第20話 契約書の行方

「子どもの頃に、ル=ロイドと契約を交わしたんです」


 デ=レイは目を見開いた。

 ランバルドからドルー渓谷まで、シエーナが一人で来たということだろう。伯爵家の少女がここまでやってくる姿が、想像できない。


「祖母と君は、一体どんな契約を? 魔術に何を求めた?」

「うちは今、お金持ちなの」

「ああ、知っている」

「私は地味だけど」

「ああ、見れば分かる」

「私は家族の未来を変えたんです。そして対価をいつかル=ロイドに払わなければいけなかったんです。……これ以上はいえません。でも、ル=ロイドが亡くなった以上、うちは私が書いた魔術の契約書を破らない限り、破滅してしまうんです。だから、ル=ロイドの遺した契約書を探したくて…」

「そのために私の魔術館に潜入したのか。弟子入りなんてして」


 最初はル=ロイドの魔術書を読んで、彼女と交わした自分の契約の進行を止めたかった。けれど、ドルー渓谷の魔術書を読んでも、ヒントはなかった。

 ドルー渓谷の魔術師に憧れてきた、などと採用時に言った自分の嘘も、これでバレてしまった。

 シエーナは恥ずかしさと申し訳なさでいっばいになりながら、デ=レイに詫びた。


「こんな汚い手段を使って、ごめんなさい。私を信用して弟子にしてくださったのに、申し訳ございません」


 いや、そもそも信用はしていなかったな、とデ=レイが頭の中でボヤく。

 シエーナはてっきり非難されるかと思ったが、デ=レイは彼女の手を握ったままだ。その上、気のせいか固かった表情はどことなく柔らかくなっている。


「私が祖母から受け継いだ契約書は、どれも目を通してある。何年もかかるような後払いの契約はなかったぞ」

「それはたしかですか?」

「契約の履行が済んでいない魔術契約書は、紙自体から不安定な力を出すから、魔術師には分かるんだ。祖母が残した契約書のどれにも、それに館のどこからもそれを感じない」


 つまり、ル=ロイドが生前に施した魔術は、全て綺麗に完了しているはずだ。


「契約書を探し出さないといけない魔術は、もうないということですか?」


 シエーナの不安げな質問を受け、デ=レイは頷いた。

 いまだ納得しきらない様子の彼女を、別のアプローチから説得してみようと口を開く。


「ところで、ル=ロイドに君はいくら払ったんだ?」

「対価は複数の願い事が全て叶った後に支払う後払いで、私の聖玉でした」


 デ=レイは途端に表情を曇らせた。


「あり得ない。断言できる。祖母は一般的な魔術師と違って、聖玉を使うことを好まなかった。ましてや、いたいけな子どもから取り上げるなど、絶対にしない」


 そんなことを言われても。

 シエーナはまごついた。

 デ=レイは床に座り込み、腕を組んで考え込んだ。


(ル=ロイドは何を企んだんだ?)


 今となっては確かめようもないが、ル=ロイドが遺言書で自分とシエーナの結婚を命じたのは、イジュ伯爵の人柄と財力を頼んでのことではなく、もしやこのことと関係があったのではないか。イジュ伯爵家ではなく、シエーナ自身を気に入ったからかもしれない。

 もしくはその両方かもしれないが。

 いずれにせよ、ル=ロイドが本気でシエーナの聖玉を欲しがっていたとは思えない。

 ル=ロイドは契約書を全て漏れなく保管管理していたし、魔術や契約が中途半端な状態でデ=レイに引き継いだものも、なかった。

 だとすれば、シエーナが幼い頃に書いた契約書とやらは、どこにいったのか。


「見ていないところはないはずだ」

「私も、小さな隙間に至るまで、丁寧に探しました。勤務中にもお師匠様がお客様のお相手をされてるスキに、一階は洗いざらい、隅々まで調べたんです!」

「堂々と言うんじゃない」

「すみません……。でも、それでは私とル=ロイドの契約書はどこに?」


 デ=レイは首を捻った。


「もしかすると既に廃棄されたのか? ただでさえ、私が継いだ時にこの館は全面改築をしている。祖母は自由にしてくれと言っていたし…」


 いや、まてよとデ=レイは詰まった。

 手をつけていない場所は、一箇所だけある。

 不意にデ=レイは、サイドテーブルの上の肖像画を見上げた。

 ル=ロイドはこの絵だけは、手を触れるなと言っていた。デ=レイを見守るのだと。

 掛ける場所も移してはいない。

 まさかな、と呟きながらデ=レイは立ち上がってつま先立ちになると、ゆっくりと手を伸ばして肖像画を壁から外した。

 肖像画は額縁に嵌め込まれており、絵自体は木枠に貼られて釘で打ち付けるられている。額縁を両手で支え、絵を落とさぬよう慎重にひっくり返す。

 すると補強のために木枠の真ん中に十字に組み合わされた木の棒の交差部分に、何かが挟み込まれていた。

 折り畳んだ紙のようだ。

 少し黄ばんで埃を被っていることから、かなり前からそこにあったのだろう。


「なんだ、これは?」


 まさか、と二人は顔を見合わせる。

 デ=レイは眉根を寄せて紙を引っ張り出すと、四つ折りにされた紙を開いた。

 あたりに薄っすらと埃が舞う。

 紙面を見た直後、デ=レイとシエーナは言葉を失った。

 そこには箇条書きで四つの文章が書かれていた。思わずデ=レイは読み上げ始めた。


「ええと、なんだ? 『魔術師ル=ロイドは次の四つの願い事を叶える。一つ、お義母様がでていくこと、二つ、お父様のお仕事がうまくい…」

「よ、読まないで!!」


 そこまで聞くと、たまらずシエーナが両手を出して紙を奪った。

 一番下に書かれた子どもっぽい字は間違いなくかつてこの館で署名したシエーナの字で、それ以上願い事を読ませまいとシエーナは折り畳んで両手で抱えた。


「まさか、それなのか? 君が子どもの頃に書いた契約書とやらは、それか?」

「はい。間違いありません。……なぜこんな所にあったのか、分かりませんけれど」

「君の署名しか、なかったぞ。どういうことだ?」


 契約書は双方が署名して始めて効力を持つ。通常は双方の署名が連名で、契約書の下部の左右に入るのだ。

 だが、ル=ロイドの署名はたしかに、ない。

 シエーナは記憶を手繰り寄せて答えた。


「私が書き込んだときは、まだル=ロイドの署名はありませんでした。後で書いたのだと思っていたのですけれど」


 契約書に肝心のル=ロイドの署名がない。これでは契約書として体をなさない。


「シエーナ。もしかしたら、君とル=ロイドの契約は、それ自体なかったのかもしれない」

「どういう意味です?」

「以前も話したが、そもそもその場にいない者の未来を変える魔術はない。契約書も見つからない。となれば、ル=ロイドは君の望んだことのために、実際は何もしなかったかもしれない」

「そんな。まさか」


 デ=レイの考えは、シエーナには理解し難かった。すぐにそんなはずない、と否定したかった。

 だが、実際のところそんな可能性は一度も考えたことがなかった。


「つまり、イジュ伯爵家にかけられた魔術は、存在しなかったということですか?」

「わからんが。それは、ーー君の願い事は、本当に魔術がなければ叶わなかったものだったか?」


 義母は出て行った。ーーでも、あれは単に本当に義母が父に愛想をつかしたからだとしたら?

 確かに、義母はその後すぐにオペラ歌手と同棲を始めた。

 そして、イジュ家は繁栄した。ーーあれは、父の努力の賜物だった?

 弟はステキ女子と結婚した。ーーそれは弟がそれに見合うステキ男子だったから?

 父の髪は……よくわからない。

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