第5話 君の本当の姿

 旧盆を迎えた東京は、いつもよりも人も少なく、正樹のアルバイト先であるスーパーも、心なしかゆったりとした時間が流れていた。

 いつもはどこか殺気立っている客も、今日はどこか心に余裕があるかのように感じた。正樹はレジを担当していたが、レジに並ぶ人もまばらで、退屈する時間もあり、正樹は珍しくあくびが出てしまった。


「ファ~……毎日こんな風だと嬉しいんですけどね……」

「何言ってんのよ。こんな時こそ仕事をきちんと覚えないと。そのうちすぐまた忙しくなるんだから」


 真奈美は、隣のレジ台から覗き込むような姿勢で正樹をたしなめた。


「うちの店長、添田さんがこれから反省することなくヘマし続けるならば、今後の雇用については考えるかもしれないって言ってたよ」

「え?マジですか?」

「そうだよ。こないだ添田さんが帰った後、私たちの前でそう言ってたよ」


 のんびり構えていた正樹は、突然身が引き締まり、真剣な表情になった。

 店長を始め、先輩方の正樹に対する評判はあまり良いものではないようだ。

 徐々に仕事にも慣れてきたので、何とか評価を取り返していきたいが、一度落ちた評価を取り戻すのは想像以上に難しそうな気がした。


 仕事を終え、地下鉄のエスカレーターを降りると、ホームで待つ人たちもいつもよりまばらなように感じた。毎日この位人が少なければ、行き帰りの電車も快適なのに……そう思いつつホームに到着した電車に乗り込んだ。

 ホーム同様、車内は乗客が少なくいつもよりも穏やかな空気が流れていた。あまりの心地よさに、正樹は背もたれに身体を委ねるような姿勢で居眠りを始めた。

 時間が過ぎるのを忘れてしばらくうたたねをしていたが、目を覚ますと、視界に入った駅の名前は、正樹が乗車した駅の隣の駅のままだった。腕時計を見ると、時間的には正樹の下車する駅に到着しているはずだった。どうやら電車は次の駅に到着した後、そのままずっと停車しているようだ。


「あれ?どうして電車が動かないんだ?」


 正樹が首を傾げたその時、雑音に交じって車内アナウンスが流れ始めた。


「ついさきほど千葉県を震源とする地震が発生しましたので、この電車は安全が確認されるまでしばらくの間当駅で待機します。お急ぎの皆様にはご迷惑をおかけして、まことに申し訳ありません」


 正樹は頭を掻きながら、全く動かない電車に業を煮やして電車の外に出ることにした。電車の中は心地よいが、あまりにも長時間座り続けるのは退屈だし喉が渇くので、ホームで何か冷たい飲み物でも飲みながら、再び電車が動き出す時を待つこととした。


 自動販売機で正樹の好きな「カルピスウォーター」を発見すると、正樹は早速一本購入し、喉に流し込みながら停車する電車を眺めていた。

 その時正樹は、ホームの片隅に立つ柱を取り囲むように、たくさんの花束が置かれていることに気付いた。


「なぜこんな場所に、花束を?」


 正樹は近づくと、誰かが灯した線香の香りが広がっていた。

 今は旧盆ということを考えると、この場所に関わりのある誰かを弔問に来たということだろうか。ホームの片隅になぜここで一体何があったというのだろうか。

 すると、真後ろから髪を茶色に染めた少女がやってきて、沢山の花束が供えられた柱に、そっと花束を添え、両手を合わせていた。

 やがてその場を立ち去ろうとした少女に、たまらず正樹は声を掛けた。


「あの、すみません。一体何でここでお祈りしてるんですか?何で花束をここに置いたんですか?」


 よく見ると少女の目の周りは真っ赤に腫れ、泣きはらした後のようだった。


「ここで友達を亡くしたんですよ。今日は亡くなって初めてのお盆だから、花を持って久しぶりに供養に来たんです」

「そうですか。失礼なことを聞いてすみませんでした」


 正樹は深く頭を下げた。


「いえ、そんな気にしないでください。彼女、不幸な最期だったので、せめて天国では幸せに暮らして欲しいから、きちんと供養してあげようってクラスのみんなとも話してるんですよ。ここにある花、きっとクラスのみんなが供えたんだと思います」

「クラスみんなに慕われてるなんて、幸せですね、その子は」

「はい。明るくて世話好きで、困ってる子が手を差し伸べてくれる優しい子でした」

「そうですか。そんなに人気がある子なのに、どうして死んでしまったんですか?」

「あの子、この駅から地下鉄に乗って学校に通ってるんですけど、電車待ちをしていたときに、目の前にいた女子高生が怪しい男に絡まれて、乱暴されそうだったから、身を挺して守ろうとしたんです。そしたら……」

「え?」


 少女はそこで口を押えながら、花束が並べられたホームの一角を指さした。


「今度は千夏が男のターゲットになったんです。千夏は乱暴されまいと必死に逃げたんですが、ホームに入ってきた電車に衝突して、息を引き取りました。千夏を追いかけた犯人がまだ捕まっていないのが悔しいです」

「え?千夏?今……千夏って言いませんでした?」

「あ、つい名前が出ちゃいましたね。その子の名前は川端千夏って言うんです」


 少女の口から出た名前を聞いた正樹は、衝撃のあまり全身が固まってしまった、


「何てことだ……千夏が、まさか」

「どうしました?」

「い、いや。ちなみにいつ亡くなったんですか?」

「二ヶ月?いや、一ヶ月近く前かなあ?夏休みに入る少し前だったような気がします」

「そうですか。ありがとう」


 正樹は頭を下げると、少女はハンカチで目頭を押さえながら正樹のそばを通り過ぎて去っていった。

 正樹は花束が並ぶ柱の元へと近づいた。そこには、色とりどりの花が束ねられ、所狭しとたくさん並べられていた。メッセージカードのようなものが添えられている花束もあった。正樹はしゃがみ込むと、その一つ一つを手に取った。


『千夏ちゃん、今までありがとう』『英語が得意の千夏。外国人ともフツーに会話してる所がカッコよくて、私のあこがれでした』『一緒にマックでアルバイトしたよね?仕事は大変だったけど、千夏はいつもスマイルを忘れずがんばってたもんね。お別れはさみしいけど、ずっと忘れないよ』『今年の夏も暑いけど、千夏と一緒に神宮プールに行ったこと、いつまでも忘れないよ!』


 そこには、クラスメイト達の千夏に寄せる想いがたくさん綴られていた。そして、そのほとんどが、千夏が正樹に話してくれた内容と見事に一致していた。

 しかし、正樹には一つだけ疑問が残った。


「千夏は死んだはずなのに、どうして俺の前に姿を見せてるんだろう?」


 考えれば考える程、正樹の目の前に姿を見せた千夏が一体何者なのか、謎が深まっていった。その時突然、駅の構内にアナウンスが響き渡った。


「お待たせしました。安全が確認できましたので、ただいま停車中の電車はまもなく出発します」


 正樹は慌てて電車の中へ駆け込んだ。

 車内に戻ると、正樹は窓越しにホームに目を向けた。すると、高校生位の子達数名が柱の周りに集まり、花束を供えていたのが目に入った。


「こんにちは」

「え?」


 正樹は聞き覚えのある声を耳にし、振り返ると、そこには千夏の姿があった。

 小さな花柄のミニのワンピースを着こみ、にこやかな表情で手を振っていた。


「どうしたんですか?そんなに驚かなくてもいいじゃないですか?」

「だ、だって、千夏さん……」

「え?」

「いや、何でもないよ」


 正樹は咳ばらいをしながら、言いたいことを胸の内に収めようとした。

 千夏は正樹の隣に座ると、籐編みのバッグから花束を取り出し、正樹の目の前に差し出した。背丈の低いひまわり数本が、可愛らしく束ねられていた。


「どうしたの?それ」

「これからおばあちゃんのお墓に行ってくるの。この花はそこでお供えしようと思って近くの公園で摘んできたんだ」

「公園?お店で買ったんじゃないんだね?」

「お店で買うのは、ちょっと……ね」

「そうか。でもかわいいよ、すごく」

「でしょ?」


 千夏は得意げな表情で花束を左右に振っていた。正樹はひまわりの花束を見るつもりが、ワンピースから露わになった千夏の白い太ももに目が行ってしまった。

 正樹はまた胸が高鳴りだした……もうこの世にはいない存在のはずなのに、ひょっとしたら幽霊なのかもしれないのに。


「あれ?正樹さん、顔真っ赤だよ。どうしたの?」

「ああ、な、何でもねえよ。ハハハハ」

「この花束を見て、何か変なこと想像しちゃったの?」

「ば、バカ言うなよ」

「あ、わかった!ひょっとして、これ?」


 千夏は露わになった太ももを指さし、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「たまたま目に入っちゃったんだよ」

「ふーん、正樹さんもやっぱり男なんだね」

「千夏さんも、どうしてそんな短い丈の服を着てくるんだよ。ドキドキするだろ?」

「どうしてダメなの?私、こういうかわいいワンピースが好きなんだけど」

「ダメだよ。俺はともかく、最近は変な奴が増えてるから気を付けないと。あのデカい眼鏡かけた怪しい奴が見たら、興奮して追いかけて来るぞ!」


「怪しい男」という言葉とともに、千夏は突然全身が固まったかのように見えた。


「ちょっと思い出させないでよ。あの人のことはもう忘れたかったのに」

「だってあの男に、追い回されてたんだろ。そして、ちょうどやってきた電車に……」


 千夏はその時、両目を丸くしながら両手で口元を覆った。そして、突如立ち上がると、真上から正樹を鋭い目線で睨んだ。


「どうして知ってるの?知らなくていいことなのに」


 そう言い残すと、千夏は別な車両へと足早に駆け出していった。


「おい、待てよ!そろそろ本当のことを教えてくれ!俺にとっては、どんな千夏さんでも千夏さんなんだ。たとえ死んで幽霊だったとしても、俺にとってはいつまでも一緒にいたいと思える、大事な存在なんだ!」


 千夏は隣の車両に移った所で足を止め、正樹の方を振り向いた。

 長い髪が顔に覆いかぶさり、その隙間から恐れおののくような表情を見せていたが、その瞳はまっすぐ正樹を見ていた。


「正樹さん、誰から私の話を聞いたのか知らないけれど……私はもうこの世に居ないから、今ここにいる私は幽霊だと思ってるでしょ?」

「え?」

「ねえ、ちょっと触ってみて」


千夏は勢いよく正樹の手を握ると、自分の胸の辺りにそっと触れさせた。


「な、何だよ千夏。よりによってそんな所を」

「分かるでしょ?私の心臓の音が。そして私のぬくもりが」


千夏の心臓の音、生温かいぬくもり。

それを感じ取った時、正樹は千夏が幽霊なんかじゃない、まさにこの世に生きているんだと確信した。

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