るトロットリードがそれを攫うと、オロトエウスを地上に残して上昇する。

 迷子の子供のように母の姿を追うオロトエウスの喉を、湧き上がってきた火炎が押し破った。全身のありとあらゆる穴から炎を噴き出しながら、オロトエウスは苦悶の咆哮を上げた。天を引き裂き、地を砕き割るような、それは末期の絶叫だった。

 その様を見下ろして、ネイは言う。

「オロトエウスの体は巨大な炉だ。炉の中には太陽と同じように炎が燃えていて、だから無尽蔵に見える。多分、戦いの中での興奮――怒りと魔力が、アイツの炉のふいごになるんだ」

 リウグノッグの亜竜と戦った時、緒戦から全力を出さなかったのは、単なる侮りではなく、まだ炉が熱しきっていなかったからなのだ。

「だけど、そのオロトエウス自身ですら、炉が作り出す膨大な熱には耐え切れない。何らかの形で外に熱を逃がす必要があって、だから息吹ブレスが必要になる。そして、それですら間に合わないほど炉が過熱した時、『熱血』を使う。魔力によって生み出した血液に乗せて体外に熱を排出する。攻撃手段と同時に、体を冷却するための方法でもあるってことだ」

 そこまでたどり着いたネイの結論こそ、今オロトエウスに起きていることだ。『巨人の小指コヴェナント』による『熱血』の無効化を介した熱放出の停止。血液循環を加速させる薬物と代謝の活性化。最後に、駄目押しとなる『生命加速キャンセレイト』による傷の治療とあらゆる生体活動の加速。

 語るべき言葉をなくしたネイが黙り込んでからも、竜の凄まじい断末魔は続いた。

 炉は加速した血流によってどこまでも過熱され続け、行き場のない膨大な熱量は身の内で嵐となって吹き荒れる。竜は内側から、自らの炎で焼かれているのだった。

 一度点けば、流血によってしか止めることができない憤怒の炎。帝都の三割を焼いた大火の顛末も、あるいは辺境戦争においてこの地が焼かれたことも、すべてはオロトエウスのその性質ゆえだったのだろうか。そんな、今となっては意味のない物思いにネイは耽った。

 沈黙。凄惨な結末に、しばらくの間、誰も言葉を発することができなかった。燃える森からの上昇気流が頬をなぶった。ここはふたたび十年の不毛の地に変わるのだろう。

「……ネイさん」

 タニシャの声に顔を上げたネイの前方で、「信じられん」とナザレが呻く。

 彼女たちが見つめる先には、いまだ全身から炎を噴き出しながらも、身をもたげ、翼を広げるオロトエウスの姿があった。その喉元からは夥しい量の血が噴き出し、竜が自ら喉を裂いたのだとわかった。出血によって体熱を逃がしたのだ。

「だが、もう無理じゃ。なぜ、あれほどまで……」

 ヨルでさえ声を震わせる凄惨な姿で、しかしなおもオロトエウスは飛んだ。背には黒焦げの〈騎手ライダー〉を乗せ、喉奥から血を吐き出して、魂すべてを燃やし尽くしながら――

 ホーミダルの帝王は、堂々たるその巨躯を蒼穹へと浮かばせた。

 愕然とする全員の前で、竜は口をひらく。

《我を……》ごぼりと血があふれ、陽炎が立つ。《我を……打ち破った……蛆虫よ……》

 白く煮え立つ双眸がネイを見た。自らの背にまたがる〈騎手ライダー〉ですら顧みようとしなかった竜は、死を前にして初めて、自分の前に誰かがいることを知ったようだった。

《お前の名を……我が魂に、刻むことを……許す……》

〈燼灰〉オロトエウスは、どこまでも傲慢にそうのたまった。

 だからネイは答える。

「ネイ。名無し《ネイムレス》」

 それからもう一度、自分の名前を告げる。

「私は〈殺竜〉ダミデウスの娘だ。これが、私の選択だ」

《娘……ああ、わたしは……》

 竜の眸は静かに暗く、冷えていった。

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