【第9話】悪役令嬢INクローゼット

 …やってしまった…

"私"、(元)乙女ゲーマー・平凡OL波佐間悠子こと、現在は密かなキャラ変中でもある悪役令嬢エリスレア・ヴィスコンティは今、非常に動揺していた。


 あれだけ気をつけなければいけないとわかっていたのに…。

 どうやら好感度を上げすぎてしまったらしい。

こんなイベントゲームじゃなかったよおおおおおみたいな心の叫びを上げていた。


 その日、私は先日の約束通り部屋に紅茶の葉を届けにきてくれたジェイドと、密やかなお茶会を楽しんでいた。何かを勘違いした(ある意味では勘違いではないけれど)マリエッタのサポートもあって、お茶会自体は和やかに進んでいたのが、そこに不意に予想外の来客があったのだ。


 来客を告げるノックの音に続いて「…―様がいらっしゃいました。エリスレア様、いらっしゃいますか?」という侍女の声が聞こえてくる。

 今日は特に約束があったわけではないはずだ。おそらくは贔屓にしている商人が近くまで来たから挨拶にきた…とかその程度の用事だろうと考えているうちに、私よりも先に反応したのがマリエッタだった。

 彼女は、このお茶会を"我儘お嬢様の戯れ"とは考えておらず、やっぱり"道ならぬ恋"の"秘密の逢瀬"と勘違いしているのだろう。こんなところを見られてはまずいと、勝手に判断したようで、「お二人はここに隠れていて下さい!!!私が何とか誤魔化してみせますから!」と、物凄い剣幕で私とジェイドを二人まとめてクローゼットに押し込んでしまったのだ。

冷静に考えれば別に隠れる必要はなかったのだが、そのマリエッタの剣幕に私は圧倒されてしまったし、おそらくはジェイドもそうだったのだろう。

 訳もわからないまま、狭い…(とは言え、波佐間悠子からすると滅茶苦茶大きくて広い)クローゼットの中に閉じ込められてしまった。


 扉を閉めきったクローゼットの中は、当然暗くて何が何処にあるかもわからない。

一緒に押し込められた際に、私が転んだり何かに頭や身体をぶつけないように配慮したのだろう。ジェイドは咄嗟に私の肩をぎゅっと抱いていて、半ば抱きしめるような体勢になっていた。

 他意なんてないのは承知の上だが、その体勢と密着具合に気がつくと、私も急に気恥ずかしくなってしまう。

いくら乙女ゲームをやりこんだと言ったって、それは画面の向こうのことだ。

実際に男の人の大きな手が私の肩を抱く感触や、その手から伝わってくる熱、

顔がすぐ近くにある時に耳に入ってくるくすぐったいような息遣いなんて、一つも感じられなかった。

「…ま、マリエッタがごめんなさい…」

黙っているのも気まずくなって、

外に声が聞こえないように、小声でなんとかそれだけ搾り出す。

「…い、いえ…自分も、つい勢いに流されてしまって…」

いつもより声を落とした、低く囁くようなジェイドの声がすぐ近くで聞こえて、

不本意だけれどドキドキしてしまう。

「……こんなところを見られたら間違いなく変な誤解をされてしまいます…。

 エリスレア様には我慢をさせてしまいますが、今はこのままやり過ごしましょう」

「え、ええ…」

 クローゼットの扉越しに聞こえてくるやりとりに耳を済ませば、

マリエッタが、お嬢様はつい先ほどまでここでお茶をしていたが、丁度散歩に行くと出かけてしまったところだとかそんな風な説明を必死にしているようだった。

 特に疑われるような言い訳でもないけれど、今の自分には、とにかく今は早く客人に帰ってくれ~~~~と念を送ることしかできない。

 私の目的はあくまで"アリシアとの幸せな未来"であって、王子にしろジェイドにしろ必要以上の感情や関係を築くつもりはないけれど、それはそれとしてこんな状況は心臓に悪過ぎる…!!!!

 波佐間悠子は成人していたとは言え、リアル恋愛経験に乏しい女だったし、エリスレアだって、悪役令嬢なんて言ってもまだ15歳のうら若き純情可憐?な乙女なのだ。

異姓と暗闇で…二人きり…密着して…なんて、そんな… そんな…。

 そんな風に考えていると、段々と目が暗闇に慣れてきて、少しだけれど暗闇の中の景色も見え始めてくる。バーにかけられている沢山の私の煌びやかな衣装たち…と、私の肩をしっかりと抱くジェイドの顔だ。

 彼は私の方を見ないように目を逸らしてはいるが、その白い頬は確かに赤らんでいるのがわかるし、表情もなんだか気恥ずかしそうだ。


…あ、あれぇ…??????

照れグラフィックが解禁されるのって、かなり好感度上がってる状態からだよね??


「ジェイド…?」


 私は新たに生まれた動揺で思わず彼の顔を見上げたまま、その名前を呼んでしまった。帰ってきた彼の声色も、何となく動揺しているように聞こえる。


「……はい?」


彼は、気恥ずかしそうな視線を私の方へと向けて、そして目が合う。


「あ」


 先ほどまでは、私は暗闇に目が慣れていなくて彼の顔は見えていなかったし、彼も私から目を逸らしていたからお互いに気がつかなかったのだろう。

 しかし、ばっちりと目があってしまい、お互いに互いの顔が赤いこと、動揺した・恥じらいの表情を浮かべてしまったことを認識してしまう。

 私はより一層恥ずかしくなってしまったし、彼もそうだったのだろう。

 ますます顔が赤くなっていくのが暗闇の中でもわかる。


「…ご、ごめんなさい…」

「こちらこそ、大変な無礼を…

 こんな風に貴女に触れたりすることなど…許されることでは…」


 そう言いながら、私の肩から一度手を離そうとする気配が感じられたのだけれど、

結局その手はそのまま、また私の肩をぎゅっと強く抱えた。


「え?」

「…いえ…申し訳ありません…。

 ……暗闇では……危ないですから… 今だけ…どうか、お許し下さい…」


 切なげな、苦しげなようなその囁き声に、私は何も返せなかった。

 普段よりも大分早く聞こえる脈打つ鼓動の音が、自分の物なのか、それとも、触れた手や身体から伝わってくるジェイドの物なのかの判断もつかない。


 こんなの絶対スチル表示イベントじゃん!!!!と、

脳内のオタク・波佐間悠子だけは一足先にこのクローゼットから脱出して、

一人ゴロンゴロンと床の上を悶え転がりまわっていた。








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