もう一つの自分

 いつの間にか、冷めている自分が存在していることに気付いた。

 常にそうというわけではない。

 だが何か夢を語ったりこうなったらいいなぁと話していると現れる存在。

 そんなの無理に決まっていると、冷たく吐き捨てる。やってみなければ分からないことなのに。


 その自分が大っ嫌いだった。

 そいつが出てきた後には我に返って、人の目が気になったり自分のしていることが無駄じゃないか。

 なんて思ってしまう。

 このことは誰も知らない。店長も結ちゃんも家族も。本当の私を誰も知らない。

 教えない、絶対に見せない。みんなが大好きな私だけを見せてあげる。

 あんなの私じゃない。明るくて元気でのんきで歌うことが大好きでそれが私。それ以外は認めない。


 今どき珍しい手動の扉をゆっくりと開ける。

 店長がどういうことを考えているか分からないが結構不便だ。

 一刻も早く自動ドアに替えて頂きたいものだ。


 時計は8時10分を示していた。この時刻だと店長と誰か一人、店員がいるはずだ。

「あっ、文香ちゃん。おはよう、早いね~。手伝いに来てくれたの」

「おはようございます~。はいっ。先輩たちのお手伝いをしようと思って早めに来ましたっ! 

 今は店長と百村さんだけですかぁ」

「そうなのね。ありがとう。ただ今は私だけよ。店長から何も連絡が来ていないの。

 鍵は私が持っていたから、とりあえず開けるだけ開けたけどね」


 店長から何も連絡が来ていないなんて、そんなのは初めてだ。

 常に連絡は欠かさない人だから何かに巻き込まれているのかと思ってしまう。無事だといいのだが。

「あっ」

 そういえば今日はシャノワール小村という巷で噂の占い師がこの街に来ると店長が言っていた。

 この情報はこの店内では、店長しか知らないとも言っていた。


 あぁ、なるほど、そういうことか。

 店長はあまりにも楽しみで連絡を忘れているといったところだろう。

 確定というわけではないがこの説が濃厚だと思われる。

 多分そうだ。店長はその話をしている時にとても目を輝かせていた。

 あの様子を見るからに興奮で連絡を忘れているという可能性はなかなか高くなる。


 そうしているとどんどん人が出勤して来た。

 出勤時間が近づいてに行くにつれ、徐々に焦りの様子が見えてくる。

 全く連絡がないならそうなってしまうのは仕方ないだろう。

 8時45分ぐらいになるとついに私以外全員慌て始めていた。

 とりあえず連絡する人、これから一体どうしようかリーダーと考える人。取る行動は人それぞれ。

 そんな様子を少し心の中で笑いつつ、小説コーナーに行き良い本がないかを探しに行った。

 店長がシャノワール小村のことがとても好きという情報を知らなければ、自分も焦っていただろう。

 でも知っているから冷静で客観的でいられる。目の前に広がっている光景がまるで映画のように感じる。

 観客は私一人だけの寂しい映画館。でも別に嫌いってわけではない。

 一人だけ事情を知っていて蚊帳の外のような状況もそれはそれで面白いものだ。


 本は小説や漫画に限らず色んな世界に連れて行ってくれる。

 ちょっとした日常の延長線上の世界やファンタジーや戦国時代などなど。

 その中でも一番好きなのはやっぱり小説。何故なら自分で色々と想像できるからだ。


 最近のマイブームは、ローファンタジーだ。

 もう少し具体的に言うとすれば、日常の中に潜むファンタジー。

 森の奥に見たことがないお店があったり、

 屋根裏にずっと前から置いてある鏡台がどこか違う世界に繋がっていたりと。とても夢がある。

 本は基本的にジャンルごちゃ混ぜで置いてある。ホラーや時代小説は基本的に分けられているが。

 探す時は題名で判断しないといけない。それか事前に調べておくか、どちらかだ。


 今日は調べていないから直感で好みの本を探しあてることに。

 題名だけで当てるのは至難の技だがそこが楽しい。

 一発で上手く行くかもしれないし何回も探さなくてはいけないかもしれない。それが良いのだ。

 目で本の題名を追っていく。

 英語、カタカナ、ひらがな、漢字。同じ本でも様々な題名がずらりと並んでいる。

 意味が分からなくても、これだと思ったものを手に取る。すると案外自分の好みだったりするのだ。


「ん?」

 一冊の本が気になり取り出すことにした。

 『記憶の迷路』という題名の本。表紙には迷路が描かれている。

 その中に人が一人、出口を探しているというものだった。

「……どこかで見たことあるような……。気のせいかな」


『へぇ。亀山さんって小説を読んだりするんですね』

 夢の中で聞いたのと同じ声が頭の中で響いた。つい驚いてしまい本を手から放してしまった。

 幸い、床には落ちず平積みにされている本の上に落ちた。

『あっ、ごめんなさい。驚かせてしまいましたか。その本、私も読んだことがあるからつい気になって……』

 今度はまるでタイミングを見計らったかのような言葉だった。

 だが冷静に考えて過去にも同じような場面があったのだろう。


 そろそろ彼女も来る頃だ。降りて待っておくとしよう。

 本を戸棚に戻してから階段を降りて行った。

 営業時間、5分前。この時間にいつも出勤して来る。

 何か手伝って欲しいと言われたらその時間通りに来る。

 だがそう言われない限りは決まってこの時間だ。

 

 ガラリと戸が開いた。

 やっぱり、いつもの時間だ。そこには彼女の姿があった。

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