第3章 翅

第13話 秘匿滅獣機関

 ベルタ・アルニム。そして、あんたの叔母。そう名乗った女性は、そのたくましい腕を体の前で組み、ニカっと眩しい顔をアルマに向けている。


「叔母……? アルニム家の? あ、私ったら挨拶もせずに、しかもベッドの上で……。叔母様になんて失礼なことを」


「あ、こら」

「まだ駄目だよ」


 制止するベルタとオスヴァルトの声も虚しく、慌ててベッドから降りようとしたアルマは苦痛に顔をゆがめた。


「あ……、つつつ」


「ほら、大怪我してんだから無理すんじゃないよ」


 倒れそうになったところをベルタに支えられると、明らかに質の違う筋肉の感触を覚えながらも母を思い出し、いっそ子供のように甘えたくなってしまう。


「あの、それで、兄様。私の怪我ってどれくらいで治るんでしょうか?」


 アルマはオスヴァルトに視線を移すも、彼はすぐにベッドの反対側にいる叔母を見遣みやり、アルマもそれにならった。


「やれやれ。あんたはナイフで腹を刺された。ここまでは覚えてるね?」


 アルマは違和感を覚え、首を傾げながらも「はい」と返事をする。


「うん。そして、傷の様子から見るに、深々と刺さりはしたが奇跡的に内臓の損傷は少なかったらしい。それでも医者が言うには、6週間くらいはここにいた方が良いだろう、ということだよ。あー、ここっていうのは、ツチダの教会のことね」


「6週間も……」

「いや、6週間しか、だよ」


 6週間という数字を聞いてうつむき加減になるアルマに対して、オスヴァルトは妹を勇気づけるように明るい声で語りだす。


「医者が言うにはね、内臓の損傷個所を見る限り、かなり深くまでやいばが及んでいたようなんだが、内臓の間を通ったようで致命傷にならなかったそうだ。これを奇跡と呼ばずして何だというのかと、私は思うのだよ。お前もそう思うだろう? アルマ」


「そうね。ふふ、おかしいわ。兄様ったら」


「はいはい、兄妹きょうだいの語らいはそれくらいにして、オスヴァルトには帰ってもらっていいかな? あたしとアルマで女同士の秘密の話をしなくちゃいけないんでな。それにオスヴァルトはそろそろあっちに戻らなきゃいけないんだろ?」


「おお、そうでした。それでは叔母上、私はこれにて失礼します。妹をくれぐれもよろしくお願いします。それから、妹の命を助けて頂いて本当にありがとうございました。このご恩はいずれフォーゲル家をげてお返しすることにいたしましょう」


 そう言ってオスヴァルトはベルタに深々とお辞儀をして去っていくのだった。


「さてと、周りには誰もないから、女だけで秘密のお喋りをしようじゃないか」


 オスヴァルトがいなくなってほんの少ししか経っていないというのに、ベルタは見回しもせずに話を切り出した。


「回りくどいやり取りはできない性分だから単刀直入に聞くが、アルマ、あんたはケモノがえるんだね? あ、隠そうとしなくても大丈夫だよ。あたしもえるからね」


 先ほど感じた違和感はこれだったのかと、アルマは一人頷く。であれば、隠す必要はないが余計なことを話すのにはまだ早い。


「はい、えます」


 アルマはベルタの質問に短く答えを返す。


「すると、やはりジルケさんか。どうだい、あんた。秘匿滅獣機関イビガ・フリーデに入る気はないかい?」


 ベルタは自身の言う通り回りくどいやり取りが苦手なようで、先ほどから直截ちょくせつ的な物言いが目立つ。或いは腹に怪我を抱える姪を気遣ってのことか。いずれにしても、秘匿滅獣機関イビガ・フリーデなるものは、アルマには初耳である。しかし、記憶を辿ればヒントはあった。


「そのイビガ・フリーデというのは、シェスト教会の組織、ということで合ってますか?」


「うん? そうか、ジルケさんから詳しく聞いてないのか。ああ、その通り、シェスト教の組織さ」


 つまりそういうことかと、アルマは一人得心する。そして、イビガ・フリーデと言う組織に深い興味を覚えたが、どうにもドロテの顔が頭から離れない。


「ベルタ叔母様、折角お誘い頂いたのに申し訳ないのですけど……」


「あー、いいよ、皆まで言わなくても。どうにも断わりの口上を聞くのは苦手でね。ま、何かあったら頼ってくれていいから。可愛い姪っ子のためなら何でもするからね」


「そのときはよろしくお願いしますね。それで、叔母様に連絡を取りたいときはどうすればいいのでしょう? 普段はどちらにいらっしゃいますか?」


「ああ、ジルケさんに言ってくれればいいよ」


「分かりました。何か秘密の方法があるのですね。ところで、叔母様はイビガ・フリーデに所属してらして、私が対峙していたケモノもえていたのですよね。あれがどうなったのか教えて下さいませんか」


 薄れゆく意識の中で聞いたあの声は、ベルタか或いはイビガ・フリーデの誰かのものなのだろう。アルマは期待を込めて聞いたのだが、返事はあっさりとしたものだった。


「あれか、あれね。残念ながらあいつには逃げられちまったんだ」


「そうでしたか……。あれは中々に手強い相手でしたからね」


「違うんだ」


「え?」


 何が違うのだろうかとベルタをじっと見れば、彼女は面倒くさそうに口を開く。


「あんたが刺された後、碌に戦う事すらできなかった。あいつはもやになって、風に流されるようにどこかへ行ってしまったんだ。そうなれば追い続けることも難しい。実にうまいこと逃げたもんだ」


 アルマはなおも腑に落ちないような顔でじっと見ている。ベルタはその胸中を察したのか、大袈裟に肩をすくめて聞かれてもいない質問に答えた。


「何となくアルマの言いたいことは分かったが、それは無理だ。滅獣の理はケモノにしか効かない。黒靄こくあいからケモノが生まれるというのに、まったくおかしな話だがね」


「まあ。そうだったのですね。私はすっかり黒靄こくあいも消滅できるものだと」


「そうできればいいんだけどねえ。ま、消えないものはしょうがない。それより、これからの話をしよう、と思ったが」


 アルマは久しぶりに起こした体がそろそろ限界のようで、まぶたが半開きのまま今にも舟をこぎ出そうとしている。


「続きはまた起きたときにしようか。ゆっくりお休みよ、アルマ」



 次に天井が見えたとき、周りには誰もいなかった。オイレン・アウゲン梟の瞳で確認してみるに、少し離れたところでもやがいくつか感じられることから、無人というわけではなさそうだ。

 あれから何日経ったのだろうと思いながら、のどの渇きに上体を起こして近くの水差しとコップを手に取る。生ぬるい液体がのどを通り過ぎた辺りで、部屋の外から2人の話し声が聞こえてきた。

 1人は若い男。もう1人は女。どちらもアルマには聞き覚えのある声だ。

 ギィィと扉が開いて、入ってきたのは見慣れたあの顔。アルマが上体を起こしていたからか、目が合った途端に上機嫌になったようだ。


「やぁ、アルマ。久しぶりだね。今日は体調がいいようで何よりだ」


「ご機嫌よう、兄様。私からしてみれば1日しか経過していないのだけれど、お久しぶりなのかしら?」


「うん。2日ぶりくらいかな」


「また2日も寝てたのですね。我が身ながら随分と眠れるものです。それで、叔母様とお二人で今日はどんなご用事ですか?」


「私はただのお見舞いさ。叔母上は何やら私たち兄妹が揃っているところで話したいことがあるようだけど」


 すると、後から入ってきたベルタは、わざわざ兄妹が見える位置に移動して話し出した。


「アルマ、あと一週間もすれば傷口が塞がるらしいんだが、その後はどうするね?」


「どうする、とは?」


「治療をどこで続けるか、だな。このツチダの教会か、イヌイに戻るか。オスヴァルトに聞いたんだが、お屋敷で侍女をやってるって言うもんだから、確認だよ。あたしはイヌイがいいと思うがね」


「そういうことでしたのね。兄様、グスタフ様やヴィンシェンツ様は私の処遇について何か仰っているのかしら?」


「グスタフ様から『普通に歩けるようになったらこっちに戻ってこい』とは言われてるね」


「そうですか。ありがたいお言葉です。それならば、叔母様。私、歩けるようになるまでここで治療を受けて、その後、イヌイに戻るようにいたします。よろしいですか?」


「ま、それが妥当なところだね。医者にはあたしから伝えておくよ」


「はい、よろしくお願いします」


 あたしはこれで、とベルタが去れば、すかさずオスヴァルトが興味津々に聞いてくる。


「アルマ、この前は叔母上と何の話をしたんだい?」


「あら、兄様。女同士の話を聞きたがるなんて、それは無粋というものですよ」


「そうなのかい?」


「そうです」


 なぜならそれは教会が秘匿しているものなのだから、とアルマは心の中で残念そうに呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る