第21話 思い出した男

「……ということがあって」

「なるほどね」

 注文したホットティーがテーブルに運ばれてくると、新町さんはコップを半回転させ、そのまま一口飲んだ。俺は昨日の若葉との一件を彼女に事細かに話していた。

「で、今日はなんでその話を私に?」

 大学の帰りに、新町さんを誘って近くのカフェに来ていた。彼女に伝えなければならないことがあるのだ。

「それを踏まえて、新町さんには謝りたいことがあるんだ」

「ああ、うん」

「俺、君との恋をやめることにした」

 俺の発言を聞くと、新町さんは少し首を傾げながらも、何度か小さく頷いた。

「そっか。まあでも悠真くんがそう言うのなら、仕方ないのかな」

「ごめん。俺にとっては、恋をすることよりも若葉の方が大事だと思うんだ」

「なんかそういう理屈っぽいところ、悠真くんぽいね」

「それは……、褒め言葉?」

「半分はね」

 新町さんは口を押さえて笑った。俺はその意味がよくわかなかったが、それが冗談であることを察して、胸を撫で下ろした。

「でも趣味も合うしさ、これからも仲良くしたいんだけど、それってワガママかな?」

「全然。友達としてまた遊びに行こ」

「と、友達……」

「どうかした?」

「いや、友達なんていたことないから……」

「そうなの?じゃあ私が友達1号?」

「まあ、そうなるね」

 友達という単語の響きが、俺には新鮮に思えるのだ。事故以来は人と関わるのが怖い時期がしばらく続いた。感情を失ったせいか、普通の人と価値観が合わなくなってしまったのだ。今でこそ、若葉以外の人とも普通に会話し、それとなくやり過ごす方法を覚えたが、友達という存在を作るには至らなかった。

 だから、こうやって友達となってくれる人がいてくれて、俺は本当に嬉しい。

「ねえ、悠真くん。1個疑問なんだけどさ」

「うん。何?」

「若葉は友達じゃないの?」

「若葉かー。若葉は仲間かな?友達っていうより、一緒に戦ってる仲間だね」

「仲間?ていうか一体何と戦ってるの?」

 彼女は冗談まじりにそう聞いてきたが、俺にとってそれは比喩でもなんでもない。でも、病気のことを知らない彼女にはそれを知る由もない。喋りすぎたことを少し後悔したが、新町さんだからそれほど気にする問題でもない。

「でも実際のところはさ、若葉はどう思ってるんだろうね」

 新町さんは柔和な微笑みを俺に向けた。だがその笑顔の中には何か、彼女なりの考えがある気配がした。

「今まで考えたことあった?若葉が悠真くんのことどう思ってるのか」

「いや、ないけど……」

「もう知り合って14年とかでしょ?そろそろ若葉の気持ちにも気付いてあげたら?」

「ごめん、何を言ってるかさっぱりわからないんだけど」

「まあ、そんなに距離が近かったら、逆に気づかないのかもね……」

 新町さんはコップを口に運んだ。俺は彼女が何を言いたいのかを汲み取るのに躍起になっていた。そんな落ち着きのない俺を見ながら、彼女はまた少し笑うのだ。

「若葉はね、悠真くんのことが好きなんだよ、きっと」

 俺は開いた口が塞がらなかった。俺の心にグサッと突き刺さったその台詞は、俺の意識を少しずつ奪っていく。

「ゆ、悠真くん?」

「あ、ご、ごめん。で、でも、若葉は絶対そんなことない。俺のことを好きなはずないよ」

 俺なんて、人に愛されるような人間ではない。ましてや俺の過去を知る若葉には尚更だ。恋愛すらろくにできない、体が悪くていつ死ぬかもわからない、別に対して面白い訳でもない、そんな俺を若葉が好きだなんて、常識的にあり得るはずがない。そんなはずがない。

「見てたらわかるもん。若葉の悠真くんに対する想いは本物だよ」

「か、からかわないでよ。別にそんなんじゃ……」

「それに、本当はこんなことは言いたくないんだけどさ、せっかくだし言っちゃおうかな」

「……」

 新町さんはニヤニヤと笑みを浮かべながら、話を続ける。

「悠真くんも、若葉に恋してる。違う?」

「ち、違うよ!」

 彼女が何を言い出すかと思えば、そんなことだった。俺が若葉に恋してる?いや、そんなわけはない。そもそも俺は人を好きになれないのだ。ようやく探し始めた俺だけの恋の形も、まだ発見に至っていない。そんなに簡単に他人に見破られるわけがないのだ。

「新町さんは一体、何がしたくてさっきから……」

「初めて会った時から、ずっと思ってたの。何で悠真くんと若葉はくっ付かないのかなって。お互いを想い合ってるのに、なぜか進展がない。もうそんな焦ったい2人を私は見てられないの」

 お互いを想い合ってる?俺は慌てて自分に問うた。俺が若葉に抱いている感情というのは、一体何なのだ。ずっと探していた恋というものは、最初から俺の中に存在していたのか。

「若葉と一緒にいると幸せ?」

 新町さんは突然、俺にそう聞いた。まるで心理テストのような口調だ。

「……答えなきゃダメ?」

「もちろん。若葉と一緒にいると幸せ?」

「うん、まあ」

「若葉にしか話してない秘密がある?」

「……うん」

「若葉の幸せは、自分の幸せ?」

「もちろん」

 新町さんは数回頷いて、今度は真剣な眼差しで俺を見つめた。

「若葉に会いたいって思う?」

「それは、もちろん」

「じゃあ会ってきな。それが答えだよ」

「……え?」

「悠真の想い、伝えてきな」

 俺の想い?俺は若葉をどう思ってる?そんなことは考えたこともない。俺は頭の中のもう1人の自分に、その本心を聞いてみる必要がある。

 思えば、俺はいつも彼女に頼っている。何か悩んだ時、喋り相手が欲しい時、愚痴を聞いて欲しい時、その相手は他の誰でもなく若葉であってほしい。いつも隣にいて欲しいし、彼女のいない生活など想像もしたくない。

 これが若葉に対する俺の本心だ。だがこの感情は果たして恋なのだろうか。もし仮にこれを恋とするならば、俺が探していた俺だけの恋とは一体何なのだろうか。

 いや、やはりそういうことなのか。この感情に嘘はない。これがまさに恋の正体で、俺の恋とはつまり……!!

「新町さん、俺ようやく気付いたよ」

「そっか。じゃあ早く行ってきな」

 俺は財布から引っ張り出した1000円札を彼女に渡すと、勢いよく店を飛び出した。1秒でも早く若葉に想いを伝えるため、俺はがむしゃらに走り出した。

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