8. 私たちが実行できる SDGs とは (「月曜日の」広告と人権) (2)


(4) 考察とまとめ


 冒頭で述べたように、こういった状況の中で私たち個人ができることは SDGs という観点からの意識改革だと思う。SDGs は企業レベルで実行するとすれば、努力分野を特定したり、数値目標を決めたりと面倒なことが多い。しかし、個人レベルでまずできることといえば、「これは他人を尊重するものだろうか?」という問いかけをすることではないだろうか。

 繰り返しになるが、国連が目指すところは、人間が互いに人間らしく他者を認めて共存していくことだ。今の日本では、一見すると豊かで物に溢れ、人々は互いを尊重して平和な生活を送っているように見える。しかし、「G」のようなマンガが人気を集め、商品化されるという事実は日本の精神的な闇を表している。つまりは日本人一般の自我における男性性は、性の対象が「G」に出てくる女子高生ぐらい無知で無防備でなければ、自らが脅かされてしまうという事実を表しているのではないか。その背景にあるのは、「失敗してはいけない」という完璧主義であるように思う。

 制服に始まって、髪の長さやスカートの長さ、ズボンの形と日本の学校は画一性に無駄とも思える努力を傾け、そこで育つわたしたちは無意識の中に「皆と同じでなくてはならない」という基準観を刷り込まれる(*48)。これから外れると、途端に実生活やネット上で罵倒されてしまう。しかしこの罵倒は自分が外れるかもしれないという恐怖の裏返しではないか。となればわたしたちは、日々薄氷を踏む思いで「普通」に見える生き方をしているといえよう。

 そんな中で SDGs を持ち出して、「多様性」だの「性の平等」だのを謳ってみても表面的ななものにしかならないのはある意味当然だと言える。しかし、ビジネスにおいてはグローバル化は不可逆的に進行し、それは外向きだけでなく、内向きに海外の労働力が流入する傾向は加速しつつある(*49)。つまり「多様性」や「性の平等」が綺麗事で終わらない状況に日本は向かいつつある。

 先日、空港で海外からの「労働研修」に来た、まだ高校生のような年齢の男性グループを見かけた。「高校生」と思ったのは、彼らの年齢だけでなく、全員丸刈りで白のワイシャツに黒のスラックスを履いていたからだ。到着ロビーに抜ける出口を出てきた彼らは、甲子園の野球チームのように横一列に並ばされ黙って前を向き、グループの残りのメンバーが入国検査を終えて出てくるのを待っていた。列の最端には、中年の日本人男性が「労働研修」という旗の横に立ち、やはり黙って列が少しずつ長くなっていくのを見ていた。「よく来たね」でも「長旅お疲れ様」でもなく、途端に日本の「普通」に組み込まれる人々の様子は異様だった。

 しかし、彼らを「型」に嵌める行為はわたしたちが自分に課している行為でもある。そしてそれに気付くと気付かずに関係なく、そこから抜け出すのは難しい。その難しさから起きる鬱屈は、様々な表現に滲み出る。ラノベでいわゆる転生物が流行るのは、その一端と考えられないか。実際の人生は先行きがわからない。そこで、チートで将来に何が起きるかわかって悪い事象を避けられたり、特別な能力で有利な立場を獲得できたりするのは、現実で感じる不安や鬱屈を解消させるのではないか。転生してまでテンプレートのある世界に行くのは、やはり先行きが読めない不安を避けるためだろう。異性関係においても同じだ。よく見知った異性である妹、まだ精神的に成熟していない中学生または高校生、相手から全面的に好意を寄せられる設定などは、すべての不安が排除された安全な妄想だ。妄想が悪いとは言わない。それは現実への緩衝材だ。

 しかし、それが社会現象になり、ステレオタイプを構成し始めてしまうなら、それは思想となる。言葉と、それに基づく思想を売るのが出版社だ。だとすれば、言葉と思想を流布するときに、妄想という緩衝材がこれほどまでに必要とされる社会に対して、何ができるのか、その中でどのように事業を持続させていくのかを考えるのが企業として持つべき基本的な姿勢ではないだろうか。ドラッグが売れるからと言って、制限もなく売れば社会的荒廃は避けられない。妄想も同じではないか。「売れるから」という理由で同じような妄想を増殖させて売るから、日本人の感覚は麻痺して、子供相手に性行為を妄想するマンガの広告を世界的な経済新聞が載せるほどになっている。これを社会的荒廃とは言わないだろうか。

 そして、わたしたちが必死に目指す「普通」はもはや幻想だ。日本は既に一人当たりの GDP で見ると世界 30 位になっている(*50)。貧困層も拡大し、子どもの 6 人に 1 人が標準的な生活水準の半分未満で生活している。また、それが教育や健康を確保する機会の格差に繋がっている(*51)。前述したようにグローバル化が進行するということは、競争の範囲も広がるということだ。そのグローバル化の中でビジネスを持続させようとするなら、世界の市場について知る必要があるし、世界の標準に合わせる必要もある。それがソフトウェアであれ、スーパーマーケットであれ、グローバル化は一筋縄では行かない。自国では最大手であるテスコもカルフールも日本から撤退した。逆に日本の携帯電話事業では、自国の通信規格を諦めなくてはならなかった。GDP が落ち込み、次を担う世代の 6 分の 1 が高等教育を受けられない状況にある国が、グローバル化を生き延びなければならないとすれば、出版社やメディアとしてできることは国民の知性の底上げではないか。そして SDGs の啓蒙は、なぜそれが必要なのかという背景を知ることで、世界を知る一環となり得るのではないか。そのためにこそ、企業の長には大局を見て社内全体に方向を示し、足並みを揃えさせる責があるはずだ。

 もちろん、SDGs を語ることは企業トップだけの責任ではない。「G」というマンガを出版しようと企画した担当者、その広告を自社の新聞に載せようと発案したセールス担当者。それぞれに自社で啓蒙している SDGs が何かを正しく理解していれば、その企画を出すことはなかっただろう。SDGs を――人を人として意識する――を理解していれば、それが表現の自由の名の下に他者を蔑む行為であり、その行為の動機となる社会的な鬱屈にも目が行ったかもしれない。

 そのために、わたしたちの一人ひとりが SDGs の大元である「人を人として意識し、扱う」という意識改革をしていくことが必要なのだと思う。



(おわり)




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