第3話 逃走(犬の鬼)

「美南、もう大丈夫?」

「ああ、平気。悪い、時間取らせて」

 

 灰色の鬼を倒した後、我に返ったアタシは猛烈な吐き気に襲われ無様にも摩耶の前で吐きまくってしまった。

 腕の時計に視線を落とすと、あり得ないようなデタラメの時刻を指している。

 

「始まってどのくらい経った? 時計がおかしくなってて……」

「もうすぐ30分ってとこね」

 

 摩耶が自分の腕時計をチラッと見る。

 

「なんで摩耶の時計は平気なの?」

「私のはスイス製の機械式だから電池を使ってないの」

「……あ、そう。で、これからどうする?」

「そうね、私達は鬼を一匹倒したからもう成功条件はクリアしたわ。え? それ何って? もう、事前に説明したはずよ。鬼道本式ではたとえ生き残っていても一匹も鬼を倒していない組は成功とはならないの。参加だけして隠れて何もしないような行為への抑止なんだと思うけど」

「じゃあ他の組が残りの鬼を倒してくれたらそれでもう完了ってこと?」

「ええ、でもそう上手くはいかないかもね。この時点で残りの鬼は三匹、人間は一組脱落、残りもあの迷彩服組の方しか使い物にならなそうだし……」

 

 結局アタシ達は鬼を確実にもう一匹は仕留めることに決めた。

 体育館を出て1号校舎まで戻ると、薄暗い校舎は静まりかえっていて周囲に鬼や人間の気配は全くなかった。

 

「美南、さっき迷彩組が向かったのは2号校舎だった?」

「ああ、確かそのはず……」

「それじゃ、そっちにしてみよう」

 

 アタシ達は分担して前後を警戒しながら2号校舎の1階を南側から北へと進む。

 何事もなく校舎北側の端までたどり着いたその時だった。

 背後の校舎南側の方から、ビタッ、ビタッと足音が響く。

 

「摩耶――」

 

 廊下の角から現れたのは四足で歩く異形のシルエットだった。

 

「犬の鬼⁉」

 

 犬の鬼はアタシ達の姿を認めると小躍りでもするように跳ねて駆け出した。

 二足歩行の鬼に比べて明らかに速い。

 アタシ達の逃走可能な経路は1号校舎と繋がる渡り廊下か上に登る階段だけだった。

 

「階段へ!」

 

 摩耶が叫ぶと同時にアタシ達は駆け出していた。

 摩耶の判断はおそらく正しい。

 平面で逃げたらすぐに追いつかれる。

 何段か飛ばしながら階段を駆け上がる。

 最上階の3階まで登った時には、すぐ階下の辺りで既に足音が響いていた。

 

「思ったより速いよ!」

「とにかく、もう一回他の階段まで」

 

 背後に迫る足音を聞きながら3階の中央階段まで来た時だった。

 

「その先の白い線を跳べ!」

 

 不意にどこからか声がする。

 訳もわからずに走っているアタシの視界に、廊下に引かれた薄い白い線が見えた。

 

 ――あれのこと⁉

 

 摩耶に確認している時間はない。

 

「跳ぶよ!」

 

 アタシは廊下に引かれた線の上を透明なハードルでも越すように跳躍した。

 摩耶も同じように白線を跳ぶ。

 振り返ると犬の鬼は低い姿勢で速度を上げ迫っていた。

 アタシと摩耶がナイフに手をかけたその時――突然、「ギャンッ」という声を放って見えない壁に衝突したように犬の鬼の突進が止まった。

 

「な⁉ 何?」

 

 犬の鬼の口の部分には細い糸状のものが食い込んでいた。

 次の瞬間、階段横の用具入れから人影が飛び出してくる。

 その人影――迷彩服を着た男は犬の鬼の背中に取り付くと同時に、右手のコンバットナイフを鬼の後頭部に突き立てた。

 犬の鬼は咆哮を上げながら床を転がりまくるが、胴と首に巻かれた男の手足から逃れらない。

 その間にも男は何度も犬の鬼の後頭部にナイフを突き立て、やがて犬の鬼は動かなくなった。

 男は手足を解くと犬の鬼の横に転がる。

 その足と脇腹の辺りには鬼のものとは違う血が滲んでいた。

 それはあの髪を短く刈り上げた中年男性おじさん組の一人だった。

 

「君達の、おかげで、なんとか仕留めることが出来た。礼を言う」

「私達もお礼を言っておくわ。それに面白い鬼の倒し方も見せてもらったし、今後活用させてもらうことにする。……動きが素人じゃないみたいだけど?」

「俺は、猪川いかわという。自衛隊の元レンジャーだ」

 

 猪川はナイフを抜いて状態を確認するとホルスターに戻し、苦しげに私達に向き直る。

 

「ところで君達は鬼を何匹倒した?」

「……一匹よ」

「そうか、俺も今ので一匹目だ。あの若者達では期待薄だから残りはあと二匹と考えるのが妥当だろう」

「概ね同意だわ」

「そこで、君達の実力を見込んで頼みがあるんだが――」

「その前に貴方のパートナーはどうしたの? いないようだけど」


 猪川の言葉を摩耶が遮った。

 

「それなんだが、赤い鬼から逃げる過程ではぐれてしまった。安否はわからない。俺の傷もその時のものだ」

「一応、成功条件は理解してるのね?」

「ああ、二人共生存の条件だろう。だがこの傷だから俺はもう離脱を試みる。だから、もしパートナーの鈴木に会ったらその事を伝えてくれないか」

 

 摩耶は少し考える素振りを見せた後で頷いた。

 

「いいわ、猪川さん。貴方には助けてもらったし、その人を見つけたら伝えておく」


【続く】

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