7. SDGs 導入の理想と現実


 前章では、企業が SDGs への貢献を謳っていながら現実には則していない、SDG ウォッシュについて紹介した。

「でも、SDG ウォッシュが指摘されたからってどうってことないでしょ。SDGs は自主的にやっていることなんだから」と思ってはいけない。会社の世界的な信用に関わってくる。

 この SDG ウォッシュの世界的なやり玉に上がってしまったのが、ファスト ファッションで有名な F 社だ。F 社は、2021 年に新疆ウイグル自治区の工場で強制労働に加担していると指摘され、フランス検察当局の捜査対象となり(*17, *18)、米国では輸入禁止品の新疆自治区の木綿を使っているという理由でメンズのシャツが輸入禁止になっている(*19, *20, *21)。F 社は人権侵害の疑いのある原料を使用していないことを第三者機関を通じて確認していると発表しているが、同年 4 月の決算会見で「政治的なことなのでノーコメント」としたことに批判的な見方もあった(*22)。ことに B 社のニュースは、「F 社は政治的に沈黙することで中国市場での生き残りを確保した」と揶揄した(*23)。ただ、その一方で F 社はその生き残りをかけた中国市場で地道にマーケティングを進めたことも併せて今年、2022 年 7 月に営業利益予想を上方修正し、これに従い株価が 1 日で 8.5% も上昇した(*24, *25)。一方、同じくウイグル自治区での人権がらみで批判された米国 N 社とスウェーデンの H 社は、中国で行われているという人権侵害、強制労働、現代の奴隷制に関して反対を公式に表明した。この結果、中国で同社の不買運動が起こり、売上が著しく低下した(*26)。

 確かに、社会や環境に貢献しつつ、業績を上げられれば理想的だ。しかし、国連が望むほど現実は甘くない。

 私達自身も人権侵害は許せないと思いつつ、本当に F 社が新疆自治区の木綿を使っていた場合に「F 社の商品は買わない」と実行に移せる人は何人いるだろうか。そして、人権侵害をしていない木綿を使った衣料のために何百円かを余計に払うことはできるだろうか。企業はその数百円が人々の選択を促し、最終的には自社の莫大な利益になることを知っているから、低い対価で仕事を請け負う業者を選ぶ。その際に、その業者がどんな労働条件を従業員に課しているのか、更にまた下請けに任せるのか、バリュー チェーン全体で人権を守ると宣言したとはいえ、どれほどの企業が実際に把握できるものなのだろうか。

 そして、それは企業だけでなく、バリュー チェーンの下流にいる個々の消費者である私達でも同様である。前述の F 社だけではなく、数多あるファスト ファッションのブランドや 100 円ショップの企業はほぼ間違いなく、驚くほど低賃金で東南アジアの労働者を使っているだろう。それを理解して今後は 100 円ショップを使わないと宣言できる人はいるだろうか。そもそも、かつて街なかにあった金物屋や雑貨屋、文房具店などは、100 円ショップに取って代わられていて選択肢が極端に減っている。ちょっとした家庭用品を 100 円ショップ以外で見つけるのは今や難しいくらいだ。だったらオンラインで国産品を買ったらいい、と考えても、オンライン ショップの倉庫手配や配達業者は夜遅くまでの労働を要求される場合もあり、国内でも健全で人間的な労働条件が隅々まで行き届いているとは言えない。ということは、私達の日々の生活には程度の差こそあれ、自動的に人権問題が組み込まれていて、避けようがないということになる。

 それでは、企業や私達が SDGs を達成するのは無理なのだろうか。SDGs に向けての努力は無駄なのだろうか。

 私はそうは思わない。まず、私達ができることは SDGs についての正しい知識を持つことだ。その知識に基づいて、自分の行動を決める。100 円ショップを使わないのは無理だとしても、せめて T シャツに新疆産木綿と書いてあったら買わないくらいはできる。こまめに電気を消したり、歯磨きの間水を止めたりして、少しずつ省資源ができるように、誰もが SDGs を見極めて、ちゃんと頑張っていそうな会社(*27) の製品を選ぶようにすれば、企業の間でもそれが波及するはずだ。それこそが国連が目指すところではないだろうか。


 そういう意味では、F 社も SDGs についての知識の掘り下げが少したりなかったのではないかと思う。2021 年 4 月のF 社の決算会見では、中国の人権問題について質問が上がり、同社の社長は「政治的には中立な立場でやっていきたい。ノーコメントとさせていただきたい」と答えた(*28)。個人的な意見になるが、これについてはもうちょっと言い方があったんじゃないかなと思う。

 というのは、SDGs そのものが政治的だからだ。国連は、各国間の摩擦や差別を解消するために、世界平和と社会発展に協力することを誓った独立国家が集まって作った組織だ(*29)。その国連が提唱して各国政府が推進している方針を自社で採択した一方で、政治的には中立なのはありえない。SDGs を自社方針に入れた時点でそれなりの覚悟は必要だと思う。だからといって、中国なしに製造業は立ち行かない。とすれば「どこの国であろうとも人権侵害は由々しき問題だが、当社の製品ではそのような原料は使わっていないことを精査している」のようなことを言っておけば、中国ビジネスも継続できて、かつ SDG ウォッシュだと叩かれずに済んだのではないか (多分……)。


 と、これを書いていた矢先の 2022 年 8 月 31 日に、国連が「中国・新疆地区で深刻な人権侵害がある」とする報告書を発表した(*30)。このニュースを受けて、中国に生産拠点を持つ企業は、今後、より本腰を入れて自社のバリュー チェーン内の雇用・就労・人権問題を把握しなくてはならないだろう(*31)。

 本当は、それぞれの企業がまっとうに社員のことを考えて経営をしていれば、下流の企業がいちいちサプライヤーでの人権の取り扱いがどうなっているかなんて調べなくてもいいのだが、古今東西、階級制度と搾取は人間の歴史の一部でもある。それを無くそう、という試みは文明化の過程であって、ということはつまり、私たちは未だに他者を見下す野蛮な精神を持ちながら生きているのだ。

「サステナビリティ」と新たな視点を入れてはいるものの、国連の目指すところは「差別の廃止」だ。企業としてであれ、個人としてであれ、私たちは他の人を自分と同じ心や感情を持つ人として意識する想像力が必要なのではないか。お店で商品を手に取ったときに、その商品がどんな人たちの手を経てそこまでたどり着いたかをほんのちょっと想像してみて、それを元に商品を選ぶことが SDGs の一歩になるのではないかと思う。


 次章では「私たちが実行できる SDGs とは何なのか」について述べることで、この SDGs 入門の締めくくりとしたい。




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