響界のレゾナンス

近松 叡

M00. イントロダクション

 音方 爽志(おとかた そうし)はそれと対峙していた。

 体全体が白く、目は真っ黒い。魅入られればどこまでも引きずり込まれそうな闇を蓄えている。明らかに凶悪なそれはバリバリと電気のような音を放ち、爽志を威嚇しているようだ。すぐ後ろには見知らぬ女性が驚きと不安の入り混じったような表情をして、爽志を見ている。


(俺はなんでこんなところにいるんだ…?確か、学校帰りだったよな…?)


状況が全く飲み込めないが、不思議と落ち着いている。こうなった理由を思い返してみることにした。






 爽志は高校3年生。特筆するものは無いに等しいが、モテたいという一心で高校の3年間を軽音部に費やし、学園生活最後の文化祭の出し物で全てを出し切った。その間、恋人は出来なかったもののそれなりに充実した日々を過ごせたと感じていた。

 その後は残り少ない学園生活を消費しながら目標を失った日々を過ごしている。

 高校卒業後は大学に進学する予定ではあるが、そこから先の進路については白紙も同然で入学後に探せば良いか、などと呑気なことを考えていた。


 今日は学校が午前中で終わったので、たまには気分転換してやろうと、いつもとは違う道を通って帰宅しているところだ。ただ、選んだ道は午前中の雨のせいでところどころに水たまりが出来ていて歩きにくくて仕方がなかった。


「くっそ、失敗した。普通に帰るんだったわ」


 ブツブツとボヤきながら歩道橋の階段を登る。前を見るとそれほど離れていない距離に母娘らしい二人が歩いているのに気が付いた。小学校高学年ほどだろうか、娘の方は何やら大きな荷物を背中に抱えている。


 母親の方が微笑みながら娘に話し掛けていた。

「楽器直って良かったね」


「うん!ありがとう!お母さん!」


 娘が抱えているのは楽器らしい。軽音楽部でボーカルとアコースティックギターを担当していた爽志は親近感を覚えた。


「音楽が好きなやつは漏れなく心の友だ。俺の中で」


 爽志はボソッと呟いた。傍から見れば若い男が母娘を見ながらボソボソと呟きニヤニヤと歩いている様子はそれはそれは怪しく見えただろう。幸い今の瞬間は誰にも見られていなかった。


「これでまた練習出来るね。でも、やりすぎちゃ駄目よ?」


「はーい!わかりました!」


 母親は苦笑を浮かべながらも、娘の喜びように嬉しさを感じているようだ。母娘は歩道橋の下りに差し掛かる。しかし、娘が急に母親の方を振り返り言葉を発しようとしたその瞬間、足を滑らせてしまった。


「あっ」


 娘は手すりに手を伸ばしたが、水滴で滑って掴めない。


(!)


 爽志の体が思わず動いていた。全速力で移動し娘の手を掴んだ。それから自分の体で庇うように包み込む。

 しかし、落下は防げずにそのまま落ちていく。何故か周りの景色がゆっくりと見え始めた。


(ヤバい!これ走馬灯ってやつじゃないのか…?!)


 一瞬のことであるはずなのに景色はノロノロとスローモーションで流れる。しかし、それとは裏腹に思考は目まぐるしく回転していた。


(ヤバいヤバいヤバい!このままじゃヤバいって!!)


 危機的な状況だと言うのにヤバいという単語しか出てこないほどにはヤバかった。


(こっから挽回する方法は?!)


 背中越しに地面が近付いて来るのがわかる。残された時間は少ない。


(ちくしょー!帰る前にジャンプ読んどきゃ良かった!!!)


 今日は月曜日だった。

 地面に叩きつけられる瞬間、爽志の目の前が真っ白になる。


(死ぬのか…。あーぁ、もっと親孝行しとくんだったな…)


 不思議と痛みは感じない。


(これが気分転換の代償かよ…。ひでぇじゃねぇか)


 爽志の頭の中に声が響く。


「どうか助けて…!心優しい人!」


(なんだ?…俺を呼ぶ声?)


 直感的にそう思った爽志は声のする方へと手を伸ばした。






 母親が大声で娘を呼んでいる。

 「いろは起きて!…いろは!」


 娘は何事も無かったかのように目を覚ました。


「あれ?お母さん…私どうなったの?」


「階段から落ちそうになったところをお兄さんが助けてくれたのよ」


「お兄さん…?どこ?」


「どこって、そこにいるじゃない………?」


 母娘が辺りを見回すが、姿を見つけることが出来ない。

 爽志は二人の前から忽然と姿を消してしまった。

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