天壌霊柩 ~超高層のマヨヒガ~ 第17回


          *


「――おい、君。どうした? 大丈夫か?」

 そんな大人の声が、哀川拓也の意識を闇から呼び戻した。

 誰かに背中をさすられている。

 そう感覚したとたん、後頭部に激痛が走った。

 拓也は顔をしかめながら、片ひじを立てて半身を起こそうとした。

 まだ力の入らない拓也を、背中の手が介助する。

「頭が痛いのかい? 立てる?」

 拓也が顔を上げると、天井灯の逆光で、影になった男の顔が見えた。

 丸い天井灯のデザインが、拓也の記憶を呼び覚ました。

「ここは……」

 周囲には見覚えのある書類棚が、ずらりと並んでいる。ただ、今は多数の照明が棚の間ごとに光っており、部屋の隅々まで明るい。

「ご覧の通り、資料室なんだがね」

 いかにも公務員らしい七三分けの男が、心配そうに言った。

 年は四十代の中頃か、夏用のスーツの上下を、折り目正しく着こんでいる。

「もしかしたら、昼の停電で迷いこんだのかい? で、転んで頭を打ったとか?」

 昼の停電――なら、今は?

 目眩をこらえながら腕時計を見ると、すでに午後五時半を回っている。

 ――自分は数時間も気を失っていたのか!?

 拓也は跳ねるように立ち上がり、目前のエレベーターの扉に、両の掌を這わせた。

 なんの変哲もない、ただの小型エレベーターである。

「その元気なら、救急車は呼ばなくて大丈夫かな。でも念のため、医者に見てもらったほうがいいね」

「あの……停電の時、このエレベーターで何か事故とか……」

「いや、ちょっと停まったとは聞いたが、誰かが閉じこめられたとか、怪我したとかは聞いてないな。今はちゃんと動いてるよ。現に私も、二十階の建築課から乗ってきた」

 男は床に置いていた通勤鞄から、厚めのバインダーを取り出した。

「この資料を返したら、そのまま家に帰るから、君、ちょっと待ってて。病院まで送ってあげよう」

 男はバインダーを手に、奥の棚に向かった。


 拓也はスマホを取り出した。

 スイッチを押すと、すんなり待ち受け画面のカレンダーが表示された。電池の残量も、ほとんど減っていない。

 ならば、なぜ昼には作動しなかったのか――。

 ややためらいながら、麻田真弓のスマホに発信する。

 呼び出し音が何度か鳴る間、拓也の心臓の鼓動は、耳鳴りがするほど高まった。

 数度目の呼び出し音が鳴り終わる前に、真弓の屈託のない声が返った。

『ごめんなさい、哀川君。待ってるって約束したのに、先に出ちゃって』

 拓也は困惑を隠して、

「あ、いや……それはいいんだけど……」

『私、今、沙耶ちゃんの家にいるの』

「え?」

『だから、沙耶ちゃんの家。お母さんも一緒よ』

 予想外の話に、拓也は言葉を返せなかった。

『待ってる間に、沙耶ちゃんからメールが来たの。急いで相談したいことがあるって。それで、つい夢中で飛び出しちゃって』

「そうなんだ……」

『今、他にもお客さんがいるから、また後で電話するね。ほんとに、ごめんなさい』

「……うん。じゃあ、また」


 通話を終えた拓也は、懸命に記憶を整理した。

 今日の出来事のどこからどこまでが、現実の記憶なのか。

 聴聞を終えた後の非現実的な出来事だけが、気絶している間の夢――そう考えるのが、最も自然だろう。しかし、そう考えると、聴聞後に交わした青山裕一や伊藤京子との会話も、夢だったことになる。

 それを確認するのは簡単だ。青山に連絡して訊ねればいい。

 拓也は即座に、青山のスマホを呼び出した。

 しかし、電源が入っていないのか圏外にいるのか、通話不能のガイダンスが流れるばかりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る