第6話 2章:触手と姫騎士(1)

 ■ 2章 触手と姫騎士 ■



 ダムレイとの戦いの後、オレと赤石は丸一日、病院でありとあらゆる検査を受けた。

 なんでも、『世界で一番大事な体』だからだそうだ。


「学校に行くのが嫌なら、卒業したことにもできるのよ?」


 そう言ったのは真白さんだ。

 僕がイジメられているのを知っているからこその発言だろう。

 正直、あんな場所からはすぐにでも逃げてしまいたかったけれど、僕は登校することを選んだ。


 アイツらに負けるのは悔しかったし、これまで励まし続けてくれた伊予ちゃんに報いたいと思ったのだ。

 彼女が目を覚ました時、胸を張れる自分でいたいのだ。


 それに、作戦もある。


 僕が教室に入ると、先に来ていた赤石がこちらに気付き、ぱっと顔を明るくさせ、頬を染めた。

 しかし、すぐに興味なさげにスマホに目を落とす。


 それでいい。


 赤石には、学校ではこれまで通り接するよう言ってある。

 彼女が僕側になったことを、アイツらは知らないからだ。

 情報源になってもらおうというわけだ。


「おはようございます、黒執(くろとり)君。ご機嫌いかが?」


 優雅に美しく、それでいて奥底に僅かな嘲りを含んだ声。

 黄宮琴美(こみやことみ)が僕の机までやってきた。


 成績優秀、スタイル抜群、スポーツ万能。

 北欧系の祖母を持ち、腰まであるブロンドに、横髪は縦ロールという、絵に描いたようなお嬢様だ。

 ついでに家柄も高く、学園への寄付金総額の9割を黄宮家が担っているという噂まである。

 彼女が入学してから、都心にある学園の敷地が2倍になったのだから、信憑性もあろうというものだ。


 それでいて、教員にバレないよう裏ではイジメなんてやっているのだから始末に負えない。

 噂によると、教員達も彼女に抱き込まれているとか。


 早めの登校にも関わらず、半分ほどの生徒が教室に来ていた。

 黄宮が僕に話しかけたのを見て、半分は目を逸らし、残り半分はニヤついている。


 これまでの僕なら、ビクついて下を向くところだ。


「おはよう、黄宮さん」


 僕は座ったまま黄宮を真っ直ぐ見上げ、早口になりそうなのをおさえ、できるだけゆっくり挨拶をした。

 たったこれだけで、心臓がバクバクとやかましく鳴る。


 そんな僕の様子に、黄宮は少し驚いたようだった。

 だがすぐに、いつもの気品ある笑顔を貼り付けた。


「検査入院をしていたと聞きましたが大丈夫だったみたいですね」


 本気で心配してみせる顔の裏に、悪魔が住んでいることを、このクラスの大半は知っている。


「姫上さんのように、転校なんてしないでね。黒執君とはまだまだ仲良く遊びたいの」


 黄宮の微笑みに合わせ、教室のあちこちから小さな笑い声が漏れる。


 伊代ちゃんは転校ということにされてるのか。


「あいつらをいつか絶対ギャフンと言わせてやるんだから!」なんてどこで仕入れてきたのか、随分昔の言葉を持ち出して、憤っていた彼女を思い出す。

 それを叶えるためにも、早く彼女を起こしてあげないと。


 どこか上の空な僕を見て、黄宮は僅かに眉をひそめた。

 いつもの僕なら、彼女のイヤミに「今日は何をされるのか」とビビりまくっていたところだ。


「今日の朝活はどうしましょう? 撮影会はこの前やりましたし……」


 黄宮は天使のような笑顔で小首を傾げた。

 撮影会という単語に、僕の心臓が一瞬跳ね、背中にじっとりと汗が吹き出す。

 僕をイジメている連中だけが見られるSNSのグループに、その映像は保存されているらしい。

 そこには僕の、裸以上に恥ずかしい映像が残されているはずだ。


「そうねえ……では、今日の朝活はマナー講座にしましょう。キスの仕方なんてどうかしら」


 黄宮の提案に、誰かが口笛を吹いた。


「そいつにキスをする機会なんて来ないんじゃないか?」


 そう言ったのは黄宮の取り巻きその1、筋肉担当の男子だ。


「あら、異世界転生でもなされば、靴にキスをする機会くらいあると思うの」

「ぎゃはは! 転生しても靴までかよ!」


 筋肉男子のバカっぽい笑いが実にイラっと来る。


「赤石さん、そこに座ってちょうだい」


 そう言われた赤石は、チラリと僕を見る。

 目で「言うとおりにしろ」と合図を送ると、赤石は僕のとなりに座った。


「あら、今日はあまり楽しそうではないのね。黒執君の成長に協力するのが嫌なのかしら?」

「い、いえ……ちょっと腕が痛くて……」

「それは大変ね。私が良いお医者様を紹介して差し上げます」


 黄宮は僕の体に傷をつけるようなことはしない。

 撮影も必ず取り巻きのスマホだし、自分の声や姿が決して映らないようにする。

 今も、教室の入口では、取り巻きが廊下を警戒している。

 この用心深さが、彼女の性悪さが教師達に露見しない要因の一つだ。


「さあ、ひざまずきなさい。靴の裏をしっかり舐めるのよ」

「ぎゃはは! 靴の裏かよ!」


 黄宮が筋肉担当に視線を送ると、彼は僕の肩を強く押した。


「……あ?」


 疑問の声を上げた筋肉担当が、さらにぐいぐい押してくる。

 いつもならとっくにイスから転げ落ちているはずだ。

 こっそり筋トレしていた効果……なわけがない。

 もしかして、これも姫騎士関連によるものだろうか?


「ちょっとごめん」


 僕は筋肉担当の手を押し上げるように立つと、教室を出た。


「何をしてるのかしら?」


 背後では、取り巻きに向かって投げられた、黄宮の静かで冷たい声が響いていた。


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