第18話

二人は叔父の家から車で10分ほどの所にあるスーパー銭湯へ向かった。父は先ほどまで高速を走らせていたお気に入りのセダンを広々とした駐車場へ停めた。その駐車場はサッカーの試合が出来そうなほど広かったが、ほとんどの場所には既に車が停められていた。

彼が車から出ると、大きく「湯」と書かれた看板が明るくライトアップされていた。看板の横からは、ボイラーが作り出した湯気がうっすらと立ち上っていた。


湯気で曇ったガラス戸を開けると、浴場は様々な年代の男たちで溢れていた。若者や子供たちは活気に満ちて、話し声をあたりに響かせていた。反対に老人たちは、日々の疲れを静かに洗い流しているように見えた。


彼は父と並んでプラスチックの風呂椅子に座りシャワーを勢いよく浴びた。熱いお湯が彼の首筋を伝い、背中へと流れて行った。新幹線の効きすぎなくらいの冷房で冷えていた彼の体は、その熱で心地よくほぐれていった。


いくつかあるうちの一番広い浴槽につかると、彼は両足を伸ばし、ふーっと大きく息をついた。風呂の熱を感じて、彼の体の中の血が一気に巡り始めたのが分かった。アパートのシャワーだけでこの夏ずっと過ごして来た彼にとって、それは久しぶりの感覚だった。


父はそんな彼を見て快活に笑うと、

「久しぶりに入ると気持ちいいだろ?」と言った。

「風呂は、日本の心だからなあ。」

彼は湯に顎を付けたまま目を閉じて、小さくうなずいた。

「うん、凄く気持ちいい。」


「どうして風呂が気持ちいいか、知ってるか?」と父は尋ねた。

彼は少し考えて分からないと答えた。風呂の熱は、彼の思考能力を少し低下させている様だった。

「風呂に入ると人は解放されるんだよ、情報の洪水から。」父はそう言って、持っていたタオルを頭の上に乗せた。


「情報のこうずい?」

「そうだ。現代ってのは情報化社会って言われるだろ?みんな暇さえあればスマホでせっせと情報を集めてる。誰かがしくじって誤ってるニュースだとか、友達と遊園地行ったっていう報告だとか。でもそういう情報の中でお前に本当に必要なものって一体どれだけあると思う?」と父は彼に尋ねた。


彼は確かにこの夏、ネットやテレビで色々な情報に触れていた。しかしその中に自分に必要な情報はあったのかと聞かれると、正直何ひとつ思い浮かばなかった。父はそんなことを考えている彼を横目に話し続けた。

「そういう要らない情報ばかりを集めていると、人間は段々何が本当に大事なのかを見失っていくもんなんだよ。そしていつの間にか、情報を集めていないと社会に取り残されたような気がして不安になってくる。それが今の日本であり、情報化社会ってやつの正体なんだよ。」


彼はまさに自分のことだなと感じて、やれやれと思った。父は浴槽のふちに肘をかけて、水滴がびっしりと付いた天井を見上げた。

「風呂へ来て湯につかった時人は解放されるんだよ、要らない情報から。なぜなら風呂ってのは、湯があって裸の人間がいるっているただそれだけだからだよ。ここにはそれ以上の情報は必要ない。銭湯に来ると人はそのことが直感的に分かるんだろうなあ。」

「じゃあ、サウナに付いてるテレビも要らんの?」と彼は尋ねてみた。

「あれも本当は必要ないな。まあ付いてたら見るけども。」と言って父は笑った。

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