3-B 後継者

 ヒンサレイの雰囲気はポールの鬱々とした気持ちを更に加速させた。始めてきてからすぐにまた来るとは思っていなかったポールは車を走らせてヒンサレイの奥へと進んでいった。前に遺体を溶かした工場よりも更に奥へ進むとほんの少しだけあった日光が入る隙間さえも空から消えた。二十年ほど前に南方の多くの発展途上国が〈軸〉に加盟したことでほとんどの工場は撤退し、賃金の安い地域へと移っていったが、彼らがかつて撒き散らした煙は消えることなく空に漂い続けていた。日の光が入らないためか、ヒンサレイ内部の気温は少し低い。その為か車窓が結露して曇った。フロントガラスの結露を手で拭きながら進んでいると雨が突然降り始めた。最初は少しの水滴が落ちてくるぐらいだったが次第に激しくなり、やがて土砂降りになった。黒々とした雨粒が車体に叩きつけられて、音が鳴り、ポールの視界を阻んでいた。目的地の工場へ着くころにはその音は止んでいた。車を降りるとひどい悪臭が鼻に刺すように纏わりついた。この場所の黒々と荒廃した景色はポールの予知夢に出た戦争の跡のような酷さを感じさせた。その景色には汚れた服を身に着けた多くの人間が隠れていた。この地域でかつて雇われていた人々の一部が今もこうしてここにいる。彼らの表情は暗くて見えなかったが暗闇に精神が蝕まれていることが伝わってきた。


 「う」


 ポールは後ろから誰かに呼び止められるのを聞いた。隠れていた男数人が姿を現していた。彼らの手にはガラス片が握られていた。ポールは拳銃を引き抜いて彼らに向けた。


 「うー」


 彼らの目には光が宿っていないことに近づいたことで初めてポールは気づいた。混濁としたその白っぽい目は生気がなかった。しかし、彼らが迫ってきてもなおポールはその引き金を引くことを躊躇した。

 数発の銃声の後、迫ってきた者たちは倒れ、動かなくなった。暗くて汚れた地面に動かなくなった体から流れた血が微かに見えた。銃声のもとを目で追うとそこに一人の長身のサングラスを掛けた黒髪の女が立っていた。


 「彼らは生きてないようなものよ」


 女はポールに近づいてきた。ポールは警戒して銃口をあちらに向けると女は言った。


 「恩人に対してそれは失礼だとは思わないの?」


 「頼んでいないことだ」


 「躊躇していたのは見ていた」


 「君はここに住んでいるとは思えないが」


 「住んでいる人なんていない」


 「何を言っている?彼らがいるじゃないか」


 「彼らは生きていないようなものといっただろう。ヒンサレイの汚染された空気を長年吸っていると脳神経を破壊してしまう。肉体的には生きていてもとっくに精神は死んでしまっているのよ」


 「だからと言って……」


 「その状態で生きている方が苦痛かもしれない」


 「でも」


 「でも?殺しても殺さなくともどうでもいい。それで君がここに来た理由は何?ここには来たことがないようだけど」


 「ホワイト・ラビット社の工場を見に来た」


 「廃墟をわざわざ見に来るとは珍しい」


 「本当に廃墟なのか?」


 「疑う理由は何かあるようね」


 「詳しいなら案内してくれ」


 「後でもう一度その理由を聞くからその時に答えてくれ」


 「あぁ」


 「名前を聞いてなかった。僕はポールだ」


 「リアよ」


 リアについて歩いていくと数分ほどである廃墟の前で止まった。


 「ここよ。何か見つかるといいけれど」


 「何かあるはずだ」


 二人は廃工場の崩れかけた扉を蹴り破って中に入った。完全に光が届かない屋内は何も見えず、懐中電灯を取り出して照らした。足場は悪く、工場は広くその全体像は懐中電灯で把握することはできなかった。


 「この音……」


 リアが言った。ポールはその言葉を聞き、耳を澄ませていると何処からか微かな金属音が聞こえてきた。足元を照らしながらその音の源を辿っていくと下へと続く階段にたどり着いた。


 「この下にあるのか?」


 「今の感情はエリザベス・ヒルに対するものか?」


 ポールは自身の体からサッと血の気が引くのが分かった。それを振り払うように拳銃をリアに突きつけた。


 「誰だ?」


 リアはポールの慌てようを嘲笑うかのように銃口を手で覆い、違う手でサングラスを外した。サングラスの奥に隠れていた紫色の双眸がポールに注がれるとポールは銃口を向けているのは自分なのに逆に自身に向けられているような錯覚に陥った。ポールは慌てて拳銃をホルスターにしまうと言った。


 「パレルソンがなぜ?」


 「なぜだと思う?」


 といいリアがニヤリと笑った。その表情は何とも不安にさせるようでどこか安心させるような奇妙な感情を生み出させた。

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