第19話 嫉妬

 結局、昨夜は布団に寝転がっているだけで、全く寝れていない。だが不可解なことにそう眠くはない。

 俺はある種の衝動に駆られて、また法学部の建物に来ていた。もちろん、直接若葉に会うためだ。

 躊躇いもあった。やっていることはストーカーと同じだ。ただ、昨日の彼女の説明では俺は納得できないのだ。

 授業終了のチャイムは廊下にも鳴り響いた。その瞬間、扉を蹴破るような勢いで学生が教室から飛び出してきた。俺は必死で目を凝らして、若葉の姿を探す。

 だが、残念ながら彼女はいなかった。真面目な彼女が授業を休むとは考えづらく、教室から出てくる学生の姿すら少なくなってくると、俺はいよいよ焦り始めた。

 やがて、3人組の女の子たちが教室を出てきた。若葉の友人たちだ。何度かここを訪ねた時に、顔を見てうっすらと覚えていた。

「あの。すいません。お伺いしたいんですけど」

「え、あ、はい。何でしょうか」

 少し戸惑いながらも、足を止めてくれた。

「若葉って今日学校に来てますか?」

 俺がそう聞くと、その中の1人が眉をひそめ、俺を強く睨んだ。敵意を向けられていることはすぐにわかった。

「若葉は今日休みです。今日は体調が悪いからって連絡が来ましたけど」

「そうでしたか……」

「もしかしてあなた、若葉に何かしたんですか?」

「いえ、別に何も……」

「じゃあなぜここに来たんですか?」

「……」

 これ以上説明しても無駄だろう。彼女たちは完全に俺を敵視している。何を言っても状況の改善は望めない。

「すいません。失礼します」

「おい、ちょっと待てよ」

 その場を去ろうとした俺の腕を、女の子の1人が無理やり掴んだ。

「若葉を傷つけたら許さねえからな」

 俺は耳元でそう囁かれた。脅すような言い方になったのも、若葉を大切に思う心があるからだろう。だが、それは俺も全く同じだ。馬鹿にしないでほしい。

 俺は若葉を探すのを諦め、渋々次の授業へと向かった。


 昼休みになると、キャンパスに数カ所しかない食堂はどこも混み合う。俺は料理をトレーに載せ、列の最後尾に並びんでレジの順番を待っていた。

「悠真くん……?」

「うわ、新町さん!」

 隣のレジの列に、新町さんが並んでいた。俺たちは会計を済ませると、隣の席に座った。

「なんか顔色悪いけど、大丈夫?」

「昨日、全然寝れなくて」

「なんかあったの?」

「うん。実は若葉と喧嘩みたいなことになっちゃって……」

「喧嘩?どうしたの?」

「……」

 俺はそれ以上を、他人に話す気にはなれなかった。新町さんとはいえ、これは俺と若葉の問題であり、彼女にそれを打ち明ける義理はない。

「まあ、色々あったってこと。新町さんは最近どうなの?」

 俺はそれっぽく話題をずらした。

「色々って?」

 だが、彼女は俺にそう聞いた。

「色々は……色々だよ」

 誤魔化しきれなくなった俺は、歯切れの悪い返事をするしかなかった。新町さんは「ふーん」と中身のない言葉を発すると、俺を探るように俺の目をじーっと見つめてきた。

「もしかして、仲良くするのやめよう、みたいなこと言われた?」

「え……?」

 俺は動揺した。右手に持っていた割り箸を、トレーの上に落としてしまった。カチャン、という乾いたプラスチックの音が周辺に響いた。

「図星みたいね」

「……」

 俺はコップの水を一気に飲んだ。そして、何も言わずに首を縦に振った。

「ふーん」

「……なんでわかったの?」

 俺は恐る恐る聞いた。

「若菜はね、優しすぎるの。だからあの子なら悠真にそういうこと言いそうだなって」

「……」

「ショックなの?」

「うん。相当参ってる」

 俺は正直に答えた。ここまで来てしまうと、もう新町さんに隠すことは何もない。

「でもね、悠真。たぶん若葉は悠真のためを思ってそう言ったんだよ、きっと」

「俺のため?どこが……?」

「悠真と若葉が仲良すぎると、悠真が恋愛できないってことだよ」

 この説明と似たようなことを、若葉にもされた。だが、何度聞いても理解できないことには変わりがない。新町さんにはなんの罪もないが、聞き飽きた文言に次第に腹立たしい感情が込み上げてくる。

「……なんで?」

「他の女の子が嫉妬しちゃうんだよ。2人が仲良すぎると」

 俺と若葉がそんな関係でないことは、誰もが承知の事実だ。それなのに、なぜ嫉妬心が生まれるのだろうか。その理屈をどうも理解できない。

「じゃあさ、こんなこと聞くのもあれなんだけどさ」

「うん」

「新町さんはどう思うの?俺と若葉を見て、新町さんは嫉妬するの?」

 俺はその質問を投げかけた直後、彼女慌てふためいた様子を見て、その問いに対する答えを瞬時に察知した。そして、あまりにも直球すぎる聞き方をしてしまったことを後悔した。

「なるほど……」

 俺は上手く言葉を紡げない。気の利いたことを言えない。新町さんはそれを察して、首を横に振った。

「ごめんね。でも、きっとこう思ってるのは私だけじゃないよ」

「え?」

「悠真のことを気になっている人は全員、そういう気持ちになる。だから、仕方ないんだよ」

「仕方がない……」

 俺はその言葉を復唱した。そして何より、嫉妬というものがそれほど当たり前に存在する感情だとは思わなかった。嫉妬は俺には理解のできない感情の1つだ。俺はその事実を、仕方ないと飲み込むしかない。

「悠真が恋人を作りたいんだったら、いずれはこうなってた。それが私でも、私じゃなくても……」

「……」

 俺は納得した。初めて納得した。若葉がなぜ泣きながらも、距離を取ろうと俺に言ったのか。それは、俺が恋をするには遅かれ早かれ、若葉と仲良くはしていられないということを、若葉自身が理解していたのだ。それは恐ろしく難しい決断だったに違いない。だからあの時、彼女は泣いていたのだろう。

 恋か若葉か……。どちらかを俺は選ばなくてはいけない、そういうことなのか。

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