イロハネ ―右手に悪を、左手に愛を―

火野陽晴《ヒノハル》

第一章

第001話 プロローグ ー精神と肉体ー

 目を閉じればはいつも同じ場所に居た。

 只管ひたすらに白が広がるだけのこの場所で、文字通り胡坐あぐらをかいて。


「ようクソガキ。今日もシケたつらだな」


中性的な声が白一色の空間に木霊こだました。

 所々に跳ねた髪と浅黒い肌。大きく膨らんだ胸と丸み帯びた肩がを女だと確信させる。


「こんな世界だからな」


ぶっきら棒に答えた。

 不貞腐れたような態度にも関わらず、褐色肌の女はたのしげに笑う。


「ならテメェが〈セカイ〉を変えりゃあいい」


女の紅い瞳が、言葉と共に向けられた。

 よく見れば女の周囲には炎が浮かんでいた。ふわふわと漂うような紅い光は、蝋燭ろうそくでも松明たいまつでもない。まるで人魂を思わせるように揺らめいている。


「こんな俺がどうやって」


女から視線を逸らすように、ほんの少しだけ目線を下げて聞き返した。


「決まってんだろ。〈王〉を探せ。〈セカイ〉を変えるちからを持った〈王〉をな。分かってるはずだろ、お前にも」


見透かすような紅い視線。

 わざとらしい溜息吐いて肩を落とすと、呆れた様子で女を見やる。


「どうすればいいんだ?」

「それはオレが教えてやることじゃねェ」


女は頬杖をつきながら不敵にほくそ笑むばかりで、それ以上は答えない。


 いつものことだった。

 何か問いかけても望む答えは返されない。


 もはや不快にさえ思わない。

 半ば諦めの心境で大きな溜息を吐き、静かにきびすを返した。

 

 丸まった背中を見ながら、女はまた「ククク」と薄らわらう。


「愛してるぜ、クソガキ」


背に投げられた、歯の浮くような台詞。

 これもいつものことだった。

 だが何を意味しているのかは分からない。

 

 間もなくして体が光を放ち、輝く粒子の群れとなって純白の空間から姿を消した。


 そして意識は、現実へと引き戻される。



 ◇◇◇



 長瀬ながせ一騎カズキは空を見上げた。


 小雨こさめ散らす雨雲が、まばゆいはずの太陽を覆い隠している。

 薄茶けた髪は濡れて頬に冷たい雫が流れる。


 前をはだけて羽織る白い学生服。ドクターコートを思わせる丈の長いそれに、透明な露がそぼつ。


 雨は好きだった。


 地面を打つ雨音は世界と自分を切り離してくれるように思えるから。

 肌に触れる冷たい感触は自分の存在を認めてくれる気がするから。


 曇天どんてんを仰ぐ長瀬ながせカズキは静かに目を閉じ、灰色の空に身を委ねた。けれど、


『坊ちゃま!』


甲高かんだかい少女の声が響いた。

 せっかく降ろした瞼を開いて、長瀬ながせカズキは声の方へ首を向ける。


 視線の先にはエプロンドレス纏うメイド服の少女が睨んでいる。顔を赤くリスのように両頬を膨らませて。


 桃色のミディアムボブに翡翠色ひすいいろの瞳。服の上からでも分かる豊かな胸。

 誰の目から見ても愛らしいメイドが、軍手を履いた手にゴミ袋と空き缶を握りしめている。


『もうっ! またお仕事サボってボーッとして! 早く片付けないと日が暮れちゃいますよっ! 雨も降ってきたのに、風邪ひいちゃいます!』


可愛らしく眉をひそめて説教を垂れながら、桃色髪のメイドは足元に転がるゴミを拾った。

 長瀬ながせカズキは気怠そうに溜息を吐いて、同じようにステンレス製のトングで空き缶を拾う。


『グルッ』


今度は犬のような声が響いた。

 振り返ればすぐ後ろに、光沢を放つ蒼い機械の獣が居た。

 金属の足で芝生を踏み分け、ゆっくりとした足取りで近付いてくる。


 口端くちは広がる面長な顔。一見すると犬や狼のようだが、首は馬のように長くまるでファンタジー世界に登場する西洋龍ドラゴンのよう。


 四肢は虎のように太く、銀色の尾は先端が丸く膨らんで蛇を思わせた。


 鋭い菱形の眼は宝石の如く無機質に輝き、それが蒼いボディと相まって冷たい印象を与えている。


 蒼い機械獣は長い首をもたげて突き出した。その大きな口に包装ゴミが咥えて。


「サンキュー、

『グル』


袋ゴミを渡した機械獣は身を翻し、落ちているゴミを再び口先で拾い始めた。


 長瀬ながせカズキは周囲を見回した。


 誰もいない市営の広場。敷き詰められたように群生する雑草。その隙間からのぞく空き缶やゴミ。

 それらを拾い集める、桃色メイドのエルグランディアと、蒼い機械獣のスカイライナー。


「……【機核療法士レイバー】のやることじゃねーだろ」


溜め息混じりに長瀬ながせカズキは呟いて、また灰色の分厚い空を見上げた。


 雨が、少しだけ強くなった。

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