嘘と林檎

夜水 凪(なぎさ)

なんだっけ


 「蝋燭の炎は一番上が熱いんだよ。だからお線香は火の上の方でつけるといい。」


 誰から聞いたのか今ではもう覚えていないけど、この言葉は私の脳に染み込んでいる。

 ゆらゆらと橙色に揺れる蝋燭の炎を見つめながらその言葉がまた頭の中で響いていた。

 火の一番上で二つに折った線香に火を付け香炉に寝かす。すうっと白い煙が白檀の香りを纏って蝋燭の火よりももっと上まで昇っていった。

 りんを鳴らして手を合わせた。南無阿弥陀仏と何度か小さく呟く。線香を二つに折って寝かせたけど、折らずに立てた方がよかったのか。りんは三回でよかったのだろうか。この家は南無妙法蓮華経だったか。今になっていろいろと不安が襲ってきた。今さらどうしようもないが最後に南無妙法蓮華経と小さく小さく呟いて合掌を解いた。

 顔をあげて後ろで控えていたこの家の人の方を向く。嫌そうな顔はしていないから間違ってはいなかったのだろう。それとも気を使っているだけなのか。

 見慣れた仏壇とあまり違いが見られないからきっと合っていたのだろう。

 そもそも、仏教であることに違いはない。

 「遠いところ、わざわざ来ていただいてすみません。主人も喜んでいることだと思います。」 



 帰りの電車を待っている。さっきの奥さんの「主人も喜んでいる」という言葉と、出された白藍色の湯飲みが頭から離れない。死後の世界では手厚い供養がされているかで地獄で待ち受ける刑が軽くなるかが決まるとどこかで読んだ。そうか、喜んでいるとはそういう意味もあるのか。白藍に霞んだ風景にあの人が立っていた。


 線路を渡る小学生の声がよく聞こえる。ここは穏やかな所だ。

 「問題です!ろうそくの火で一番温度が高いのはどこでしょうか!」

 「はいはいはい!外炎!」

 「せいかーい!!」

 なるほど、炎の一番温度が高い所は外炎と言ったか。そうだ、これは小学校の理科で習ったのだ。

 じゃあ、私の記憶にあるあの言葉は誰が言ったんだ?私に一番温度が高い場所を教えてくれたのは…。

 朧気な記憶。今となっては何が最初なのかなんてわからない。考えてわかることではないのだから。もういいのだ。あれが誰の言葉でも。私の世界では、それが真実なのだから。


 電車がホームを離れていくのを見つめながら、やっぱり線香は折らずに立てればよかったと後悔していた。

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