第7話  忘れられない感触

 正樹は手の感触をたしかめながら、導かれるように歩道を歩いていた。

 やがて正樹は鬱蒼とした森の中へ足を踏み入れた。都会の真ん中とは思えない薄暗い雑木林の中に続く小径を歩くと、目の前にたくさんの墓が所狭しと立ち並ぶ大きな墓地が現れた。


「ここなの?おばあちゃんのお墓って」

『そうだよ。この奥の方にあるんだ』


 正樹の手は再び強い力で引っ張られ、たくさんの花が供えられた墓にたどりついた。


「ここがそうなんだね」

『そうだよ。ちょっと待っててくれる?』


 正樹の手から温もりが消え、墓の辺りから何やらゴソゴソと音が聞こえてきた。


『おばあちゃん、今年も来たよ』


 千夏は小声でつぶやくと、その後物音も立てず、しばらく静寂が続いた。


「あれ?どうしたの、千夏さん」

『ちょっと、これ……』


 千夏の声を聞き、正樹がその方向を確かめると、おばあちゃんのお墓のすぐ隣に、出来たばかりと思われる薄紅色の新しい墓石を見つけた。墓石を見ると、側面に『川端千夏 平成四年七月三日没 』と書かれていた。


「こ、ここってまさか……」

『そう、私のお墓みたいだね』

「千夏さん、まだお墓が無かったんだ?」

『うん。私の遺骨は今も自分の家にあるんだ。老衰だったおばあちゃんと違って私は若くして急死したから、お墓の用意なんかしてなかったんだろうね。でも、やっぱりお墓に入れられるみたい。うちの両親、こんなにきれいな私のお墓を用意していたんだね』


 そう言うと、千夏は軽くため息をついていた。


『これで私、本当にこの世に戻れなくなるのかな』

「まさか?そんなわけないよ。墓に埋められるのは遺骨だろ?千夏さんの魂は今もちゃんと生き続けてるじゃないか?」

『どうかしらね』


 そう言い残すと、正樹の手に再びほのかな温もりを感じた。


『さ、行きましょ。駅まで送っていくよ』


 正樹は温もりに導かれるままに墓地の中を歩き出した。蝉がけたたましく鳴く中、鬱蒼した森の中を抜けると、人や車がひっきりなしに行き交う大通りへと出た。

 駅に向かって次第に歩く人が増える中、正樹は千夏と色々なことを話した。

 お互いの家族のこと、生まれ育った町のこと、好きなタレントやミュージシャンのこと。駅までの距離はそれほどでもないのに、二人の間にはとてつもなく長い時間が流れていたように感じた。


『あ、あそこのマクドナルド、私がバイトしてところだよ。小さいお店だけど結構お客さんが来るんだよね。神宮球場や国立競技場で試合がある時なんかは、休んでる暇もない程来るんだよ』

「今なら空いてそうじゃない?入ってみようか?」

『うん。バイトの仲間、私のこと気づくかなあ?気づかなかったら寂しいかも』

「俺がいるから寂しくないよ」

『そうだよね、じゃ、ちょっと行ってみるかな』


 正樹は店内に入ると、千夏と同じ位の歳の子達がカウンターに立っていた。


「いらっしゃいませ。ご注文をお伺いします」


 ショートカットの活発そうな雰囲気の店員が正樹の前にやってきて、注文を聞き出そうとしていた。


『まりえちゃんだ!おーい、まりえちゃん。千夏だよ。忙しい時は一緒にポテト作ったよね。仕事の後で一緒にゲーセンやカラオケにも行ったよね?覚えてるかな?あ、そうそう。まりえちゃんのスマイルには、この店じゃ誰も叶わないよ』


 千夏はまりえという店員に呼び掛けたが、何の返事も無かった。やはり千夏の存在には気が付いていないようだ。


「えっと、てりやきマックバーガーと、マックシェイク……それと、まりえさんのスマイル」

「え?どうして私の名前を?」

「聞いたんです。ここでバイトしていた川端千夏さんから」

「千夏ちゃん?こないだ地下鉄の事故で亡くなった?」

「そうです。まりえさんのスマイルはこの店で一番だって言ってましたけど」

「え?そ、そうですか。アハハハハ、何だか照れますね」


 まりえは口元に手を当てて笑いだした。笑う時に目を細め、健康的な白い歯を見せ、大きなえくぼが出来る特徴的な笑顔は、見る側をも明るい気持ちにさせる不思議な魅力があった。


「あ、さすがですね。最高のスマイル、ありがとうございます!」


 正樹がそう言いながら拍手するとまりえは我に返ったのか、顔を赤らめながら頭を下げた。

 千夏は『ね、言ったとおりでしょ?』と言って正樹の腰の辺りを触った。

 二人は笑いながら店の階段を昇り、二階のテラス席に座った。


「あ~腹減った。てりやきマックバーガー、いっただきます!」


 正樹はハンバーガーをかぶりつくと、隣の席でトレイの上のマックシェイクがそっと傾きだした。


『ねえ、マックシェイク、飲んでいい?』

「ああ、いいよ」

『これ、すっごく好きなんだ。マックでバイト始めたきっかけは、マックシェイクが好きだったから』


 正樹はハンバーガーを食べながら、透明なプラスチックのコップに入ったシェイクがあっという間に減っていくのを見届けていた。


「すごい。よっぽど好きなんだな……」


 コップが空になったちょうど時、正樹の食べていたハンバーガーが突然誰かにかぶりつかれた。


『うん、てりやきマックバーガーも美味しいね。久しぶりに食べたけど、このソースがたまらないよね』

「おい!勝手に食うなよ。俺が食べてる横から……」

『ハハハ、そんな悲しい顔しないでよ。あ、そうそう、この近くにゲームセンターがあるんだ。昔よくバイト仲間と一緒に行ってたんだけど、一緒に行かない?』

「あ、ああ。いいけど……俺、自分で言うのもなんだけど、結構上手いぞ。『ストリートファイターⅡ』では今の所対戦負けなしだからな」

『ふーん。私、自他ともに認める「最強のダルシム使い」だから。覚悟してね』


 正樹が食べ終わると、手に再び温もりが宿り、そのまま導かれるかのようにマクドナルドのすぐ近くにあるゲームセンターに入っていった。こじんまりとした店だが、所狭しとゲーム機が並べられ、高校生か大学生位の男女が騒々しいBGMに負けず劣らずの歓声を上げながら遊んでいた。


『あ、あった!ストリートファイターⅡだ!さ、早速勝負だよ。覚悟してよね』

「負けてたまるか!俺の操るリュウは素早くつけ入る隙が無いぞ」


 ゲームが始まると、正樹は迷わずリュウを選び、対面にいるであろう千夏もダルシムを選んでいた。


「行くぞ!」

「こちらこそ、望むところよ」


 正樹の操るリュウは不気味な動きを見せる千夏のダルシムに近づきつつ、隙を見計らっては「昇竜拳」をぶつけて行った。しかしダルシムは瞬間移動であっさりと交わし、真後ろに回ってスライディングキックをぶつけてきた。


「あ、あっぶねえ!くそっ!接近戦に持ち込んでもう一回昇竜拳だ!」


 しかし千夏のダルシムは接近しようとするとするりと交わし、今度は真上に高く跳び上がった。


「ま、まずいっ!」

『ジャンプズームハイキック!』

「うわあああ!」


 リュウは地面に倒され、その上からダルシムは容赦なくパンチを食らわせてきた。


「負けた……嘘だろ?」

『だから言ったじゃん。私は最強のダルシム使いだって』


 千夏は得意げに正樹に語り掛けた。すると、たまたまその様子をすぐそばで見ていた高校生が、興奮気味に正樹に語り掛けてきた。


「すみません。今、お兄さんの相手してたダルシム、超上手くないですか?究極のザンギエフ使いと言われる俺でも勝てるかなあ?」

「ま、まあね。多分難しいかもよ」

「へえ、それは面白そうだな。対戦じゃなく、コンピュータ相手ですよね?代わってもらっていいですか?」

「ああ、いいけど……」


 興味津々に近づいてきた高校生を見て、正樹は冷や汗をかきながら速足で別な台へと移っていった。


「あれ?ダルシム全然弱いじゃん。こんなのに苦戦してたのかなあ?さっきのは一体何だったんだ?」


 高校生が叫ぶ声を遠くで聞きながら、千夏は『私、相手してあげればよかったかな?』と正樹に尋ねたが、正樹は小声で「余計なことすると騒ぎが大きくなるから、やめた方がいいよ」とたしなめた。


「千夏さんのダルシム、強すぎる……俺、今まで積み重ねた自信をなくしそうだわ」

『アハハハ、もっと練習しないとね。ま、次もきっと私が勝つけどね』


 千夏は自信満々の声でそう言った。


 やがて二人は地下鉄の入口に入った。次第に地上の明かりが届かなくなり、電灯が灯る通路を下りはじめると、正樹の手に温もりを感じていた部分に、次第に人間の手の形を現した。

 そして、いつの間にか正樹の真横に、花柄のミニワンピースを着た髪の長い少女が立っていた。


「千夏さん……」

「あはは、ここに来てようやく私の姿が見えてきたね」


 千夏は、正樹の手をしっかりと握り締めていた。そして正樹のすぐ隣に立ち、満面の笑顔を見せてくれた。


「こうして姿が見えると、何だか照れくさいな。俺、今までずっと千夏さんと手を繋いでいたんだな……」

「ええ?気づかなかったの!?もったいないなあ」

「アハハ、鈍いよね、俺。手を繋いでるって分かったら、もっと強く握りしめたかもしれないのに」


 千夏は繋いだ手をそっと正樹の目の前に差し出した。


「ホントもったいないよね。こんなかわいい女子高生とずーっと手を繋いでたのに、正樹さんは何もしてこないんだもん」

「え?」


 千夏はニコッと笑うと、正樹は突然胸が高鳴りだした。千夏の顔がすぐ目の前にある。千夏は抵抗もせず、笑顔のまま目を閉じた。


「いいのか?」

「いいよ。というか、さっきもやったじゃん?」

「姿が見えると、やっぱりドキドキするよ……」


 千夏と正樹の顔は次第に距離が縮まり、やがて唇が重なり合った。

 改札の近く、多くの乗客が目の前を行き交う中、二人は長い時間唇を重ね続けた。


「じゃあね。また会えたらいいね」

「そうだね。というか会いたい。また会いたいよ」

「私もだよ」


 そう言うと千夏は、正樹の頬に口づけた。

 頬を押さえて顔を赤らめた正樹を、千夏は横長の目を細めながらずっと見つめていた。


「ねえ正樹さん。私、今日は全然寂しくなかったよ。正樹さんがずっと私の傍にいてくれたから。こんなに嬉しかったこと、初めてだよ。本当にありがとう」


 そう言うと千夏は大きく手を降りながら、地上へ続く出口の方向へと歩き去っていった。

 正樹は片手で手を振り、もう片方の手で千夏に口づけされた頬の感触を確かめていた。それは、ついさっき頬に感じていた感触と同じだった。


「やっぱり千夏さん、俺のことを……」


 気が付くと千夏ははるか遠くに歩き去り、地上から差し込む明かりに吸い込まれながら、次第にその姿が見えなくなってしまった。

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