第46話 駆け引きは抜きだ

「調べがつきました」

 それは依頼をした翌日の事だった。

 しかも夕方どころかまだ昼前のことで、あまりに早いためギルドに呼び出されたのは、きっと別の用事だと思っていたぐらいだ。

 戸惑い瞬きを繰り返すサネモの前で、ユウカは微笑んでいる。

 ハンターズギルドの執務室に面した個室、白い幅狭なテーブルの上には重ねた三枚の紙が置かれてある。それが今回の調査結果のようだ。

 その一枚をユウカは向きを変えて差し出す。

「まず、調査対象であるゲヌークの住居についての内容ですね。場所は学院からほど近いツナル地区になります」

「あいつ、思ったより良い場所に住んでるな」

 手元に引き寄せた紙には簡潔な絵地図が描かれ、その中に勢いのある筆跡で丸がしてある。そこがゲヌークの住居らしい。そこそこ治安が良く、学院まで歩いて通うには丁度良い場所で、かつてサネモが暮らしたサイドナ地区よりも良い場所だ。

 ユウカは次の紙を手に取り、内容に目を通しつつ、これも向きを変え差し出す。

「続いてです。住宅内にいた女性がフーリと呼ばれていたそうです」

 この紙には建物の間取り図、さらには確認出来る人数などが書かれていた。

「こんな情報まで? ありがたいが、しかしどうやって調べた……」

「一級ハンターのレンジャーですから」

「…………」

 説明になっているようで説明になっていない。だが、説得力はあった。

 何とも言えず感心して唸るサネモに対し、ユウカは楽しそうだ。機嫌良く身体を揺らしているので、短めの黒髪がさらさら動いている。しかし、その表情は直ぐに引き締まった。

 次の紙が向きを変えて差し出された。

「ただし建物内の金庫や隠し金庫にも、蓄財は確認されなかったそうです」

「なるほど」

 どうやって調べたのか、もはや確認する気も失せたサネモは頷いた。一級ハンターが高潔な人物である事を願うばかりである。

「こんな簡単に調べがつくのか。リオウもギルドに依頼すればいいものを」

「それ無理ですね。あちらさんとギルドは、表向き対立関係なんですから」

「頭を下げては頼めないという事か」

「ですね」

 人は感情という不合理なものを抱える生き物だ。取るべき最善が分かっていても、それを選択する事ができない。その気持ちはサネモにも理解できる。

 サネモは頭を振って調査結果の紙を手に立ち上がる。

「すまない。この礼は――」

「気にしないで下さい。でも、そうですね。また美味しいもの食べたいですね」

「もちろん。雰囲気のよい店を探しておくよ」

 ユウカは頷き、嬉しそうに顔を赤らめた。

 人は感情という素晴らしいものを抱える生き物。それを表すことで、自分と同じ感情を相手にも伝播させる事ができる。

 サネモは笑顔で部屋を出た。


 ゲヌークの屋敷は意外にもにもコリエンテの店の近くだった。

 エルツを預けて来たのは、これからのやり取りがどうなるか分からないためだ。

「良いところに住んでるな」

 屋敷は二階建ての立派なもので、庭は青芝が敷き詰められ樹形も整った木が幾本もある。開かれた門から玄関先までは磨き込まれた平石が据えられ鮮やかだ。

 かつてサネモが暮らしていた屋敷よりも全てが上質に思えた。

 学院のサイクルから考えると、今日は授業がない日だ。ゲヌークが在宅している事は間違いなかった。そしてもちろんフーリもいるだろう。

「我が主、突入されますか」

 クリュスタはモノリスに手をかけ、今にも剣を抜き放ちそうだった。

 しかしサネモは首を横に振る。 

 周りの住宅街は静かなもので、通りに人の姿もないため、このまま一気に踏み込んだところで街の警備兵に通報される事はないだろう。だがしかし、それをする必要はない。

「正面から行くさ。逃げられたなら、それだけのことだ」

 前にリオウに言ったように、フーリに対しては果てしなくどうでもいい。

 もう二度と関わりたくない気持ちがあるだけだ。一級ハンターの調べた報告はリオウには渡しているため、そちらの依頼は実質達成したも同然だ。

 ここに来た理由はゲヌークに会うためだった。

 ゲヌークに会って――しかし何がしたいのかサネモ自身も分かっていない。全ての恨みをぶつけ襲い掛かりたいのか、何故と言って糾弾したいのか、それとも本人の口から真相を聞きたいだけなのか。

 判然としない。

 全ては心の中で消化しきれない怒りや憤りの感情に突き動かされているだけだ。だから会ったところで何も変わらないと分かっても、そうせねば気が収まらない。

 だがしかし――この感情こそが命の証明ではないのだろうか。

 サネモはちらりとクリュスタを見やった。

 だからこそ、かつての天才魔導人形造型師メルキは自らの造物に感情を持たせたのかもしれない。

「我が主?」

「いや、なんでもない。それでは行こうか」

 開かれた門から中へと足を踏み入れ、平石を踏みしめ進んで玄関へ。そしてドアベルの紐を引いて従僕を呼び寄せた。


「お待たせしました」

 ドアを開けてくれたのは陰気そうな従僕だった。

 ゲヌークの雇う者だが、一つずつの動作に微妙な間があって、あまり利発そうな感じではない。しかし従順そうで、トオサとどちらがマシかは微妙なところだ。

「どうぞ、こちらです」

 丁寧な態度でサネモとクリュスタを案内してくれる。狭い通路で外観で感じたほど立派さはなく、むしろ古びていて時代遅れ感が強い。掃除も行き届いていなさそうだった。

 そのまま進むと、大きな暖炉のある応接間にゲヌークが待っていた。

「やあ、サネモ君」

 ゲヌークはサネモより少し年上。背は高く顔立ちのよい、色気のある男だ。実際に何度となく学院の女学生と浮き名を流した事は、人付き合いに疎いサネモですら耳にした事があった。

 応接間には絵画すら飾られず絨毯すらない。ただし壁の色褪せを見れば、それらが元はあった事は確かだ。革張りソファーも古びて細かな疵がある点を考えると、どうやら金に困っているに違いない。

 従僕を下がらせ、ゲヌークはソファーを勧めた。

「何の用かな」

「駆け引きは抜きだ。一級ハンターの情報で元妻がここにいると聞いた」

「……居るよ」

 少しだけ間を置いてから返事があった。調べた相手が相手なだけに、誤魔化しても意味が無いと判断したのだろう。一級という言葉の持つ意味は、それだけ重い。

「取り返しにでも来たのかな」

「別にそんな事はない」

「ふぅん」

 言ってゲヌークの目はクリュスタに向けられている。そこに好色さがあるように感じるのは、恐らく気のせいではないだろう。ただしサネモの次の言葉を聞くまでは。

「その情報は借金取りに伝えてある」

「なんだって!? どうしてそんな酷い事を」

「酷い? 借りたものを返すのは当然だと思うが」

 睨まれたサネモは気味の悪さを感じている。目の前のゲヌークという人間の倫理観や思考が全く理解できないからだ。


「そもそも借金をさせたのも、お前なのだろうゲヌーク」

「…………」

「魔導書を手に入れる金が欲しかったのだな。それで騙して借金漬けにしたな」

「違う!」「違います!」

 声は二つ同時に響いた。

 応接間に通じるもう一つのドアが開いて、見覚えはあるが見たくもなかった姿が現れた。もちろん元妻のフーリだ。最後に見た時よりも、質や程度といった何かが落ちた気がする。

「私は自分の意思でお金を用意しました。貴方が私に内緒で貯めてましたお金もですよ。あんな額を内緒にしているなんて、酷い人」

「結婚前に私が貯めたお金は私のものだと思うが」

 サネモは何故自分が責められるのか理解しがたかった。言ったように夫婦で稼いだ金でもないのだし、仮に夫婦共同の金だったとすれば勝手に持ち出す事がおかしくなる。

 つまるところフーリの言葉は自己中心的でしかないのだ。

 そちらを相手にする気も失せて、ゲヌークに視線を向けた。

「お前は学院の研究費を流用したな? しかもそれを私の仕業にみせかけたな」

「もちろんだ。魔導人形馬鹿のお前は、研究費の流れなど気にしてなかっただろ」

 楽しげに嘲笑っている。

 何者かが研究費を横領している噂があっても、サネモは気付くどころか知りもしなかった。だから犯人であるゲヌークはサネモが怪しいと触れ回って、自身に対する疑いを逸らしたのだ。

 もちろん、そこにはフーリの夫であるという事象も影響していたに違いないが。

「…………」

 本来なら悔しがるところだが、それが少しも悔しくない。

 それもあって学院を出たお陰で、こうしてクリュスタに出会えた。幾つかの魔導人形に出会って、以前は知りもしなかった知識や経験を得られた。むしろ感謝してもいいぐらいだ。

「笑っていられるのは今の内だけだ。お前達二人は終わりだ」

 サネモは薄く笑った。

 これを告げたい為ここに来たという気分になっている。

「ゲヌーク、お前の横領も調べがついている。そして借金取りには場所が伝わっている。二人揃って鉱山送りにでもなるといい」

 言ってフーリを見るが、しかし眉をしかめる。フーリはこちらに視線を向けてもいなかったのだ。あの夫婦生活の時と同じように、別の場所を眺めサネモに対する興味がないと露骨な態度で示している。

 そしてゲヌークは……楽しそうに笑っていた。

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