第5話

 我ながら、才能があるのではないか、と思う。私は連続してあがっていた。一ゲームが終わるまでに稼いだ点数は18000点。最初の点と合わせて43000点だ。これはもう、勝ちなのではないか。


「次、どうぞ?」


 私は勝ち誇って席を譲った。彼女は小銭を投入して、プレイを始めた。さてどうなるかと見ていると、画面が切り替わった。


『ツモ。天和、大三元、四暗刻』


 ピロピロ音がして、CPUの点数が引かれていく。あっという間にマイナスになって、小牧の点数は十万を超える。


 いやいや。

 いやいやいや。


 これが天に愛された女の力ですか。私にはちょっと真似できないというか、今すぐ帰りたい。

 小牧は立ち上がって、にっこり笑った。


「終わり」


 私は苦笑すらできずにいた。最初から役が完成していて、あがったということはわかる。でも、点数がわけわからない。バグではないのか。


「ゲーム、壊れてない?」

「ない。わかば、もしかして役知らない?」


 むしろ小牧は知っているのか。

 知っていてもおかしくないか、小牧だし。


「また一個、だね」


 小牧は無垢な笑みを浮かべていた。小牧に首輪をつけられて、犬になれだなんて言われる日も近いのではないか。私は頬が引き攣るのを感じた。


 いっそ三年生になるまで逃げて、そのまま大学入学と共に彼女の前から姿を消せば解決なのではないか。


 一瞬そう思ったが、無理だろうな、と思う。そんな逃げ方をしたら、小牧は絶対追いかけてくる。私の両親は小牧のことを気に入っているから、進学先を教えてしまうに違いない。


 だとしたら、卒業しても逃げるのは無理なのではないか。

 中学の時だって、彼女とは違う高校に行こうと、少し家から遠い学校を選んだ。だが、入学式の日、小牧は私と同じ制服を着て駅のホームに立っていた。

 あの時の衝撃と戦慄は忘れられない。


 勝たないと多分、終わらない。小牧から逃げるためには、彼女に勝つしかない。

 運も良くてなんでもできる彼女に勝つ方法。今の私にはわからなかった。


「今すぐとは言わないけどね。ほら、デートの続き」


 こんな気分でデートなどできてたまるか。そう思うけれど、言葉にはできない。だから私は、差し出された彼女の手を、何を言わずに握った。


「お腹空いたし、何か食べに行こう」


 私は近くの壁に設置されている時計を一瞥した。時刻は午前十一時半。まだ昼食には早い時間だが、朝を抜いてきたので確かにお腹が空いている。

 小牧も朝ご飯、食べてこなかったのかな。

 そんなことを思いながら、彼女に手を引かれた。



 小牧が選んだのはモール内にあるチェーンのイタリアンレストランだった。彼女はトマトのパスタを頼んで、私はカルボナーラを頼み、ついでにシェアする用にピザも一枚頼んだ。


 カラオケ屋の時と同様、二人分のドリンクバーを頼んで、私たちは一緒に飲み物を取りに行った。こういうのはどちらかが荷物番をするべきだと思うのだが、強引に手を引かれれば、抵抗などできるはずもない。


 私は白ぶどうジュースとカルピスを混ぜたものをコップに入れて、彼女に手渡した。眉根を寄せる彼女を無視して、自分のコップにメロンソーダを入れる。


「気に入らないなら飲まなくてもいいけどね」


 ストローを袋から取り出して、彼女のコップに入れる。混ぜてまずくなるのがいいなんて考えを、聞いた時からずっと否定したかった。


 私はそれ以上何も言わずに席に戻る。後ろから、ゆっくりと彼女はついてくる。その手には、私の注いだものが入ったコップが握られている。


 私は頬杖をつきながらメロンソーダを飲んだ。

 捨てずに持ってきた割に、彼女はそれを飲もうとしない。私への抵抗かな、と思うが、わざわざ聞いたりはしなかった。


 やがて店員さんが料理を持ってきて、私は両手を合わせて「いただきます」なんて言いながらパスタを食べ始めた。


「……んぇ」


 その時、変な声が聞こえた。思わず正面を向くと、小牧が少し泣きそうな顔をしていた。フォークがパスタに突き刺さっている。

 それだけで、察してしまう。そんな自分が少し、嫌だった。


「……こっち、食べれば」


 私はカルボナーラをフォークごと彼女の方に差し出した。返事を待たずに彼女のトマトパスタを奪って食べると、少し舌がピリピリした。唐辛子が入っているタイプのパスタだったらしい。


 はぁ、と息を吐いて店員さんを呼び、新しいフォークをもらう。

 私が使っていたフォークと新しいフォークを交換して、彼女に食べるよう促す。小牧は新しくなったフォークを微妙な表情で見つめていた。


「デートで料理食べない奴なんて、いないよね」


 私は独り言のように呟く。ピザを切り分けて、さりげなく彼女の方に皿を寄せる。


 小牧のことなんて嫌いなのに、どうしてこんなことをしているのか。自分でも馬鹿馬鹿しくなる。


 でも。

 彼女のことは大っ嫌いだけど、苦しんでいるところを見たい訳じゃない。彼女の笑顔には腹が立つことが多いし、見たくないと思う。だが、泣いているところはもっと見たくない。


 私は自分の横に座るぬいぐるみを撫でて、パスタをくるくる巻いた。


「返して」


 小牧はそう言って、私の皿を奪おうとする。私は卓上の辛いオリーブオイルを大量にパスタにかけた。すると、彼女の手が微かにビクッと震えて、引っ込む。


「返そうか?」


 柳眉を逆立てて、彼女は私を睨む。


「いらない」

「よろしい。カルボナーラ、美味しいから食べなよ」


 彼女は少し躊躇うような様子を見せた後、器用にカルボナーラをフォークで巻いて食べ始めた。美味しい、とは言わなかったけれど、眉がちょっと動いたから、美味しかったんだろう。


 小さな口でもくもくご飯を食べる彼女の姿は、人形のようで可愛らしい。写真に残しておけば、多分クラスの男子が喜ぶだろう。

 でも、彼女の顔がいいのはもう当たり前にわかっていることで、わざわざ写真に撮るほどのことじゃない。


 どうせ撮るなら、もっと不細工な顔がいい。その方が、人間らしいと思う。


「点数稼ぎ? そんなことしても、やめないから」


 小牧はわけのわからないことを言う。一瞬、本気で意味がわからなかった。しかし、少し考えてその意図に考えが行き着く。


「小牧ちゃんに気を遣ってあげて好感度を上げよう! なんて、私が思うわけないじゃん」


 これは単なる習慣というか、無意識だ。私の心の深いところが小牧に悲しい顔をさせるななんて言っている。


 私は嫌な思いを散々させられて、悲しまされているのに。私の心なのに、私に対して理不尽だ。


 本当は小牧の心なんじゃないか、と思う。私の心の核はとっくに小牧に奪われていて、寄生虫が宿主を乗っ取るみたいに、私を小牧のために動かそうとしている。なんて、考えすぎだろうけれど。


「自意識過剰だよ、梅園」


 私はパスタを口にした。小牧の意地を崩すためのオリーブオイルは大さじ一杯程度じゃ足りなくて。だから、パスタはありえないくらい辛くて油っこくなっている。


 まだ美味しく食べられるから、いいとしよう。私は舌の痛みを誤魔化すように咀嚼を続けて、メロンソーダを飲む。


 多分、辛いものの大食いとか早食いで勝負を挑めば、簡単に彼女に勝てると思う。でも、それじゃ意味がないのだ。それは勝ったとは言えない。勝負に勝ったとしても、心が勝っていない。


 辛いのが苦手なのは、彼女の数少ない欠点ではある。だが、それを突くのはフェアじゃないと思う。


 私の中にはいくつもそういう線引きがある。謎のこだわりと言えばそれまでだが、私にとっては重要なことだった。真正面からフェアな勝負を挑んで、思いっきり負かしてやりたい。


 それで私は、彼女を見下ろしながらこう言うのだ。

 小牧は……梅園は自分が思ってるほど完璧じゃないんだぞ、と。


「それ、食べさせて」


 いつの間にかカルボナーラを食べ終えたらしい小牧が、私の皿を指差して言う。オイルで黄色くなったトマトソースは、どう考えても彼女が食べられるものではない。


 しかし、彼女の顔は真剣だった。まるで食べないと死ぬみたいに、まっすぐ私の皿を見ている。


 訝りながら視線を逸らすと、一口も飲まれていないドリンクが目に入る。半分以上減った私のメロンソーダとは違って、彼女のコップの中の液体は少し寂しげだ。


「やめなよ。お腹壊すから」


 苦手なことに挑戦するのはいいことだとは思う。でも、辛いものに挑戦したって何もいいことはない。辛味に強いか弱いかは生まれつき決まっているから、そんなところで頑張らなくていいと思う。


 ちょっと辛いパスタを食べただけで口紅を塗ったみたいに赤くなった唇が、ゆっくりと開いていくのが見える。


 「そ」と発しそうな口の形を見て、私は少なめにパスタを巻いたフォークを彼女の口にねじ込んだ。

 いじっぱりめ。


「……げほっ、こほっ、うえ」


 彼女の顔がみるみるうちに赤くなっていく。だからやめろって言ったのに。


 小牧は涙目になりながら、壊れ物に触れるみたいにコップに触れて、ストローに口をつけた。今の今まで全く減っていなかった液体が瞬く間に減っていって、最後にずぞ、と音を立てる。


 乱暴に置かれたコップはどこか誇らしげだった。

 私はよくわからない感情を多分に含んだ息を吐き出した。

 コップに口をつける理由が欲しくて、パスタを食べようとしたんだろうか。だとしたら、小牧は馬鹿だ。やっぱりどうしようもなくいじっぱりだ。


「美味しいって、やっぱ違う」


 彼女はそう呟いて、私のコップを奪う。そのまま私のメロンソーダを全部飲んで、小さく舌を出した。微かな緑色。白色は、見えない。


「こんなのが好きなんて、子供舌」


 彼女は負け惜しみのように言った。


「子供だから、子供舌でいいじゃん。余計なお世話」


 小牧の唇はさっきよりも真っ赤になっている。

 何をしているんだろう。私も、小牧も。


「口直しになんか頼めば」

「いい。ピザ食べる」

「ピザも辛いかもね」

「……ジェラート。わかばは?」

「アフォガート」

「大人アピール、恥ずかしいよ」


 周りは皆楽しそうに食事をしているのに、私たちだけが言い争って、わけのわからないことをしている。意地の張り合いをいつまで続けているのか。店を包む和やかな空気に、そう言われているような気がした。


「アフォガート程度で大人アピールって言うの、馬鹿だと思うけど。……頼むからね」


 私はベルで店員さんを呼んで注文を済ませた後、ピザを一切れ齧った。少し冷め始めているピザは、辛いパスタを食べた後の口には甘すぎるくらいに感じた。これなら口直しのデザートはいらなかったかな、と思う。

 私の反応を見てか、小牧も一切れピザを取って、口に入れた。


「美味しい」


 そう言って、小牧は今日初めて、素直な笑みを見せた。

 私はちょっと呆れて、彼女の額にチョップを落とした。

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