雷神

 昨夜は雷神が我が家の上空に、長逗留とうりゅうしていたようだ。

 ミニチュアダックスフンドはしきりにえる。

 盲導犬の「エヴァン」は訓練されているので、吠えることはしない。しかし、尻尾を股の間に巻き込み、怯えている。リードを外してやり、抱きしめて落ち着かせる。

 二匹とも、招かれざる客が去った後も、しばらくは不安そうな様子だった。


 一昨年の夏、エヴァンが我が家にやって来た時、手荒い歓迎を受けた。

 トイレをさせようと、玄関を開けた。にわかに雨が土砂降りになり、ゴロゴロと来た。エヴァンは震え、私の脚に体をすり寄せた。

 当時、二歳。大阪の赤坂千早村にある盲導犬訓練所で生まれ、パピーウォーカーさんは大阪市内だった。激しい自然現象にまれる経験は、皆無だったのだろう。


 犬はどうしても雷を怖がる。人間だって「雷さん、大好き!」などという人には出会ったことがない。しかし、犬の怖がりようは尋常ではない。

 ダックスフンドの「シモン」など一三歳になるのに犬のように怯える。賢そうな顔をしていたので、サルトルの愛人の哲学者、シモーヌ・ド・ボーヴォワールにあやかり、メスながら、響きを優先して「シモン」と命名した。いまだ学習の成果が現れていない。

 これはエヴァンにも言える。名付け親のパピーウォーカーさんは、庵野秀明さんの『新世紀 エヴァンゲリオン』から啓示を受けたのだろう。「勇者」に育つことを願ったようだが、理想と現実にはまだ少しギャップがある。


 昔、仕事で羽田から石川県の小松空港に飛んだことがあった。

 機内で、「日本アルプス上空は大気の状態が不安定」とアナウンスがあった。

 季節は夏。飛行機は発達した積乱雲の中に突っ込んだようだった。悪いことに最前列に乗っていた。前方から叩きつける雨。ひっきりなしの雷光と雷鳴、さらには乱気流で機体が急降下する。生きた心地がしなかった。

 雷神と直接渡り合うような経験をしているのだから、シモンもエヴァンも、大船に乗ったつもりで安心しているがいい。雷は落ちてこないかぎり、危険はない。まあ、痩せ犬の遠吠えと同じなんだよ。ただ、山の清澄な空気を切り裂き、音量が増幅されるのはいただけないが。


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