第26話 吹き抜けの中で
『あーもーただでさえ面倒臭いってのに……今は目の前の脅威に集中! 迎撃砲台、再照準!』
レシーバーの向こうから聞こえてくるのは、先ほどまで砲口を向けあっていた相手の声。向こうは気付いていないだろうが。
「カカッ、思ったより勇ましい姉ちゃんだな。あーあ、ひやひやしたぜ」
砲手席の中で、大きく息を吐きつつ背もたれに体重を預ける。もう少し座り心地を考えて設計してほしいものだとは思うが。
『包囲は、されていない?』
『わかんないッスけど、とりあえずさっきの連中は振り切ったっぽいッスね』
隠れる場所のないエレベーターホールからは脱し、一本道の通路も抜けた。既にパーティー会場からの射線も切れており、ビルに囲まれたアーケードをカメラで見回してみても、廃墟らしい沈黙があるだけで動く物は見当たらない。
僅かに遅れて合流した翡翠も、周囲を軽く見まわしてから小さく肩を落とした。
『やれやれ、酷い目に遭ったな。玉匣の被害は?』
「電磁反応装甲がいくつか作動しただけだ。車輌自体に問題はねぇよ」
『ん、負傷者も居ない。キョウイチの方は?』
『こちらもダメージはない。とりあえず、一旦外へ退避しようか。この様子だと、仕切り直した方がいいだろう』
「同感だぜ。ここの原住民にせよ、統合防衛軍にせよ、こんだけワサワサ敵が出てくるなら、作戦練り直したほうが賢明だ」
無人機の生き残りが出てくることは想定していたが、まさか人間が住んでいるとは思わなかった。そもそも、前評判である動植物共に生存不可な土地とはなんだったのか。
今更文句を言ったところで仕方ないが、ガセ情報を広めた奴と会えるなら、その顔面にシャイニングウィザードを叩きこんでも罰は当たらないだろう。
俺がくたびれているように、アポロニアもげんなりしているらしい。相棒に怪我がないと聞いて安心したからか、ため息代わりにひゅーんと鼻を鳴らした。
『ホント厄介な場所ッスね。この間からこんなのばっかりで、気が休まらないッスよ』
『ん……安全な場所を探して、少し休息したほうがいいのかもしれない』
「んな場所が簡単に見つかりゃいいがな。ともかく今は脱出だ。シューニャ、トラッカー通りに走ってくれ。全方位警戒、怠るなよ」
気の抜けた発言への戒めは、半ば自分に向けた忠告だったように思う。
事実、玉匣が発進するよりも早く、これまで沈黙を貫いていた猫は、いつも通り間延びした声をぶつけてきた。
『ダマルさん、アレなんでしょう? 建物の上に』
「あん? さっき見たときゃ何にもなかったが――げぇっ!?」
全方位警戒と言うだけならば容易だが、所詮人間の眼であり耳であり鼻である。骸骨になろうとそれは変わらず、レーダーやセンサーがほぼ役に立たない現状で、穴を完全に無くすことは難しい。
ファティマからのクエスチョンが無ければ、俺は完全に見落としていただろうそれは、アーケードを囲む建物の屋上。孔しかない眼に飛び込んだ、何か筒のようなもの。
前後へ噴き出した発砲炎に、乾ききっているはずの身体から、一気に冷や汗が噴き出した。
『うあっ!?』
『キャいンッ!?』
凄まじい破砕音と共に地面が抉れ、重いはずの車体が大きく揺れる。続いてガンガンガンと装甲をノックする音が、車内へ響き渡った。
『こ、後退する!』
「いや前進だ! アーケードの中に潜れ! さっきの奴で狙いを付けられたら、装甲車はただの棺桶になっちまうぞ!」
ギャリギャリと履帯を鳴らし、玉匣は弾かれたように急発進する。薄い天面装甲をぶち抜かれなかったのは、半ば奇跡と言っていいだろう。
「アーケード上部にマキナ及び強化歩兵、数不明! 内1機は榴弾砲抱えた野郎が居やがる! 人ン家の天窓から、砲弾ホールインワンさせようとしやがった!」
『確認した。が、流石に手が足りないな。ともかく、マキナはこっちで引き受ける。玉匣の指揮は任せるぞ』
翡翠は既に、ジャンプユニットを煌めかせ、建物の壁面を這うように猛然と跳んでいた。アーケードの天井に頭上が覆われる寸前見えたのは、マキナによる強襲攻撃に、散開して対応しようとする敵の姿ばかり。相棒が化物でなければ、無謀な突撃に過ぎなかったかもしれないが。
「おんぶに抱っこだなこりゃ。シューニャ、上の射線が切れても気ぃ抜くな。中に敵が隠れてないとは限らねぇ。止まったらカモにされるぜ」
『が、頑張る、けど――ッ!?』
シューニャは急ハンドルを切ったらしく、急激に車体が左右へ振られる。
と、ほぼ同時に装甲をかすめるように、特徴的な形をしたロケット弾が通り過ぎて行った。
「クソが、アイツら人の冗談をマジにすんじゃねぇよ。追い込み漁でもしてるつもりか?」
元々誘い込む前提で配置していたのか。元は煌びやかな商業エリアだったであろう真っすぐな道に、前から上から強化歩兵が顔を出す。
伏兵に警戒とは言ったものの、大して隠れる気もないような形で生えてこられると嫌になるものだ。
『こ、これ完全に罠に飛び込んでないッスか!?』
『動きにくい場所だと、明らかにこっちが不利!』
「だからって今更下がれるか! 四の五の言わずに撃ちまくれ!」
砲塔を振り回し、焼夷榴弾をばらまきながら叫ぶ。不幸中の幸いは、敵にマキナの姿が見えないことをくらいだろう。
ジリ貧とまでは言わないが、状況は明らかによろしくない。敵は手数が多い上に、下手をすれば十字砲火の状態も作れる地形だ。それも狙いが玉匣1両だけとなれば、機銃座に顔を出したアポロニアが被弾する確率も高い。
足を止めたら負け。だが、このまま走り抜けようとしても、何らかの障害物が置かれていないとも限らない。
トリガを引きながら考える。何か意表を突くような行動をとって敵を混乱させられれば。だが、なんの準備もなく使えるような手があるか? と。
「ボクが行きます。ダマルさん、アポロニア、援護してください」
そう言って砲手席を覗き込んだのは、相変わらず飄々とした様子のファティマだった。
当然、この申し出には俺も通信機越しのシューニャもギョッとした声を出す。
『ファティ!?』
「おま、何言ってんだ!? その剣じゃ、近づく前に蜂の巣にされんのがオチだぞ!?」
強化歩兵装備でもあれば話は別かもしれないが、彼女が身に着けているのは、あくまでパイロットスーツ。身体能力補正はともかく、防御性能は現代の鎧より多少マシという程度でしかなく、銃火器を抱え臨戦態勢にある連中に剣で斬りかかるなど、自殺行為もいいところだ。
ファティマとて、それは分かっているはず。だからこそ、今の今まで周辺警戒にのみ注力していたのだろうに。
しかし、彼女は興奮するでもなく恐れるでもなく、ただ平熱のような声のまま、ポンと自らの胸を叩いて見せた。
「任せてください。勝算あり、ですから。それじゃっ」
「ま、待てって! おい――!」
俺が止める間もなく、ファティマは橙色の三つ編みを残像のように残し、車体後部へ駆けていく。それも、勢いそのまま後部ハッチを蹴り開けて。
こうなっては、引っ張り戻すことさえできはしない。そもそも、力づくで動かれたら、誰も猫を止めることなどできないのだが。
「え、えぇいクソッ、アホ猫を援護しろ! 撃て撃て撃てぇ!!」
『だぁぁもぉ! こんなとこで心中とかゴメンッスからねぇ!』
アポロニアの機銃が上階の通路から顔を出す敵を抑え込み、俺の砲撃が地上階の連中を吹き飛ばす。ついでにスモークまで焚けば、きっとファティマがいきなりやられるようなことはない、と思いたい。
そんなことになっては、相棒に合わせる顔がないのだから。
■
長い階段を、どれくらいグルグル走っただろう。
薄暗くて足元は見え難いけれど、それでも確実にジュウの音は近づいている。
今戦ってるのが、ここに住んでるヤツらじゃないとしたら、場所の形は大体しかわからないはず。複雑な待ち伏せは、多分無理。
――ほうほう、見つけましたよ。
灰色の硬そうな背中に、ボクはペロリと唇を舐め、ミカヅキの柄を軽く握る。
きっとまた、人間でもキメラリアでもない、バイオ、バイオナントカ。
ダマルさんは生き物じゃないと言っていた。生き物じゃない相手は、大体とんでもなく強かったり、刃が通らなかったりする危険な存在だけれど。
これまでに何度も戦ってきて、わかったこともある。
「ふぅぅぅ……たぁーッ!」
階段を3歩、音を立てないように上がって、そこからは一気に跳び上がる。
敵が振り返ったのは、ボクが刃を振り下ろし始めてからだった。
硬い手応え。それでもミカヅキは、そいつの鎧にしっかりと食込み、途中からは叩き潰すような形で地面まで突き抜けた。
バチバチと火花を散らし、透明な液体を流しながら、バイオナントカであろう敵は動かなくなる。
「やっぱり、人でも生き物でもない奴らって、気配とか視線とか、そういうの感じないみたいですね」
考えるのは後だ。仲間がやられれば、流石に敵だって気付くはず。
深い呼吸を1回。吹き抜けになっている通路へ飛び出し、体を低く低く沈めて柱の間を駆けた。
見えるだけで、撃っている奴は後4人。隠れているのが他何人か。1番手前の奴は、タイセンシャナントカをごそごそしながら、こちらへ向き直ろうとして。
「おそーい、です!」
通り過ぎ際、ミカヅキの刃を振りぬけば、半透明のガラスが貼られた手摺もろとも、サックリと体が切れて動かなくなる。ついでにそれを手伝っていたらしい奴も、返す刃で切り捨てて、ボクは体をくるくる回しながら走る速度を維持していた。
どうせ長くは走れない。ボクの、ケットの息は短いのだ。
「さぁ、焦ってください……!」
走る背をパリンパリンとガラスの割れる音が追ってくる。多分、ボクの動きに気が付いた奴が、キカンジュウか何かを撃ってきているのだ。
でも、ジュウの攻撃は直線になることを、ボクはよく知っている。見て避けるのは無理でも、相手が思いもよらない動きをした時には、一瞬反応が遅れるはず。
柱の陰へ滑り込めば、追いかけてきた攻撃がパンパンと石だか粉だかを辺りに散らしていく。予想通り、どうやら貫いては来れないらしい。
狙い目は、飛び道具なら必ず訪れる攻撃の切れ目。
「ふふん。さぁ、次は踊り子さんの時間です。上手に相手してください、ねッ!」
音が止んだ瞬間、ボクは目いっぱいミカヅキを振りかぶる。
狙いは吹き抜けを挟んだ奥の通路。さっきから銃を撃ってきている奴。
ではなく。
「んんん、とぉーッ!」
真っすぐ真っすぐ、ミカヅキは飛んだ。
敵の身体とは明らかにズレた、上へ。
バァンと音を立てたのは、天井からぶら下がっていた何か。多分、神代の機械が壊れた奴。
その最後の命綱だったであろう部分を刃が切り裂けば、それは敵の頭上へと降り注ぎ、予期せぬ衝撃が体勢を崩させる。
――まだ。
倒せたわけじゃない。短い隙を生んだだけ。
柄に繋がった細い糸を手繰り寄せる。この間の戦いで、ロープから少しだけ分けてもらった細い細いアラネア繊維。
それを頼りにボクは吹き抜けを舞った。いつだったかウィラミットに抱えられて、建物の間を飛ばされた時と同じような感じで。
「ふぅぅぅッ! よいっ、しょぉ!」
起き上がろうとしていた敵を蹴っ飛ばし、その勢いを使って天井に突き刺さったミカヅキに飛びつく。
ぶら下がるような姿勢になったが、ボクは身体が柔らかいのだ。ぐるりと天地逆さまに体を翻し、天井を思いっきり蹴っ飛ばせば、ミカヅキは天井から引っこ抜け、後は落ちる勢いそのままに。
「とあーっ!」
体重と勢いを乗せた刃は、頭から真っ直ぐ敵を両断し、ついでに床へと突き刺さる。
鎧兜の奥から噴き出す透明な液体。びりびりと走る痺れを足の裏に感じながら、動かなくなったバイオナントカを蹴っ飛ばし、ようやく一息。
「とりあえず、上手くいきましたね。この階は、くりあ、でしょーか?」
『何が上手くいきましたね、だ! 冷や冷やさせやがって! サーカスをやるのはスケコマシだけで十分だっての!』
どうやらレシィバァが入っていたらしい。呆れ返った骸骨の叫びが、耳の奥に直接届けられた。
不思議である。無理がなかったとは言わないが、ボクとしてはいい考えで、怪我をすることもなくサクサク進められた方だと思うのに。
「うーん……これで怒られるなら、ボクも飛び道具の使い方、覚えた方がいいかもしれませんね」
『いや、そういう話じゃねぇんだよ。まぁいい、とにかく説教は後だ。こっちも地上階の敵は排除できた。後はこの奥が――』
ダマルさんの声に釣られ、道の奥側へぐるりと頭を回す。
臭いはしない、音も聞こえない、気配も感じない。だからもう、さっきまでみたいな敵は居ないんじゃないかと思った矢先。
自分の後ろを、爆発したような音と猛烈な風が吹き抜けた。
肩越しに見返った視線の片隅。舞い上がるのは壁だったであろう瓦礫と、砕け散ってキラキラ光る手摺のガラス。
その奥から、流れるように尾を引いた赤い光が、ボクを見ていた。
「――まきな」
時間はどうしてか、ゆっくり流れているようだった。きっとボクの声も、普段よりずっと間延びしていただろう。
レシィバァの奥から聞こえる、逃げろ、という骸骨の叫び。
不思議だった。どうして気付かなかったのか。どうしてあまり怖いと思えないのか。
逃げろと言われても、ボクにはわかる。向けられたトツゲキジュウの口は、吸い込まれそうになるくらい黒くて、自分ではもうどうしようもないのだと。
それでも。
『いいいいぁッ!』
あっ、と思った途端である。時間の流れは急に元通りとなり、また凄まじい衝撃を伴った風が猛然と駆け抜けた。
きっとボクは、力が抜けていたのだろう。暖かい暴風に押されるがまま、ぺたんとその場に尻もちをついていた。それでも視線は離さない。
よく知る水色のまきなが、さっき出てきた奴の頭に、盾のように見える金属の板を突っ込んでいる。パァンと何かを弾けさせて。
『すまないファティ。途中で取り逃した奴が、まさか君の方へ向かうとは』
崩れ落ちるアオガネを背に、翡翠はゆっくりとこちらへ向き直る。それは見慣れた姿なのに、どうにも言葉が出てこなかった。
「お、おぉぉ……」
『ファティ? 大丈夫かい? もしかしてどこかに怪我を――!』
「いえ、大丈夫、なんですけど、その」
慌てふためき始めるヒスイ。あまりにも、おにーさんそのものに見える動きに安心したからか、ボクの頭は急に言葉を思い出したらしい。
それは冷静になったということ。だが、人は時として、冷静にならない方が幸せなこともあったりする。
特に、何度も驚かされた後などは。
「ちょっとだけ、漏れちゃったかもしれません」
■
広大な吹き抜けの空間を、デッキがせり上がってくる。
その上に乗っているのは、神代技術の鎧を纏った男と彼の部下たち。そして、此度の戦いで散った仲間の躯。
男はグォンと低い音を立てて1歩踏み出すと、砲台指揮所の上に立つ白いマキナに対し、胸の前で両のマニピュレータをぶつけて深く頭を下げた。
『敵の撤退を確認。警戒線の内側に、敵対勢力は存在しません』
『ご苦労様。けどよくないね。3回も逃げられるなんて』
女の声は気怠げに、報告を受ける前からわかっていたと言いたげな様子で、ヘッドユニットを見えない空へ向けながら淡々と告げる。
男にとって、悔しい言葉だったのだろう。彼はギッと金属の拳を握ると、小さく肩を震わせていた。
『俺の力不足、です』
『アンタのせいじゃないよアタバラ。相手に優秀なまきな乗りが居るんじゃ、完全な殲滅も拿捕も簡単じゃないって。けど、今回はそれよりも』
白いマキナは小さく手を挙げ、指揮所から飛び降りる。すると、今まで視線を向けたまま固まっていた者たちは、各々の与えられた役目の為に動き出した。
ジリリリと動作を知らせるベルが鳴り響き、荷電粒子臼砲の砲身が正面位置へと戻され、男たちの声の中、牽引用の車輛が建物の奥からレールに沿って現れる。訓練された一連の流れに、淀みは一切見られない。
格納庫へと戻っていく砲台を尻目に、白いマキナは重機のような男の機体の前に立った。彼女はもう空を見上げてはいない。
『気がかりは侵入者の方だと?』
『ま、ね。見た感じ、さっきの奴らとも戦ってたみたいだし、立場はウチらと近いのかも。もうちょい話すべきだね』
『よもや、あれらが信に値すると? 敵でなかったとしても、そのような虫のいい話が――』
男はなお言葉を続けたかったのだろう。だが、繊細なマニピュレータの指をアイユニットの前に立てられては、音となりかけた声を喉の奥へ押し返す他なかった。
『わかってるっしょ、アタバラ。ウチはあくまで代弁者。決断は全て、トゥーゼロが下すこと』
『……お目覚めになられたのですか』
アタバラと呼ばれた男は、背筋を伸ばし顔を上げる。
一方、白いマキナは小さく頷いたのみ。その場でゆったりと踵を返すと、収納されていく砲台を追うように影の中へ消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます