Dialogue-精霊学者クライス・ルイン奇譚-

nanami

序章

 例えば空を泳ぐ極彩色の魚や、金色に光る雨、冬枯れの庭を染める色とりどりの花。そして、それらが歌う不思議な響きの《歌》。

 手を伸ばしても触れることはできない、だけど確かにそこにあるもの。

 生まれたときからずっと傍にあった、きらきらと色鮮やかで少し騒がしいその存在を、幼き日の少女は割合気に入っていたのだと思う。

 けれど――いつからだろう。

 小さな手を伸ばし「きれいだね」と無邪気に笑う少女に、向けられる両親や兄の眼差しが、ぎこちなく歪んでいることに気づいたのは。


『ねぇミーナちゃん、そこには何もいないでしょう……?』


 そうして少女は思い知る。


 ――ああ、これは私にしか見えないものなんだ。



 嘘をつくことにも、少しずつ慣れた。

 見えないふり、聴こえないふりをしてやり過ごす。時折うまく区別がつかなくて失敗しても、少しずつ取り繕い方を覚えていった。

 ただ時折、どうしようもなくなって、目に映るありのままの絵を描いてみたりする。それは結局、独創的な絵だと口々に評され、ああやはり、と厳然たる隔たりを再確認させられるのだけれど。

 そういう日々を繰り返し、摩耗した少女の心の外側には、いつしか丈夫な殻が築かれた。

 きらきらと色鮮やかで少し騒がしいこの世界で、この先もきっと一人きりで生きていくのだと、緩やかな諦めを覚えていく。


 そんな日常の狭間で、その人に出会った。


 その人はひどく真剣な眼差しで、真夏の濃緑にきらめくマロニエの梢を見つめていた。

 透き通る不思議な鳥たちが宿る枝先、彼らがさえずる《歌》に、じっと耳を澄ませるように。

 風さえも凪いだ、色の濃い木陰に、《歌》だけがこだまする。

 ――恐らくは自分と、目の前の彼にしか聴こえていない、不思議な《歌》が。

 それはまるで、世界に二人きりしかいないかのようで。

 縫い留められたようにその場に立ち尽くして、目が離せなかった。


 ――きれいだね、と。

 心の奥で、幼き日の少女がつぶやいた。

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