第15話

 この間のカフェでの一見以来、山瀬さんとはどことなく気まずい。

 学校内で会話をすることがあるわけではないのだが、山瀬さんも僕のことを避けているように感じていた。


 だがそれとは対照的に、僕の周りでは意外な事が起きていた。

 クラスの中での僕の扱いが、和らいできたのだ。


 ユウヤ君に歯向かい、そして謝罪してからというもの、確かにグループの仲間には入れてもっていた。

 だが実際は下僕のような扱い――つまりパシリや軽い嫌がらせは日常茶飯事だったし、グループに所属する為の会費徴収と言ったカツアゲのようなことまで宣告されていた。


 それが最近、グループの輪の中にいても嫌がらせをされる事はなくなり、普通の会話にも混ぜてもらえるようになったのだ。


 これは気のせいなどではなく、明らかな変化だった。

 クラスメイトの僕に対する扱いは、確実に変わっていた。


 ただ、優しく接してくれていてもパシリのような扱いだけは続いた。

 それは『お願い』という名に変わっただけ。


 今日も皆のお昼ご飯を買い出しに行くことになった。が、今日はいつもとは違っていた。

 ヒサシ君が一緒に来てくれることになったのだ。


 これは彼の優しさというよりも、しょうがねぇなぁという諦めに近い感情からのようだった。

 というのも、理由は不明だが今日はユウヤ君の機嫌が朝から悪い。非常に悪い。


 こういう時の彼は、手際よく物事が進まないとイライラしだし八つ当たりをすることがある。それを皆知っている。


 仮に僕の買い出しが遅れでもしたらユウヤ君の機嫌をより一層損ねることになりかねない。

 そうなると自分自身にとばっちりが回ってくる可能性もある。

 ヒサシ君がついてきてくれたのはそれを計算してのことだとは思う。


 だからだろう、やりきれないような、不服そうな、やり場のない憤りを抱えているような、まさにそんな顔をしたヒサシ君と廊下を歩きながら、僕らは売店に向かっていた。


 だがこのシチュエーション――ヒサシ君と二人きりになれた事は僕としては願ったり叶ったりだった。

 妹からのお願いである、


『会ってお礼がしたい』


 これについて話せるチャンスだったからだ。


 だが、教室を出る時、茂部もべさんの視線を感じ、その視線の意味を理解した時、僕はもう一つの依頼をすっかり忘れていたことを思い出した。


 そうだ、茂部もべさんからもお願いされていたのだった。

 

『ヒサシ君に付き合っている人がいるのかどうか』


 華子かこ茂部もべさんも、二人とも似たような事を聞きたがっている。


 ヒサシ君がこんなにモテるなんて知らなかったが、たしかに少しやんちゃな雰囲気を持つヒサシ君は、年頃の女子にはウケがいいのかもしれない。


 昼休みの騒がしい廊下を並んで歩きながら、僕はヒサシ君に声を掛けた。


「ヒサシ君」

「あん?」


 ポケットに手を入れたヒサシ君は僕のほうを見ることなく答えた。

 明らかに機嫌が悪い。だからといってこんなチャンスめったにない。

 引き下がるわけにはいかない。


「あのさ。ヒサシ君って……彼女いたりするの?」

「は、はぁっ!? なんだよ突然」


 僕からの唐突な質問に驚き、こちらをやっと見てくれた。

 だが回答は至って冷たいものだ。


「なんでお前にそんなこと言わなきゃいけねぇんだよ」


 ヒサシ君は不機嫌というよりも、気味が悪いというような表情をしている。

 

「……だよね、じゃあさ。ヒサシ君さ、少し前にナンパされてた女の子、助けたことなかった?」


 ヒサシ君は今度は目を見開き戸惑った表情をして僕のことを見る。

 

「な、なんでお前……それ、知ってんだ?」

「やっぱり……ヒサシ君だったんだ」

「え? いや……なに? さっきからお前すげぇ気持ち悪いんだけど……」


 ヒサシ君は顔を歪めて身を引いている。

 得体のしれない気色の悪い生物でもみるかのようだ。


「えっと、実は……その助けた女の子。僕の妹なんだよね……ははは」


 痒くもない頭をかきながら僕は答える。


「……は? え? うっそ? マジで? あの女子高生二人組の……どっち?」

「えっと、妹は髪が長くてくるくるしてる。結構明るい茶色。覚えてる?」

「あ、あぁ……あの派手な子か……」


 そして僕は華子かこから聞いた話しをヒサシ君に伝えた。

 ヒサシ君は興味を持ってはくれたが、半ば呆れたようにぽかんと口をあけてそれを聞いてくれる。


「マジかよ。偶然もすげぇけど、あの一瞬で写真撮るとか……こえぇ……」

「ごめん、それは兄として謝るよ……」

「ま、まぁ……いいんだけどよ……。そのなんつーか、お前の妹、全然似てないな」

「妹はお母さん似。僕はお父さん似だから」

「そういうんじゃなくて。雰囲気つーか。お前と違って結構あか抜けてるつーか、遊び慣れてるつーか……」

「はは……だよね。見た目はすこし派手だよね」

「あれじゃ、軽そうな男にナンパされても仕方ないと思ったけどさ。男に手を掴まれて騒ぎ起こしてたから、ちょっと割って入らせてもらっただけだ」

「妹めっちゃ感謝してた。相手、大学生だったんでしょ?」

「ああ、あの感じは大学生かもな。けどガリガリだったし、あれなら負ける気しねーわ。それにユウヤ君も一緒だったし」


 なるほど。

 いざという時はユウヤ君が加勢してくれると見込んでのことだったのか。


「ユウヤ君、そういう時は頼りになりそうだもんね」

「はぁ? 何言ってんだ。ユウヤ君があんな目立つとこで、しかも赤の他人の為に喧嘩なんかするわけねーだろ。ただの威圧要員だよ」

「あ、そっか……」


 言われてみれば、自分の利益にならない事。特に他人の為にユウヤ君が喧嘩するとは考えられなかった。


「ま、俺。こう見えて中学ん時は結構やんちゃしててさ。ケンカは結構してたんだよ」

「え!? そうなの!?」

「昔の話だけどな」


 ヒサシ君は苦笑していた。

 これは初耳だった。ヒサシ君は見た目は確かに少しやんちゃな感じはするが、その割に冷静沈着な性格をしている、と僕は思っている。


「今のヒサシ君からは想像つかないね……」

「そうか? まあ、面倒事に巻き込まれないように生きてるってだけだ」


 面倒事が起こらないよう今まさに買い出しを付き合ってもらっている僕としては、この言葉にはどう答えたらいいのかわからなかったが。


「つーのもさ。俺、ユウヤ君と1年から同じクラスじゃん。初めて会った時から、こいつには適わねえってすぐに思ったんだよ。ルックス、運動神経、頭の出来、家柄。それにカリスマ性な。全てが揃ってんだ。1年にして学校内の有名人になる素質を備えてた。俺もすぐにユウヤ君グループに取り込まれちまったよ。そしたら、いつのまにやら今の関係性が出来上がってた」

「たしかに僕も1年の頃からユウヤ君の名前は知ってたからね。クラスの女子がユウヤ君を見にいってたもの」

「だろ? モテっぷりも凄かった。勉強もすげぇし、運動もすげぇ。俺みたいな半端なやんちゃ系じゃ、ああいう本物には太刀打ちできないんだって思い知らされたわ。実際かっこいいしな。だから今もこうやってユウヤ君グループで学校生活を過ごしているってわけだ」


 ヒサシ君は窓の外を眺めた。

 心なしかヒサシ君の足取りはゆっくりになっていた。


「でも、ヒサシ君だって凄いよ。僕の妹を助けてくれた。感謝してるよ」

「ただの偶然。感謝されることじゃねーよ」

「それでも、何もしなかったユウヤ君より、僕はヒサシ君の方が好きだよ」

「……あのさぁ、時枝ときえだ


 ヒサシ君は歩きをぴたりと止めた。

 僕の事を少し厳しい目で見ている。


「そういうとこなんだよお前。ユウヤ君の前では絶対そう言うこと言うなよ。それがユウヤ君の怒りに触れるんだって。普通にしてりゃいいだけなのに、なんかお前一言多いんだよなぁ……」

「……ごめん……。それがユウヤ君を怒らせてるんだよね」

「わかってんならやめろっつーの」


 自分でもどこか一言多いのだろうなと思う事はあったけれど、こうやって面と向かって言われると、少し反省してしまう。

 しかもヒサシ君にも迷惑が掛かっているというのは、僕としても望むところではない。

 ここはこれからの僕の人生の教訓として改めるべきところだろう。

 そんなことを考えさせられた。


「でもさ」


 ヒサシ君は窓の外に顔を向けた。


「お前この前、ユウヤ君に歯向かったじゃん。あれ、正直すげぇって思ったわ。この学校でユウヤ君に立てついたヤツ、初めてじゃね?」


 表情は見えなかったけれど、その声音は決して僕をバカにしているようなものではない。

 だからだったのだろう。僕も素直に言葉が出た。


「さすがにあれはひどいなって思ったから……」

「まあ……だな。でもユウヤ君にケンカ売ったのはやっぱすげーわ。そのあとボコボコだったけどな。ま、仕方ねぇよ、あれはある意味モンスターだ……っと、これは言うなよ」


 と彼は少しおどけて言う。


「もちろん。誰にもいわない。っていうか言えないよそんなこと」


 僕も笑って返した。


 ヒサシ君の本音が少し聞けた気がした。

 だからなのか、ほんの少しの間だったけれど、二人して笑い合った。


 みんなから言いつけられたものを売店で買って教室に戻るまで、お互いにちょこちょことクラスの事や今のユウヤ君グループの人間関係について会話を紡いだ。


 深い話をしたわけではなかったけれど、ヒサシ君も少し心を開いてくれたような気がして僕は嬉しかった。

 お昼のパシリ的な買い出しがこんなに楽しいのは初めてだった。


 教室に戻る間際、すこし前を歩くヒサシ君は顔だけを僕に向けた。


「そうそう。さっきの答えな」

「うん? さっき?」

「彼女いるのかってやつ」

「あ、ああ……」

「俺、彼女はいねぇよ」


 そう言って軽く片手をあげながら教室に入っていくヒサシ君。

 教室に入ると彼はいつも通りクールな雰囲気に戻っていた。


 そんなヒサシ君を見て、妹や茂部もべさんの気持ちが少しわかった気がした。 

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