12 吸血鬼公爵を追って

「ヴラドッ! 眠ったんじゃないのか?」

 なんと、伯爵が城壁の側面に“立って”ヴァン・ヘルシングを抱えているではないか!

【ただし、原典では伯爵は、トカゲのように、指先と爪先を城壁の岩の溝に引っ掛けて、頭を下にして這うように降りていってる。……だけど靴履いてるよねっ? 手は分かる。足は? なので私の中では、“重力に逆らえる”ことにします】

「本を読んでいた。それより、どうだね? エイブラハム。この眺めは?」

 伯爵は面白おかしそうな口調で言ってきた。

「早く俺を下に降ろしてくれ!」

 ヴァン・ヘルシングは否応なしに伯爵に抱えてもらうしか能がなかった。

「了解した」

 伯爵はヴァン・ヘルシングを抱えながら城壁を難なく垂直に、上へと優雅に歩いていく。

 ようやく屋根の上に着くと、もうベルガー公爵の姿はなかった。

 ヴァン・ヘルシングは大きなため息をつき、あんな“アクロバット”はもうしない! と心に誓ったのであった。

「ヴラド、俺を助けに来てくれた時、ベルガー公爵はいたか?」

「否、見ていない」

 伯爵の返事にヴァン・ヘルシングはクソッ! と城の屋根に勢いよく拳を置いた。

「逃げ足の早い吸血鬼め! ひと先ず……部屋に戻って……休みたい……。寿命がすごく縮んだ気がする……」

 ヴァン・ヘルシングは胸元を押さえ、疲れ果てた様子で項垂れた。

「それは大変だ」

 伯爵はニタリと口角を上げると、ヴァン・ヘルシングを横抱きにしたのだ。

「な、何だ……?」

 ヴァン・ヘルシングは伯爵の腕の中で硬直し、困惑した。

「最短距離で部屋に戻ろう」

 伯爵が森の方に振り返った。ヴァン・ヘルシングは目を見開き、伯爵のベストの見頃をとっさに掴む。

「窓からかっ? だがホスチア――」

「だから君が“必要”なのだ。エイブラハム」

 伯爵は真っ赤な瞳でヴァン・ヘルシングの目をのぞき込むようにまっすぐ見下ろした。

 ヴァン・ヘルシングは、素っ頓狂な表情を浮かべたと思いきや、挑戦的な笑みを見せた。

「分かった。あの吸血鬼公爵を追うぞ!」

「ん? 休まなくて良いのかね?」

 伯爵は首をかしげた。

「昼間の内に追い詰める。あっ、ヴラド、お前は“休んでて”良いぞ」

「追い詰める……。面白そうだ。俺も行こう」

「……そうか」

 伯爵はヴァン・ヘルシングを抱えたまま、屋根の外側へ足を出した。とっさにヴァン・ヘルシングが伯爵にしがみ付く。

 ふふっ、と伯爵が笑った。

「君を落としたりなどしない」

「分かってる、分かってるが……」

 ヴァン・ヘルシングは念には念を……と呟いた。

 伯爵が城壁を、垂直に歩き始めた。ヴァン・ヘルシングは自身の眼鏡を押さえた。

「急ごう。逃げられる」

 そう言った伯爵は、駆け足で城壁を降り始めたのだ!

「きゃぁぁああっ!」

 ヴァン・ヘルシングが甲高い悲鳴を上げ、伯爵にさらにキツくしがみ付いた。

「君は本当に“興味深い”男だ!」

 伯爵は象牙のような白い牙を露わにして笑った。そんな伯爵をヴァン・ヘルシングは睨み付けた。

「馬鹿野郎っ!!」

 ヴァン・ヘルシングの部屋の窓の前に着き、伯爵に支えてもらいながらヴァン・ヘルシングは、窓枠の隙間に詰めた“特製ホスチア入りパン生地”を急いで外し、転がり込むように二人――とくにヴァン・ヘルシングが――は室内に戻った。

 ヴァン・ヘルシングは床に項垂れ、伯爵はベストやスラックスのシワを手で払って延ばしていた。

「大丈夫かね? エイブラハム」

 伯爵がヴァン・ヘルシングに手を差し出した。彼はげっそりした様子で顔を上げ、伯爵の手を掴むと、膝をガクガク震わせながら立ち上がった。

「よ、よし……奴を“ぶっ殺す”ための準備を……」

 ヴァン・ヘルシングは持ってきた鞄を漁り、小さな金の十字架のネックレスやニンニクの花や葉、残りのホスチア、台所で拝借したナイフ、杭、木槌などを準備する。

 伯爵は暖炉の上の壁に飾られてある二振りの剣を取った。

 再度窓枠に“特製ホスチア入りパン生地”を詰めると、二人は上着やマントを羽織り、部屋を出てベルガー公爵を探しに向かう。

 赤い絨毯が敷かれる、静寂漂う長い廊下を進んでいる最中、ふと、ヴァン・ヘルシングが伯爵に話し掛けた。

「妙だと思わないか? フィリンゲンの村では5人の男たちの他に子供たちも数人行方不明、という話だったが、子供たちのいる気配が――」

「いるぞ、エイブラハム。この来客用の部屋がある区画の真下に」

「真下?」

 伯爵の言葉にヴァン・ヘルシングは、赤い絨毯が敷かれている廊下の床を見下ろした。

 二人は来客用の部屋の丁度下の階にある部屋の前に辿り着いた。

 その部屋は大広間のようで、大きな観音扉の入口があり、少しばかり扉が開いていた。

 ヴァン・ヘルシングは近くの窓の外を一瞥した。

……まだ昼間。最悪、吸血鬼化してたとしても、大半は眠っていると思うのだが……。

 と、思いつつヴァン・ヘルシングは日中にも関わらず“未だに起きている”伯爵を横目に眺めた。

……起きている吸血鬼もいるが……。

 ヴァン・ヘルシングは観音開きの扉の取っ手に手を掛けるとゆっくりと開け放った。昼間だというのに中は真っ暗で、異様に静かだった。そして鼻を突くような悪臭が漂ってくる。

 とっさにヴァン・ヘルシングは顔をしかめた。

「ヴラド、お先にどうぞ」

 ヴァン・ヘルシングの様子に伯爵は首をかしげた。そんな伯爵にヴァン・ヘルシングは平然と言った。

「“動ける者”が先に入ったほうが対処出来るだろう?」

「俺の方が“年寄り”だがね?」

 伯爵は鼻で笑うように返すと、大広間に入っていった。

「黙らっしゃい」

 伯爵の後に続いてヴァン・ヘルシングが入った。

 大広間に入ったとたん、悪寒がヴァン・ヘルシングを襲った。

……何だか嫌な予感がする。

 先ほどは聞こえなかったのに、今では周りから苦しみ、悶えるような息遣いが聞こえてくる。

 暗くて何も見えないせいで恐怖が増幅しているのかもしれない。

 そうであってほしい、とヴァン・ヘルシングは切実に思った。が、伯爵が窓のカーテンを開け放ったことによって、杞憂では済まされなくなった。

 窓から差し込む日光によって大広間の中が照らされた。

 ヴァン・ヘルシングは目の前の光景に息を飲んだ。

「何ということだ! やめろっ!」

 眼の前には十数人の子供たちが寝かされており、どの子供たちも痩せ細り、苦しそうに表情を歪めながら眠っていた。その奥で、ベルガー公爵が一人の子供を抱え、口角から鮮血を垂らしながら、真っ赤な瞳でこちらを睨みつけていた。

「もう来たのか。何とも邪魔な人間どもだ」

 ベルガー公爵は抱えていた子供を無造作に床に落とし、尊大な様子で両手を広げた。

「我は“不死の王”なり」

 ベルガー公爵は皮肉にも、恭しく自身の胸に手を添え、お辞儀をした。

 ヴァン・ヘルシングと伯爵は目をパチクリさせた。

「Wat?【オランダ:以下[蘭]語で『何?』の意】」

「Ce?【羅語:何?】」

 珍しく二人の声が揃った。思わずお互いに母国語が出てしまったが……。

「こいつの前で、それを言うか?」

 ヴァン・ヘルシングは眉を潜めつつ、伯爵を指さした。

 二人の様子にベルガー公爵は怪訝な表情を浮かべた。

「……お前は“同胞”か?」

 ベルガー公爵は伯爵を物珍しそうに見つめた。

「余も吸血鬼だが?」

 伯爵がヴァン・ヘルシングの隣で、ベルガー公爵に言い放った。

「何故人間の側にいる? 人間など我らの“家畜”同然!」

 ベルガー公爵は嘲笑うように返した。

「その“我ら”も元は人間。無論余も、だ」

 ヴァン・ヘルシングは毅然とした態度の伯爵をそっと見上げ、悟った。

 伯爵はもう、自身の欲に駆られ、血を求める凶悪な吸血鬼ではなく、生前の、一国の元君主なのだと。

「なんと愚かなり……」

 ベルガー公爵は伯爵を、同胞のくせに見損なった、とでも言うように呟くと、突然、召使いでも呼び寄せるように両手を優雅に打った。すると、今まで呼吸を荒らげて眠っていた子供たちがゆっくりと起き始めたのだ。

 ヴァン・ヘルシングと伯爵が身構えた。

「さあ、子供たち……我の“駒”となれ」

 冷笑を浮かべるベルガー公爵の前に、虚ろな表情の子供たちがよろよろと立ち塞がった。

「なんと酷いことをっ……」

 ヴァン・ヘルシングは怒りに歯をギリッと噛み締めた。

「我を退治したくば、先ずはこの餓鬼共だっ! はははっ!」

 ベルガー公爵は残忍な高笑いをしながらきびすを返すと、向こう側の扉から足早に大広間を立ち去ってしまった。

 ヴァン・ヘルシングと伯爵はあっという間に、吸血鬼の血の洗礼の呪いに掛かってしまった子供たちに囲まれてしまった。

 伯爵が、持っていた二振りの剣を構えようとする。その隣でヴァン・ヘルシングが制した。

「いかんっ、“まだ間に合う”かもしれない!」

「ほう、ならば――」

 伯爵は二振りの剣を左手で持つと、右腕で素早くヴァン・ヘルシングを脇に軽々と抱え、天井近くまで跳躍した。

「うわぁっ!」

 ヴァン・ヘルシングはとっさのことに伯爵の腰にしがみ付いてしまった。

 伯爵は子供たちを飛び越え、床にふわりと静かに着地すると、ヴァン・ヘルシングを今度はワイン樽のように肩に担ぎ、ベルガー公爵の後を追い駆けた。

「おいっ! 自分で走れる!」

 ヴァン・ヘルシングは伯爵の背中に向かって抗議をした。

「君の全速力は、遅い」

 伯爵はヴァン・ヘルシングに見向きもせずに返した。

 ヴァン・ヘルシングは、“年齢”と“体力”の差の理不尽さに泣きそうになり、自暴自棄に叫んだ。

「老人虐待っ!」

「確かに、君の方が“老人”だ」

 伯爵の言葉にヴァン・ヘルシングは、ぐうの音も出せなかった。

 大広間を出ると、赤い絨毯が敷かれている広いロビーに出た。通路が二手に分かれている。

 伯爵は立ち止まった。

「さて、どちらにする?」

 伯爵はヴァン・ヘルシングを床に、ゆっくりと降ろした。

「俺とお前で二手に分かれる分かれて行けば――」

「二手に分かれる?――」

 伯爵がヴァン・ヘルシングの言葉を遮った。

「もし君の行った方に奴がいれば、確実に君は……」

「何だ? 俺が心配か?」

 ヴァン・ヘルシングは目をパチクリさせ、伯爵を見上げた。

 伯爵は、一瞬目を丸くしたかと思えば直ぐに何かを含んだ笑みを浮かべ、ヴァン・ヘルシングを見下ろし一言。

「俺の“ワイン樽”を奪われるのが惜しいだけだが?」

 ヴァン・ヘルシングは伯爵の言葉に憤りを感じ眉間にシワを寄せると、伯爵に嫌味の一つでも返してやろうと考えた。が、不思議なことに何故かどうでも良くなってしまったのである。

「……ヴラド、お前ならこの状況で棺に戻るか?」

 一方の伯爵は、ヴァン・ヘルシングが怒ると思っていたので、少々驚きを隠せないまま返した。

「……俺なら、まだ見つかっていないはずの場所に身を潜めるが……?」

「そうか。そうなると礼拝堂の墓には――」

 ヴァン・ヘルシングは考える素振りを見せ、ふと顔を上げた。

「俺が囚われていた牢獄の地面は土だった」

「では、行ってみるとしよう」

 伯爵が歩き出す中、ヴァン・ヘルシングは申し訳無さそうな表情を浮かべ突っ立っていた。

「どうした? エイブラハム」

 伯爵が振り返り、ヴァン・ヘルシングに尋ねた。

「すまない。俺はその場所の行き方を知らない……」

 伯爵は、何だ、そんなことか、とでも言うように返した。

「Follow me.」

 ヴァン・ヘルシングは呆然としながら伯爵に返した。

「Y-yes.」

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