エピソード28

『買い物に行くぞ』

修学旅行の3日前の日曜日。

朝、私より先に目覚めた蓮さん。

私が瞳を開いた瞬間にそう言った。

『……』

私は身体に巻き付いているシーツを顔まで引き上げてもう一度瞳を閉じた。

『美桜』

シーツ越しに聞こえる蓮さんの声。

それと同時にシーツが剥ぎ取られた。

私の視界に飛び込んでくる至近距離にある蓮さんの顔。

『おはよう、美桜』

『……おはよう』

『買い物に行くぞ』

『……いってらっしゃい』

『あ?』

『へ?』

……なんか……。

……こんなやり取り、前にもあったような……。

『……えーと……何の買い物?』

蓮さんの眉間に寄った皺に気付いた私は慌てて口を開いた。

『旅行の買い物だ』

『旅行?』

『修学旅行、行くんだろ?』

『うん』

『持っていくもんを買いに行くんだよ』

『……なるほど……で何を持って行けばいいんだっけ?』

その後、蓮さんが盛大な溜息を吐いたのは言うまでも無い……。


『しおりかなんか貰ったんじゃねぇのか?』

『あっ!!貰った!!』

『それに書いてあるだろ』

『そうなの?』

『は?読んでねぇのか?』

『ん?読んでないよ』

『なんで?』

『なにが?』

『……もしかして』

『なに?』

『お前、また授業サボってただろ?』

『……!?な……なんで分かるの!?』

『……やっぱり』

……なんで!?

……もしかして、蓮さんは人の心が読めるだけじゃなくて超能力まであるんじゃ……。

やっぱり人間じゃなかったんだ。

『授業サボって何してた?』

ヤ……ヤバイ!!

蓮さんが変身した!!

『……』

『答えろ』

どうしよう。

声も低いし、かなり怒っている。

『……』

『美桜、言わねぇのか?』

『言わない』んじゃなくて、怖くて『言えない』んだけど……。

……っていうか声も出ないんだけど……。

どうしよう!!

声すら出せず、焦った私は頭の中が真っ白になった。

どうにかしてこの場を乗り切らないと!!

……でも、どうやって?

閻魔大王の怒りの鎮め方なんか分かんないし!!

蓮さんを閻魔大王に変身させるのは得意なんだけど……。

『いい度胸だな』

ひぃぃぃ!!

その笑顔が怖いんですけど!?

蓮さん達は、なんでこんなに笑顔が怖いんだろ?

練習でもしてんのかな?

……違う!!今はそんな事で妄想を膨らませている場合じゃないし!!

さっき蓮さん『いい度胸だな』って言わなかった?

度胸ってなんの度胸?

私、どんな度胸があるの!?

『美桜』

どんどん低くなる閻魔大王の声。

この声が怖いんだ!!

蓮さんの閻魔大王に変身した顔は瞳を閉じれば見なくて済む。

後は声を出させなくすればいいんだ!!

そう気付いた私は自分を褒めたい気持ちでいっぱいになりながらいい作戦を思い付いた。

視線を逸らしたい気持ちを抑えながら恐る恐る蓮さんの唇を見た。

その唇が言葉を発しようと動いた瞬間……。

私はその唇を塞いだ。

瞳を閉じる事を忘れていた私。

私の瞳に映った蓮さんの漆黒の瞳が驚いたように見開かれた。

蓮さんの表情が変わった。

もうどこにも閻魔大王はいない。

作戦成功!?

喜んだのも束の間だった……。

驚いていたはずの漆黒の瞳が妖艶で不敵な笑みを含んでいる。

蓮さんの唇を塞いだのはいいけど……。

これはいつ離せばいいの!?

今?

それとも、もう少し!?

そんな事を考えていると蓮さんの大きな手が私の後頭部にまわされた。

……え?

腰にまわされた手に身体を引き寄せられる。

隙間無く密着する身体。

薄いパジャマの生地を通して伝わってくる温もり。

固定されて動けなくなった頭。

私が蓮さんの唇を塞いだはずなのに……。

いつの間にか私が唇を塞がれた状態になってしまった。

唇の隙間から入ってくる舌。

優しく動く舌に私の頭は、またしても、真っ白になった。

腰にまわしていた手が器用にパジャマのボタンを外していることに気付いたのは最後の一個を外した時だった。

私の唇から離れた蓮さんが首筋に口付けていく。

くすぐったいような感覚に背筋がゾクっとした。

「ちょ……ちょっと!……蓮さん!!」

いつもより熱い蓮さんの大きな手がパジャマの隙間から入り込み胸に触れた事に焦った私は慌てて声を出した。

「ん?」

私が焦っているのに平然と答えた蓮さん。

「……胸に手が当たってる!!」

「当たってるんじゃなくて触ってんだ」

「……!!!」

な……なんで?

なんで胸を触るの!?

焦る私を他所に蓮さんの唇が首筋を滑って鎖骨にたくさんのキスを落とした。

胸の上に直接置かれている手の熱が伝わってきて全身が熱くなっていく気がした。

一緒にお風呂に入っていて当たったことはあるけど、触られるのは初めて……。

恥ずかしくて顔が熱くなるのが分かる。

真っ赤になった顔を蓮さんに見られたくなくて顔を背けて瞳を閉じた。

蓮さんの唇や舌が肌に触れる度に声が漏れそうになる。

「美桜」

いつもより色っぽい蓮さんの声に心臓の動きが速さを増して鼓動の音がやけに大きく聞こえた。

蓮さんの唇が胸に触れた瞬間、身体が大きく波打って口から甘い声が漏れた。

その声が静かな部屋に響いたような気がして私は慌てて両手で口を塞いだ。

胸の辺りに感じていた熱が遠ざかっていく感じがした。

「美桜」

耳のすぐ傍で聞こえる声。

「瞳を開けろ」

その言葉に私は恐る恐る瞳を開けた。

すぐ近くで私を見下ろす漆黒の瞳。

蓮さんは口を塞いでいた私の両手首を優しくて掴んだ。

「なんで我慢してんだ?」

私の口を塞いでいる両手を引き離すとベッドに沈めた。

ゆっくりと近付いてくる漆黒の瞳。

その瞳が妖艶な光線を出している。

その光線をまともに受けてしまった私は声を出す事も抵抗する事も出来なくなった。

瞳を閉じることも出来ない私はまっすぐに向けられる視線を見つめ返していた。

「嫌か?」

唇が触れそうな距離で蓮さんが口を開いた。

「……嫌じゃない……」

「怖ぇか?」

「……ちょっとだけ……」

私がそう答えると蓮さんの表情が和らいだ。

手首を掴む蓮さんの手から力が抜けた。

それから蓮さんは私の身体から離れてベッドの上に胡座を掻いて座ると私を軽々と抱え上げ膝の上に座らせた。

はだけているパジャマのボタンを慣れた手つきで留めてくれる。

全てのボタンを留め終えた蓮さんは私の顔を覗き込んだ。

まだ恥ずかしさが残っている私は蓮さんから視線を逸らした。

「なんで目を逸らしてんだ?」

蓮さんが不機嫌そうに低い声を出した。

「……だって恥ずかしいんだもん……」

小さな声で答えた私。

余りにも声が小さくて蓮さんに『あ?』って言われるんじゃないかと不安になった。

蓮さんの『あ?』は閻魔大王への変身の呪文……。

しかもさっき不機嫌そうな低い声を出したから変身の確率は高くなっているはず……。

せっかく人間に戻したのにここで変身されたら私の頑張りが水の泡になってしまう。

蓮さんが『あ?』って言う前に言い直した方がいいような気がする……。

「恥……」

「恥ずかしい?」

同時に口を開いた私達。

……。

……なんだ。

聞こえていたんだ。

心配して損した。

あぁ!!

すっかり忘れていたけど……。

蓮さんは地獄耳だったんだ!!

私はなんだか嬉しくなって一人で頷いた。

「なに一人で喜んでるんだ?」

蓮さんの声で我に返った私。

頭の上の方から落ちてきた大きな溜め息に慌てて顔を上げるとそこには呆れた表情の蓮さん。

「お前人の話、聞いてんのか?」

「あ……当たり前でしょ!?」

ヤバイ!!

また噛んじゃった!!

……もしかしてバレた!?

「そうか」

蓮さんがニッコリと微笑んだ。

ん?

今回は瞳もちゃんと笑っている。

……って言うことはごまかせた!?

蓮さんにバレないように私は拳を握りしめ喜びを噛み締めた。

「美桜」

「なに?」

「さっき俺が言ったことを言ってみろ」

「……はい?」

「聞いてたんなら言えるよな?」

「……」

閻魔大王から人間に戻った蓮さんが今度は意地悪い笑みを浮かべで悪魔に変身した……。

「聞いてたんだよな?」

「……あの……」

「うん?」

優しい口調の蓮さん。

その優しい口調に、ものすごく恐怖感を感じるのはなんでだろ……。

「……聞いていませんでした」

「だよな?」

「……はい」

「人の話はちゃんと聞けよ」

「はい」

もっともな蓮さんの意見に私は肩を竦めて素直に頷くしかない。

「大体、修学旅行の説明も聞かないで屋上でタバコばっか吸ってんじゃねぇよ」

「……はい。すみません」

……。

……えっ?

今、なんて言った?

「認めたな」

そう言って不敵な笑みを浮かべた蓮さんの瞳は力強く自信に満ち溢れていた。

「なんで!?なんで分かるの?」

「……」

「……やっぱり蓮さんは超能力者なの?」

「は?超能力者?なんだそれ」

「違うの?」

「あぁ、残念ながら」

「そ……そう。……あぁっ!!」

「今度は何だ?」

突然大きな声を出した私を蓮さんは怪訝そうな表情で見た。

「海斗!?」

「あ?海斗?なんで俺の前で他の男の名前叫んでんだ?」

「ち……違う!!海斗に聞いたんでしょ?私がいつも授業サボって屋上でタバコ吸ってるって……」

「へぇ、いつもサボってタバコ吸ってんのか?」

「……!!!」

ニヤっと意地悪い笑みを浮かべる蓮さん。

……しまった……。

……自爆しちゃった……・。

「ち……違うの……いつもじゃなくて……」

「美桜、目が泳いでるぞ」

言い訳さえまともに出来ない私って……。

「海斗はそんな事まで報告しねぇよ」

「……」

「アイツはお前の警護だ。お前が危険な目に合った時に助けてその報告をするだけだ」

「……そうなの?」

「あぁ」

「じゃあ、なんで私が修学旅行の説明の時間にサボったって分かったの?」

「忘れたのか?」

「……?」

「俺が聖鈴の卒業生だって。修学旅行の前にちゃんと説明がある事ぐらい知ってるんだ」

……そうっだった。

すっかり忘れていたけど……

蓮さんも聖鈴の生徒だったんだ……。

……海斗、ごめんなさい。

いつも守って貰ってるのに……。

疑ったりしちゃって……。

私は罪悪感でいっぱいになって大きな溜息を吐いた。

そんな私を見ていた蓮さんが鼻で笑った。

「反省したか?」

「うん。海斗に悪い事しちゃった……」

「そっちかよ」

呆れたように溜息を吐く蓮さん。

「……私なんか間違ってる?」

「お前が一番反省しねぇといけねぇのはタバコばっかり吸っている事だ」

蓮さんが私のおでこを指で弾いた。

「は……はい」

「禁煙しろとは言わねぇけど吸いすぎるなよ」

「……はい」

葵さんやアユちゃんみたいに『禁煙しろ』って言われなくて良かった。

学校に行き始めてから、かなり本数は減ったんだけど……。

……ん?

……っていうか修学旅行の時はどこでタバコを吸えばいいのかな?

「ホテルの部屋……は麗奈がいるし……もしかして吸えないの!?」

「あぁ?」

「……!!……いえ……なんでもないです……」

呆れ果てたように額に手を当てた蓮さんが「全然分かってねぇな」と呟いた。

また、叱られると悟った私は蓮さんの膝から飛び降り、リビングに置いていたカバンから“修学旅行のしおり”を引っ張り出した。

「……本当に書いてある……」

確かに蓮さんが言った通りしおりには持っていくもののリストがあった。

……でも。

「ねぇ、蓮さん」

「うん?」

ベッドの上でタバコに火を点けていた蓮さんが私に視線を向けた。

「……これ、なに?」

私はしおりの持ち物リストを指差した。

そこを覗き込む蓮さん。

確かにしおりには“持ち物リスト”のページがあった。

……でも……。

そこには[必要なもの。]としか書かれていなかった……。

「……必要なモノってなに?」

私は旅行に行った事がない。

だから、“必要なもの”って言われてもなにが必要なのか全然分からない……。

……っていうか、このしおりを作った人もなんでこんな手抜きなんだろ?

持ち物リストの項目を作ったならその必要なものがなんなのか書いてくれればいいのに!!

私は誰かは分からないけどしおりを作った人に怒りが込み上げてきた。

「下着くらいでいいんじゃねぇか?」

私の怒りに気付いてない蓮さんが呑気に答えた。

「下着!?」

「あぁ、洗面用具とかタオルとかはホテルにあるし、普通はYシャツとか持って行くけどお前はいらねぇだろ。てか、なんでお前、キレてんだ?」

「え!?蓮さんにじゃなくてしおりを作った人にちょっとムカついただけだから気にしないで……。なんで、私はYシャツいらないの?」

「……お前は一日だけしか修学旅行に参加しねぇんじゃねぇのか?」

……そうだった。

なんか最近、物忘れが激しい気がする……。

「それとも、お前は俺と沖縄観光する時も制服で行くつもりなのか?」

「私はそれでもいいけど?」

「……勘弁してくれ。お前が制服だったらなんもできねぇだろ」

「……?なんで?」

制服だったら観光できないの?

そんなことないよ。

……だって修学旅行も制服なんだよ。

「……なんか罪悪感が……。まぁ、中学生には見えねぇけど……でもな……」

蓮さんは頭を抱えて悩んでいる……。

「ねぇ、蓮さん」

私は蓮さんの腕を引っ張った。

「なんだ?」

「沖縄で何をするの?」

「あ?観光だろ?」

「だったら制服でいいじゃん」

「あぁ、昼間はな」

「……昼間?沖縄にいるのは昼間だけじゃないの?」

「……」

「蓮さん?」

「予約してるけど」

「予約?なんの?」

「ホテル」

「……泊まるの?」

「もちろん」

蓮さんがニッコリと微笑んだ。

……もしかして……。

『なんもできねぇ』っていうのはそういう意味なの!?

もしそうだったら中等部の制服を着た私に何も出来ないっていうのも、そんな私になんかしようとして蓮さんが罪悪感を感じるのも分かる気がする……。

「覚悟しとけよ」

蓮さんが妖艶な笑みを浮かべた。

そんな蓮さんを見て私は軽い眩暈を感じた……。

「美桜、買い物行くぞ」

呆然としている私を他所に蓮さんが灰皿にタバコを押し付けた。

「え!?う……うん」

「どうした?顔が赤いぞ?」

蓮さんが私の顔を覗きこんだ。

その距離の近さにも鼓動が速くなり顔が熱くなる。

「そ……そんなことない」

「そうか?」

私の頭を撫でる蓮さん。

そんな蓮さんの顔を見上げると楽しそうな表情をしていた。

「楽しみだな」

……それは沖縄観光が楽しみなの?

……それとも……。


◆◆◆◆◆


マンションを出ると今日もいい天気だった。

でも、夏みたいに強い日差しじゃない。

繁華街で買い物をするのは久し振りだ。

蓮さんがいつもと同じように私の肩に腕をまわし身体を引き寄せて人混みに向かって歩き出す。

制服とスーツじゃなくて普段着で外に出るのも久し振り。

その洋服もいつの間にか夏服から秋服に変わった。

繁華街にいる人達も半袖から長袖に変わっている。

「もう、秋だね」

独り言のつもりで呟いた言葉。

「そうだな」

地獄耳の蓮さんにはしっかりと聞こえていたようだ。

返事を返してくれた蓮さんに言葉を続けた。

「私、秋って苦手なんだよね」

「なんで?」

「なんか、寂しい感じがするから……」

「そうだな」

「……うん」

「でも、今年は大丈夫だろ」

「うん?」

「俺がいるから」

見上げると優しく微笑んでいる蓮さん。

その顔を見ると確かにそんな気がしてくる。

「そうだね」

今まで一人だったから、賑やかな夏が終わると寂しく感じていたのかもしれない。

今年は寂しさを感じないかもしれない。

蓮さんが傍にいてくれるから……。

歩いていた蓮さんがショップの前で足を止めた。

見覚えのあるショップ。

そこに入ろうとする蓮さんの服を引っ張った。

「ちょっと待って!!」

私に服を強く引っ張られた蓮さんは足を止めて振り返った。

「どうした?」

「なんでここなの?」

「は?他の店がいいのか?」

「……そういう意味じゃなくて……」

辺りを見渡した蓮さんが指差した先にも……。

「あっちにするか?」

指差した先にあったショップに向かって歩き出す蓮さん。

そんな蓮さんの服を再び引っ張った。

「下着は買わなくていいから!!」

「あ?」

「ま……まだこの前買って貰ったのがたくさんあるし……それに……」

蓮さんの家に住む事になった次の日に買って貰った大量の下着。

大量すぎてまだ一度も身に着けてないのがたくさんある。

……あの日の悪夢が蘇る……。

初対面のお姉さんに胸を見られた上に触られた事を忘れることなんかできない!!

「それに?なんだ?」

不思議そうに私を見つめた蓮さん。

「……また触られるんでしょ?」

「それが嫌なのか?」

「うん!!」

私は大きく首を縦に振った。

「今日は触られねぇよ」

苦笑気味の蓮さん。

「……本当に?」

「あぁ、ショップの店員が触らなくても俺が知ってる」

……はぁ?

……そう言えば……。

この前、蓮さん言ってたよね?

『俺は触ればサイズが分かる』って……。

自信満々で……。

「……だからさっき触ったの?」

「ん?」

「私がショップのお姉さんに触られるのを嫌がるって分かっていたからなの?」

「違ぇよ。あれはお前が誘ったからだろ」

「さ……誘った!?」

違う!!

誤解だから!!

私は蓮さんを人間に戻そうとしただけだし!!

あたふたと動揺する私を見て蓮さんは口の端を片方だけ上げ笑った。

絶対、蓮さん誤解してる!!

この誤解を解かないと私は変態女だ……。

無理!!

蓮さんに変態女って思われてるなんて耐えられない!!

……ここは、きっちりと否定しなきゃ!!

「私……って蓮さん!?」

私の必死の弁解なんて全く聞いていない蓮さんは先にショップに入っていた……。

一人取り残されている私はかなりの挙動不審人物だ。

……変態女の上に挙動不審人物だなんて……。

……立ち直れない。

私は慌てて蓮さんの後を追った。

ここがランジェリーショップだというのに相変わらず平然とした表情の蓮さん。

平然というか……どこか偉そうで威厳があるように感じるのは私だけだろうか?

「美桜」

「へい」

……!!

……別にフザけた訳じゃない。

私はちゃんと『はい』と言おうとした。

それなのに、私の口から出た言葉は『へい』だった。

多分、これは蓮さんの偉そうな態度が原因に違いない。

だから私は何も悪くない。

……悪くないのに、蓮さんが怪訝そうな顔で私を見てる。

すっごい、見てる!!

私は小さく咳払いをしてから、口を開いた。

「……ごめんなさい……」

明らかに眉間に皺を寄せた蓮さんには、素直に謝るしかなかった……。

蓮さんからひたすら視線を逸らしていると頭の上から大きな溜め息が聞こえてきて、その後に呆れたような声が降ってきた。

「『へい』って……お前は江戸時代の人間かよ?」

やっぱり蓮さん的に、そこをスルーする事は出来ないらしい。

故意に言ったんじゃないけど、ここは早くこの空気を変えたい。

「……いえ、私は平成時代の人間です」

「まぁ、いい。美桜、あそこの棚から好きなヤツを選んでこい」

えっ!?

そこは、スルーなの!?

他にはツッコんでくれないの!?

『そんな事は知ってる』って笑ってくれないの!?

……。

なんか、寂しい……。

私は蓮さんが顎で指した棚にトボトボと向かった。

この前、買った下着よりワンサイズ大きいブラが並んだ棚。

そこから、あまり派手じゃないデザインのモノを選んで、店員さんに言われるがまま試着室に入った。

試着室を出た私は蓮さんの元に駆け寄った。

「選んだか?」

「……ピッタリだった……」

「うん?」

「サイズがピッタリだったの!!」

「当たり前だろ」

「あ……当たり前?」

「ちゃんと触ったんだ間違うはずねぇだろ」

蓮さんが妖艶な笑みを浮かべた。

……相変わらず自信たっぷりで……。

「お前……」

「え?」

「また俺の事を“エロ変質者”とか思ってんじゃねぇだろうな?」

「お……思ってないよ!!」

横目で睨まれて動揺した私は思いっきり噛んでしまった……。

「本当かよ」

鼻で笑う蓮さんに私は必死で頷いた。

私が選んだ下着の会計を当たり前のように蓮さんが済ませてくれた。

その後に連れて行かれたブランドショップ。

そこでも悪夢が蘇って怯えた私。

でも、大量の服を試着させられる事もなく蓮さんと一緒に洋服を選んだ。

ここで買う服は蓮さんと沖縄観光をする時に着るらしい。

何かを決める事が苦手な私の為に蓮さんが数着選んでくれてその中から好きなものを選んでいく。

この前はものすごく疲れたショッピングが今日はとても楽しかった。

結構、長い時間いたのに全然苦痛じゃなかった。

やっぱり買い物した荷物は後からマサトさん達が取りに来てくれるらしい……。

『悪いから自分で持って帰る』って言ったけど『お前がそんな事心配しなくていい』って言われた。

旅行に必要な買い物をすべて終えた私と蓮さん。

「ちょっと休憩するか」

「うん、喉が渇いた」

「そうだな、なんか飲みに行くか?」

「うん!!」

私達は駅前のカフェに行く事にした。

駅に近くに来た時、大きな人集りが出来ていることに気付いた。

その中心辺りから聞こえてくる怒鳴り声。

緊迫したような雰囲気。

私は蓮さんの身体にくっ付いた。

それに気付いた蓮さんの私の肩を抱く腕に力が入った。

ただならぬ雰囲気に怯えている私に気付いたらしい蓮さん。

足早にその場を離れようとして……ない!?

私の肩を抱いたまま人集りに向かって歩き出した蓮さん。

蓮さんに気付いた人達が身体をかわし自然と道が出来ていく。

人集りの中心にいたのは見慣れた金髪と銀髪の二人と見たことの無い男が……5……6……7人!?

その内の3人は地面に倒れているけど……。

「ケン!!」

騒然としたその場に蓮さんの低い声が響いた。

「おう!!蓮!!」

振り返ったケンさんが私達の姿を見つけると嬉しそうに片手を上げた。

「楽しそうだな」

はぁ?

蓮さんにはこの光景が楽しそうに見えるの?

「まぁーな」

そう答えたケンさんの表情は……。

瞳がキラキラ輝いていて、とても楽しそうだった……。

「美桜ちん!こんにちは!!」

ケンさんが無邪気な笑顔を私に向けた。

……ケンさん……。

そんな……人を殴りながら挨拶されても……。

「こ……こんにちは……」

だ……ダメだ。

わ……笑えない……。

引き攣った笑顔を浮かべた私の顔を見て吹き出す蓮さんとケンさん。

……でも……。

引き攣った顔してんのは私だけじゃない。

この、光景を見つめている野次馬の皆さんが顔を引き攣らせている。

……やっぱり蓮さんとケンさんの感覚は少しズレている気がする。

「お疲れ様です、蓮さん」

ケンさんの隣にいた銀髪が蓮さんに軽く頭を下げた。

「海斗、頑張ってんな」

「えぇ、まぁ」

……ここにも、もう一人いた……。

感覚がズレている人が……。

『えぇ、まぁ』じゃないでしょ!?

人を殴りながら照れてるんじゃないわよ……。

海斗は照れて頬が赤くなっているけど、殴られている人は血で顔が真っ赤じゃん……。

「なにしてたんだ?」

相変わらず人を殴ったり蹴ったりしながらケンさんが尋ねた。

「今度、美桜の修学旅行があるんだよ。その買い物」

「あぁ!!そう言えば海斗も言ってたな。……ってか行かせるのか?」

「あぁ、一日だけな」

「……マジかよ……」

驚いた表情のケンさん。

「ちょっと訳ありでな」

蓮さんが横目で私を睨んだ。

私は慌てて蓮さんから視線を逸らした。

それを見ていたケンさんの瞳が輝いた。

「蓮、もう帰るのか?」

「今からコーヒーを飲みに行く」

「どこだ?」

「そこ」

蓮さんが駅前のカフェを指差した。

「10分で片付けて行くから」

「あぁ、分かった」

蓮さんがケンさんに背中を向けて歩き出した。

「だ……大丈夫なの?」

「うん?」

「ケンさんと海斗……」

「あ?」

今の『あ?』って呪文じゃ……。

私、また閻魔大王のお怒りに触れたの!?

……でも、おかしい事なんて言ってないはず!!

「あ……あの……二人の事助けなくていいの!?」

「……お前……」

「え?」

「俺の前で他の男の心配なんかしてんじゃねぇよ」

はぁ?

普通、心配するでしょ!!

友達が殴り合いのケンカしているんだよ!?

しかも、相手は7人もいるし……。

……3人は……違う……話している間に2人気絶しちゃったから5人は倒れているけど……。

でも、友達の心配はするでしょ……

……友達……。

……なんかいい響き……。

「なにニヤけてんだ?」

「へっ?」

閻魔大王の声に私は強制的に現実に引き戻された。

「いい度胸だな」

「な……なんの話!?」

私が、ちょっと違う世界に行っている間に何があったの!?

「俺といる時に他の男の事を考えてニヤけるとはいい度胸だ」

「……誤解だから!!」

確かにケンさんや海斗の事を考えていたけど……。

でも、私が考えていたのは“友達”って言葉の響きの事だし!!

なんで蓮さんが怒ってんのかも分かんないし……。

横目で私を睨んでいた蓮さんと、そんな蓮さんを恐る恐る見上げていた私。

言葉のない時間が過ぎて先に動いたのは蓮さんだった。

「……まだまだだな」

盛大な溜息と切なそうな表情。

「……それって私のこと?」

「違ぇよ。俺の事だ」

「蓮さんの事?」

蓮さんがまだまだって事?

「そうだ」

「どういう意味?」

「気にすんな」

蓮さんが大きな手で私の頭を撫でた。

気にすんなって言われても……。

ものすごく気になるし!!

「どういう意味?教えて!!」

思わず服を掴むと蓮さんの漆黒の瞳が驚いたように見開かれた。

それから、諦めたように溜息を吐いた蓮さんが頭から手を離すと私の右手に指を絡めた。

「俺と一緒にいるお前に、他の男の事を考えさせるようじゃまだまだって事だ」

絡められた手に力が入った。

「蓮さん?」

「覚悟しとけよ」

長めの前髪から覗く漆黒の瞳。

「……」

……また、覚悟……。

今度はどんな覚悟をすればいいんだろう?

「お前の頭の中、俺でいっぱいにしてやる」

力強く自信に満ち溢れた瞳。

私が覚悟なんてしなくても……。

……もう、なってるし……。

蓮さんは、まだ気付いていない。

私がいつも蓮さんの事を考えている事を……。

私がいつも蓮さんと触れ合っていたいと思っている事を……。

私は蓮さんがいないと生きていけないような気がしている事を……。

……でも、それを私の口から伝えるのはなんだか恥ずかしいから……。

まだ……内緒にしておこう。

だから、私は笑顔で伝えた。

「頑張って!蓮さん!!」

「余裕だな」

優しくて穏やかな眼差し。

私がもう少し強くなるまで待っていてね。

その眼差しに向かって心の中で囁いた。


◆◆◆◆◆


カフェに入って注文していたアイスコーヒーとアップルジュースが運ばれてきてすぐにケンさんと海斗がやってきた。

「お待たせー!!」

いつもと変わらず元気いっぱいのケンさん。

元気があり過ぎて、大きな声を出したケンさん。

その所為で近くの席にいた人は驚いてカップを落としそうになっていた。

……なんかいつもよりイキイキとしているような……。

心配する必要なんて全く無かったみたい。

「お前なんて、全然待ってねぇし」

蓮さんが面倒くさそうに呟いた。

そんな蓮さんもケンさんの後ろにくっついてきた海斗を見つけると開いている席を顎で指して「海斗、座れよ」と声を掛けた。

「はい」

海斗は、蓮さんの言葉に素直に従って椅子に腰を下ろした。

「アイスコーヒー2つ」

そう注文してタバコに火を点けようとしたケンさんの右手の甲が赤くなっていた

私は、さり気なくケンさんの隣に座っている海斗の手に視線を移した。

やっぱり赤くなっている手の甲。

でも、海斗が赤くなっているのは右手じゃなくて左手……。

「どうした」

みんなが楽しそうに笑っているなか、黙っている私に気付いた蓮さんが声を掛けてきた。

「……手が赤くなっている……」

「手?」

「うん」

私はケンさんと海斗の手を指差した。

私の指を辿ってケンさんの手を見た蓮さん。

私の心配を他所に3人の表情が緩んだ。

「心配するな、あれは自業自得だ」

「……?」

蓮さんの言葉が理解出来なくて首を傾げた。

「ちょっと殴りすぎた」

耳を疑うような怖い言葉を発しながらも無邪気な笑顔を浮かべるケンさん。

期待を裏切らないケンさんに笑いが込み上げてくる。

「ねぇ、海斗」

「なに?」

「海斗って左利きなの?」

「は?」

海斗が不思議そうな表情で私を見た。

「だって、左手が赤くなってる」

「あぁ、そういうことか。左利きなのは俺じゃなくてケン兄だ」

「……?」

なんで、二人とも利き手じゃないほうの手が赤くなってんの?

私と海斗の会話を聞いていた蓮さんとケンさんが楽しそうに笑い出した。

「俺達がケンカの時に、利き手で相手の事を殴ったらただのケンカじゃなくなるんだよ。蓮もだけどね」

楽しそうにそう教えてくれたのはケンさん。

「ただのケンカじゃなくなる?」

「そう。海斗が格闘技習っていたのは知っているよね?」

「うん」

「俺と蓮は昔ボクシングをやっていたんだ」

「……ボクシング!?」

「結構、大会とかで優勝していい所までいっていたんだけど、ボクシングよりケンカの方が楽しくなって止めたんだ」

「……そ……そうなんだ」

「んで、俺達が利き手で本気で殴ったら相手が死んじゃうから使えないんだ。相手が死んだらケンカじゃなくて殺人だから捕まっちゃうし」

「……」

……そんなに瞳を輝かせて楽しそうに言われても……。

……っていうかケンカしている時点で警察に見つかれば捕まるんじゃ……。

「ケン」

「ん?」

「美桜がひいている」

「そう……えっ!?……あれ……美桜ちんひいちゃった!?」

「う……うん。ちょっとだけ……」

「ごめん、ごめん!!」

そう謝りながら「しくった!!」と言って舌を出して笑うケンさん。

そんなケンさんを見て私は思った。

……実は蓮さんよりケンさんの方が怖いのかもしれない……。

確かに、蓮さんは怖い……。

蓮さんが怖いのはみんなが知っている。

でも、無邪気な笑顔で人を殴ったり、恐ろしい事を言うのが一番怖い気がする……。

「美桜ちん、今、俺の事怖いとか思ってない?」

ケンさんがニッコリと微笑んで私の顔を覗きこんだ。

「い……いや……あの……」

なんで!?

なんで私の考えている事がケンさんに分かるの?

「ケン」

「なんだよ」

「てめぇ誰の許可を貰って美桜の事を苛めてんだ?」

「苛めてねぇよ。からかってんだよ」

「あぁ?」

「だって美桜ちんのリアクション超おもしれぇし」

「なんで美桜がお前に笑いを提供しねぇといけねぇんだ?コラ!!」

「ね?美桜ちん」

「……はい?」

なんでこのタイミングで私に話を振るんだろう……。

「いちばん怖いのは、俺じゃなくて蓮だよね」

……もう、本当に止めて欲しい……。

「話をごまかしてんじゃねぇぞ」

そうだよ!!

今は蓮さんとケンさんの会話なんだから私を巻き込まないでよ!!

どうしても誰かを巻き込みたいなら海斗がいるでしょ?

……そう言えば海斗……。

さっきから静かだけど……。

そこにいるよね!?

私は気不味くて伏せていた視線をそぉーっと上げた。

蓮さんとケンさんに気付かれないように……。

今、視線が合うとまた巻き込まれてしまう……。

顔を動かさずに視線だけを動かした私の視界に入ってきたのは……。

「……!!」

私がこんなに気不味い思いをしているのに……!!

大好きなケンさんと蓮さんが言い争いを繰り広げているのに……!!

海斗はケイタイの液晶を見つめていた。

しかも、液晶の画面に向かって優しく微笑み掛けているし!!

ケイタイ見てるくらいならこの二人を止めてよ!!

私は、海斗に瞳で訴えた。

ケイタイに視線を落としていた海斗がはっと何かに気付いたように視線をあげた。

マサトさんには伝わらなかった私のテレパシーが海斗には伝わったようだ……。

ケイタイから視線を上げた海斗が私の方に視線を向けた。

その表情が強張った。

私のものすごく不機嫌な表情に気付いたらしい海斗。

私の顔を見た瞬間、海斗は勢いよく視線を逸らした……。

逸らした視線が宙で止まり、しばらく何かを考えている様子の海斗が恐る恐る私を見てくる。

私の顔を見た海斗の口が微かに動いた。

『なんだよ?』

声は出てないけどそう言っていることが分かった。

『なにやってんのよ』

私も口パクで尋ねた。

『メールだよ』

メール!?

この非常時に!?

『誰と?』

海斗の交友関係なんて殆ど知らないけど、この緊急時にメールなんてやっている海斗にムカついて思わず聞いてしまった。

海斗は、私の顔が相当怖かったらしく別に言う必要なんてないのにあっさりとメールの相手の名前を口にした。

『マナだよ』

マナ?

……あぁ、彼女か……。

だから、あんなに優しい顔していたんだ……。

私は、妙に納得してしまった。

……。

ダメ!!

納得している場合じゃなかった!!

本来の目的を思い出した私は再び口パクで海斗に話しかけた。

『止めてよ!!』

『何を?」

『この二人だよ!!』

『あ?なんで?』

『はぁ?アンタ居心地悪くないの?』

『別に。いつもの事じゃん。そのうち終わるって』

『……』


海斗が言う通りしばらくすると蓮さんとケンさんの言い争いは終わった。

終わったというか……。

話題がだんだん逸れていき途中から全く違う話になって、最後には二人とも楽しそうに笑っていた……。

……今日、私は分かった事がある……。

蓮さんとケンさんが言い争いを始めても、口出しせずに知らん顔をしてればいいんだと……。

それが一番の解決方法みたいだ。

落ち着いてよく考えてみれば、蓮さんとケンさんはものすごく仲良し。

子供の頃から一緒に過ごしてきた。

だから、私なんかよりも蓮さんの事を理解しているケンさん。

蓮さんだってケンさんの事をよく分かっているはず……。

周りから見れば険悪な雰囲気だったとしても二人にとっては楽しくてしょうがないんだ。

私は一つ賢くなった。

今度から、こういう事態になっても知らない振りをしていよう。

……ん?

もしかして、閻魔大王と恐怖の女王の闘いも一緒なんじゃ……。

そうだとしたら……。

この前の二人の闘いの時にマサトさんが何もしなかった理由も分かる。

でも、組長は低い声で仲裁をしたよね?

『おい』

『やめろ』

『美桜さんが困ってんだろ』

……。

……私!?

組長は私の為に仲裁してくれたの!?

……もし……。

あの時、私が平気な顔をしていたら組長も仲裁しなかったんじゃ……。

そんな事、今更、蓮さんに聞くことなんて出来ないし……。

……よし!!

今度、閻魔大王と恐怖の女王の闘いが目の前で繰り広げられたら平然を装っていよう……。

……ちょっと自信がないけど……。

頑張って真相を確かめないと!!

「……桜ちん」

「……」

「ねぇ、美桜ちんってば!!」

「なに!?」

……。

しまった。

自分の世界に入り込み過ぎた。

ケンさんの呼び掛けに、つい強い口調で答えてしまった……。

私を見つめる3人が驚いている……。

「ご……ごめんなさい!ケンさん!!ちょっとボーっとしてたの!!」

私は、慌てて言い訳をした。

本当は考え事をしていたんだけど、そんな事を口にしたら蓮さんが『なに考えてたんだ?』って絶対に聞いてくる。

そう聞かれて『閻魔大王と恐怖の女王の闘いについて考えていました』なんて口が裂けても言えない。

蓮さんが本当に閻魔大王に変身して、私が怯えて、ケンさんは大爆笑して、海斗は私を助けようともせず、彼女からのメールを眺めながらニヤけている。

そんな光景が一瞬にして脳裏に浮かんだ私ってある意味すごいかもしれない……。

「どうした?疲れたのか?」

蓮さんが私の顔を覗き込んだ。

「え?全然大丈夫!……で、ケンさん、なんだっけ?」

私は心の中が読める蓮さんに顔を見つめられるのは危険だと察知してケンさんの方に視線を移した。

「ん?修学旅行の話だよ」

「修学旅行?」

「そう、楽しみでしょ?」

「あぁ……まぁ……」

「あれ~?楽しみじゃないの?」

「う……うん」

「じゃあ、なんで参加すんの?行きたくないならブッちぎればいいじゃん」

「……そ……そうなんだけど。ちょっと……」

口篭る私と対照的に興味津々の瞳で私を見つめてくるケンさん。

「単位がギリギリなんだよ」

私の代わりに修学旅行に参加しないといけない理由をケンさんに言ったのは海斗だった。

「ギリギリ?」

ケンさんが視線を向けたのは私じゃなくて蓮さんだった。

「タバコだ」

「タバコ?」

蓮さんの顔と私の顔を交互に見るケンさん。

「あっ!!もしかして今、鍵を持ってんのって美桜ちん?」

「鍵?」

「そうだ」

「なるほど。やっと分かった」

ケンさんは謎が解けてすっきりした表情を浮かべた。

あの……。

私には話が全然分からないんですけど……。

「……鍵ってなに?」

恐る恐る蓮さんに尋ねてみた。

「お前が持ってんだろ?屋上の鍵の事だ」

「あぁ、屋上の鍵ね……なんでケンさんが鍵の事知ってるの?」

私はケンさんに視線を向けた。

「だって、その鍵を使ってたの俺達だもん」

「え?」

「俺とケンが中等部の時に使っていた鍵だ」

「そ……そうなの?」

蓮さんとケンさんが中等部に通っていた時に使っていた鍵。

……ってことは……。

蓮さんとケンさんも屋上でタバコを吸っていたってことじゃ……。

「あの鍵ってどこから手に入れたの?」

ずっと聞こうと思って忘れていた!!

「あ?どこだっけ?」

蓮さんがケンさんの顔を見た。

「えっと……確か……誰かが勝手に作ったんじゃなかったか?」

「勝手に?学校の許可無くそんな事をしてもいいの!?」

「いいんじゃねぇか?」

呑気に蓮さんが答えた。

「そうそう、教室で堂々とタバコを吸われるよりいいだろ?」

教室で堂々とタバコを吸おうと思う人なんていないでしょ……。

そう言おうとして、気付いた。

この二人ならやりかねない……。

……だって想像できる……。

教室で大爆笑しながらタバコを手に持っているケンさんと不機嫌な顔してダルそうにタバコを銜えてる蓮さん……

「俺達が中等部を卒業する時、チームの後輩に渡したんだ。それから、代々卒業する奴が後輩にやっていたみたいだけどな。学校側も分かってて何も言わないからいいんじゃねぇのか?」

蓮さんがタバコに火を点けながら教えてくれた。

「……先生達も知っているの!?」

「あぁ」

「じゃあ、私が屋上でタバコ吸っているのも……」

「バレてる」

「そ……そうなの!?」

「……お前、バレてないと思っていたのか?」

「……うん」

「俺も知ってたけど?」

今まで黙っていた海斗がやっと口を開いたと思ったらとんでもないカミングアウトをした。

「はぁ!?」

「俺だけじゃなくて、麗奈やアユムも知っているけど?」

……どうせカミングアウトするなら、小出しじゃなくて一回で済ませて欲しい……。

「……冗談でしょ?今まで、何も言わなかったじゃん!!」

「お前が何も言わねぇから、触れられたくねぇのかと思って」

「……」

「別に隠す必要なんてねぇのに」

「……どういう意味?」

「麗奈もアユムもタバコ吸うし」

「……はぁ!?」

……今までの私の苦労はなんだったんだろう?

時間を見つけてはこっそりと屋上に通っていた私って……。

「蓮」

「ん?」

「美桜ちんに“禁煙”させんのは無理っぽいな」

「あ?」

「周りにこんだけタバコを吸う奴がいたら禁煙なんて無理だろ?」

「だな」

「まぁ、お前が屋上の鍵を美桜ちんに渡した時点で禁煙は無理だろうけどな」

「……」


蓮さんは気まずそうにケンさんから視線を逸らした。


「麗奈達はどこで吸ってんの?学校でも吸ってるんでしょ?」

「お前が一人になると可哀想だからって、お前が屋上に行ってる時に体育館の裏とかトイレとかじゃねぇか?」

「……そう」

また、自分では気付かないうちに私は麗奈達に優しさを貰っていたんだ……。

「今度から、お前が誘ってやれよ」

蓮さんが私の頭をポンポンと叩いた。

「……うん!!」

「だけどな」

急に蓮さんの声が低くなった。

「な……なに?」

「屋上に行き過ぎて単位が足りないって言って許すのは今回が最後だ」

「……うん」

「それから、お前が俺と別で旅行に行かせるのも今回が最後だ」

「え?」

「初めての旅行なんだろ?」

「うん」

「一日だけど思いっきり楽しんで来い」

……多分。

これは、蓮さんの優しさ。

最後の旅行って言うのは優しい嘘。

もしこの先、私がどうしても友達と旅行に行きたいって言ったら、蓮さんは絶対に行かせてくれる。

蓮さんが優しい嘘で私を送り出そうとしてくれている。

最後の旅行って言えば私は組長との約束を守るために必死で想い出を作ってくる事を蓮さんは分かっているから……。

蓮さんは、そういう人。

いつでも、私の事を一番に考えてくれる人。

そんな蓮さんの優しさに気付く事が出来たから、私は笑顔で頷いた。

「うん!麗奈達とたくさん思い出を作ってくる!!」

蓮さんは嬉しそうな笑みを浮べた。

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