第一章 400年の根源

1ーA 予知夢

 外は日が落ちて、石造りの建物の隙間から波の音と風が入り込んでいた。一日が終わり部屋のベッドに腰かけたポールはぼんやりとした何かが纏わりついて、微かな波の音を感じながら、机の上のケースに入る青い錠剤を見つめていた。一か月半ほど前に精神科医の男がしていた説明をと思い出しながら、錠剤を手に取って口に入れ、水で流し込んだ。精神拡張ドラッグと呼ばれるこの青い錠剤は精神科医の説明によると精神に刺激を与え、脳の潜在機能を引き出すものだという。飲み込んで、酸素マスクをつけると体中の血管に何かが広がり、体の神経がひどく敏感になる。それと同時に目の前の鏡に映る目が瞳孔からじんわりと虹彩を鮮やかな濃青色に染めた。全ての感覚が鋭利になり、視覚外のもの、壁越しにあるもでさえも認識していた。一刹那を一分に感じるほどに精神が駆動し頭を回転させる。全能感が憂鬱を取り払うように脳を薄くベールのように包み込む。深く息を吐くごとに頭の中にあった靄が体外へと排出され、意識が散漫としながらも一つに集まっている不思議な感覚が頭を揺らす。

 

 それらはトランス状態と言われるもので摂取して数秒でピークに達し、二から三時間ほどかけて緩やかに抜けていく。一か月ほど前からの服用で、ドラッグが生み出すこの感覚にポールは徐々に慣れ始めていた。ベッドに仰向けになり上を見ながら精神拡張ドラックが抜けていくのを感じた。やがて、眠気に襲われてポールは意識が遠のくままに眠りについた。


 境界のない色と色とが煙のようにぼんやりとした何かが徐々にイメージとして形を帯び始めた。イメージが形になりきらないうちに指の感覚が戻り始めた。その手には何かを握り、べっとりとした何かが手だけではなく腕にかけて付着していた。ぼんやりと嗅覚が戻るにつれ、その場の腐臭と鉄の匂いが鼻に刺さり始めた。最後に写真が現像されるように視覚が回復してくると目の前の光景に唖然とした。瞳孔が散大し、臓器が飛び出した体から流れた血の色が地面を覆っていた。土埃が舞い上がって、目を薄める。ビル群が倒壊し、ビルがドミノのように倒れ込み、瓦礫が巨大な山脈を作っていた。噴火するようにあらゆる場所から火が広がり、所々を赤々と輝かせていた。数少ない倒壊しなかったビルには捕虜が拘束されていた。その屋上には黒いフクロウの旗標が翩翻と翻っていた。

 フクロウのシンボルを見た時、頭がグラッと揺れ、脳に直接イメージが流し込まれた。東の果てしない砂漠から現れた狂信的な軍隊は預言者ウラールの名のもとに戦火を西の果てまで拡大させ、行く先々を荒廃させ、人々を肉塊へと変えていった。行く先々で立てられた黒いフクロウの旗標は恐怖のシンボルとして人々の精神に強烈に植え付けられた。記憶を思い出すような感覚とは微妙に異なるイメージの流入は強い不快感を伴った。


 またイメージが白飛びした後、意識が靄に包まれて夢が薄まっていった。次に意識が戻ってきた時には天井を見ていた。現実に戻ってきたことを知りながらも全身からどっと溢れ出した汗が止まることはなく、手に残る血のベトベトとした感覚でポールは何度もまっさらな手を確認した。心拍が高まり緊張と高揚の余韻があった。


 『精神拡張ドラッグの作用で稀に限りなく現実に近い夢を見るはずだ。それが予知夢という現実になる夢だ』


 という精神科医の言葉はポールにこの夢が予知夢だと確信させた。そして、その言葉の先をポールの脳内で復元させた。


 『現実になるというのは絶対なのですか?』


 『少なくとも今までに例外はない』


 その言葉さえもこの夢が現実になるという実感をポールに与えるには足りなかった。それからどのくらいたったのか、暗かった外が明るくなり、カーテンからオレンジ色の光が漏れ始めてドアをノックする音が聞こえた。


 「どうぞ」


 ドアを開けて現れたのはジーンという女だ。長い黒髪を後ろで一つに束ね、ヘーゼル色をした目をしていた。日光が当たると虹彩が琥珀のような色味へと変化した。


 「ジーン」


 ジーンは孤児のポールの代理母のような存在だった。ジーンはベッドに座るポールの隣に座った。そして、ポールの落ち着かない様子を見て言った。


「何か……あったの?」


「——予知夢を見た」


「それは確かなの?」


「初めてだけど。こんな感覚は今までに一度もない」


ポールの声には興奮と恐れが垣間見えた。


「私にはその感覚は分からないけど、普通の夢と明確な違いがあるんだね。それでどんな夢だった?」


「それは——」


ポールは予知夢の内容を口に出すことに躊躇した。その内容を口にすると現実になってしまうという気がしたからだ。


「言いづらいことなら別に言う必要はないよ」


口調からしてジーンは少し勘違いをしているようだった。


「人が死ぬ——無数の人が」


ポールの答えはジーンの予想の外だったようで驚きが顔に現れていた。


「そ、それは災害で?それとも——」


「戦争で」


「そうなのね」


「避けられない戦争だ」


ポールは明らかに気落ちしているように見えた。


「まだ起きていないことに気に病む必要はないと思う」


「ぼくにとっては数時間前に起きた出来事のように感じる。まだベトベトとした血の感覚が手に残っている」


「徐々に記憶は薄れるものよ。そうではなくともいつでも私が居る」


口角を少し上げてポールは言った。


「ありがとう」


 ジーンの言葉にポールは落ち着きを取り戻した。しかし、完全な落ち着きではなく燻ぶっている何かが意識の中に残っていた。

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