10 かたどられた祈り

 夕食を終えた後でタニシャの部屋に案内された。年長のタニシャは他の子どもたちと違って自分の部屋を貰っており、今晩はそこに泊まらせてもらうことになったのだ。

「散らかっていますが……」

 抱えてきた荷物を床に下ろしながら、タニシャが言った。

「どこがじゃ?」

 ヨルの言うとおり、タニシャの部屋は几帳面に整頓されていた。壁一面の棚には食品、大工道具や日用品が種類ごとに並べられ、天井からは乾燥中の肉や香草が下がっている。

 元々は倉庫だったというか、現在でも倉庫を兼ねているらしい。そうした機能の中にタニシャ個人の寝台や小さな机が入り込んでいるので、寝室としての体裁で言えば、他の子どもたちの部屋のほうがよほどそれらしく見えた。

 ヨルが机に近づいた。やや足元が怪しいのは酒のせいだろう。

 あっ、と声を上げるタニシャ。ネイが見ると、彼女の机の上には開かれた本と小さいナイフ、それに作成途中らしき木彫りの像が置かれていた。像の周りには削りくずも散らばっている。

「だから散らかっているって……!」

 駆け寄って隠そうとするタニシャに先んじて、ヨルは素早く木彫りの像を取り上げた。それは〈大地母竜〉ヨルネルの像だった。翼を広げて尾を伸ばし、いま地を踏み切る瞬間といったふうで、祭壇に飾られていた像たちとはいくぶんか趣が異なった。

「や、やめてください」

 赤面して像を奪おうとするタニシャだが、ヨルは酔っ払いとは思えない動きでそれを躱す。

「ちょ、ちょっと――」

「うむ。荒削りじゃが、躍動感がある。今にも手の中から飛び立ちそうじゃな」

 ひらひら逃げながら、真面目な顔で自分の像を評する。

「私も同じ意見」

「ネイさんまでそんなこと!」

 タニシャに叱られてしまったので、捕まえて像を取り返した。ヨルは抗議の声を上げたが、口元はだらしなく緩んでいた。それは多分、酒のせいだけではなかった。

「たしかに、いい出来だからな。タニシャの気持ちが伝わってくるよ」

「もう! 返してください」

 ネイの手から像をひったくるタニシャ。彼女なりに怒っているらしいのだが、根が温厚すぎるためか、あまり迫力がなかった。ネイはヨルと顔を見合わせた。

「お」「あっ」

 二人の視線が急に自分に集まったのでいぶかしむ。

「何?」

「初めてネイさんが笑うのを見ました」

「ワシもじゃ」

 言われて初めて、ネイは自分が笑顔を浮かべていることに気づいた。いつぶりだろうと思い返すが、記憶にはない。師が亡くなるずいぶん前からそうしていなかったような気がしたが、今日は酒のせいか、美味い料理のせいか、自制心が緩んだのだろうか。

 あるいは、と二人の顔を見る。

「あーあ、戻っちゃった。すごく素敵なのに勿体ないです」

「そうじゃな。ではもう一回それを……」

「ダメです!」

 タニシャは木像を素早く後ろ手に隠した。

「それで」ネイは話題を切り替えて、壁の棚を示す。「本当にここから持っていって良いの?」

「はい。司祭さまからも許可をいただきましたし」

 ザイルからは旅の物資を譲ってもらう約束を取り付けていた。庵から持ち出せなかったものや法院製ではない地図など、細々したものは沢山あったが、一番はやはり食糧だ。

 この辺りの山地とは違い、ホーミダルに近づくにつれ森は薄くなる。それは獲物が手に入りづらくなることを意味するし、不案内な土地では、食べられるものとそうでないものの違いすら区別できなくなっていくだろう。

 ザイルがタニシャの部屋に泊まるように勧めたのは、倉庫を兼ねたこの部屋なら必要なものが揃えられるという配慮もあったに違いない。かくいう司祭自身は竜屋ねぐらとは別棟で寝起きしているらしく、食事を終えた後は去っていった。

 タニシャたちが金銭での礼をどうしても固辞するので、心苦しく思いつつも、めぼしい食糧を棚から取り出していった。必要な分を下ろし終え、次に着替え用の棚に手を伸ばしたところで、タニシャが割り込んできた。

 曰く、調味料が何もないのはおかしい。

 曰く、鍋は絶対に必要だ。

 曰く、だとするなら器や匙だって必要だ。

 曰く、私が作った干し肉やチーズや塩蔵の川魚や乾燥させたハーブだってありますからこれを持っていってください遠慮は要りませんから、さあ早く。

 ネイが見つめる間に、タニシャは棚から次々と追加の品を出してくる。なにか荷物を抱えているとは思っていたが、鍋や匙は食堂から持ってきたもののようだ。

「これじゃ行商人だ」

 ネイは、パンパンに膨らみ、それでも収まり切らずに毛布やら布袋に入った食糧やらを左右上下にぶら下げたり縛り付けられたりしている背嚢を眺めた。タニシャはそれでもまだ飽き足らず、自前の背嚢を持ってきてそこにも荷物を詰めようとしている。

「普通の旅人はこんなもんなんです! ネイさんが軽装すぎるんですよ。近所の山に散歩に出かけるんじゃないんだから。それにヨルさんなんか、さっき確認したら、服から出てきたのは動物の骨と葉っぱときれいな石ですよ。ロナンだってもっとまともですよ!」

「ポケットというのは便利じゃな。色々と大事なものを拾っておける」

 けらけらと笑うヨルにタニシャはため息をつきつつ、続ける。

「だからちゃんとしてください。ちゃんと必要な荷物を持っていってください。ヨルさんも自分の荷物を背負ってください。ちゃんと、美味しいものを食べてください。タニシャはお二人がまた旅先であんなものを食べていたりすると思うだけで、胸が痛みます……」

 言いながらタニシャは俯いていく。

「そうだね。タニシャの料理は美味しかった。私も、出来れば毎日ああいうものを食べたいと思った。自分でも驚いてるよ」

「ワシもじゃよ」

 またタニシャの鼻の頭が赤らんだ。

「そうですよね。そうです。美味しい食事は元気の源ですから……だから、タニシャは、お二人に元気でいて欲しいんです。元気に旅を続けて欲しいです……だから……」

 そう言ったきり、タニシャは黙りこくってしまった。

 ネイは困惑して隣を見た。ヨルが首を振る。

「とりあえず落ち着くんじゃ。ほれ」

 ヨルはタニシャを寝台まで連れて行くと腰掛けさせた。その隣に座る。

「今日はタニシャのお陰で楽しかったぞ。子どもらとも会えたしのう」

「楽しかったですか?」

「んむ。もちろんそうじゃ。ネイもそうじゃろ?」

「そうだね。楽しかった」

 よかった、とタニシャはつぶやいた。それから顔を上げて二人を見る。

「明日、出発するんですよね?」

「そうなるのう」

「うん」

 ネイはタニシャと目を合わせられなかった。

「もしお二人が良ければ、出発する前に少しだけお時間を貰ってもいいですか。見せたいものがあるんです。わたしの、大好きな場所があって……」

 ネイとヨルは顔を見合わせて頷いた。

「行くよ」

「もちろんじゃ」

 断るわけがなかった。タニシャの目には涙が浮かんでいたのだ。

 それから誰が寝台を使うかで少々揉めて、結局、三人並んで床で寝ることになった。

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