エピソード18

【club BLACK】と書かれた看板。

路地裏の薄暗い道を妖しい光で照らしている。

ケンさん達の溜まり場のクラブ。

最高にテンションの上がったケンさんが招待してくれた。



テキーラ対決は綾さんの乱入によって一時中断になった。

……中止じゃなくて中断。

「蓮!この続きはクラブに行ってからだ!!」

ケンさんが蓮さんに向かって言い放った……。

……どうやら、ケンさんもかなりの負けず嫌いらしい。


「分かった」

驚く様子も無く平然と答えた蓮さんに私の方が驚いた。

「まだ飲めるの?」

恐る恐る尋ねた私に蓮さんは不思議そうに首を傾げた。

「……?まだそんなに飲んでねぇし」 

「……」

……は?

そんなに飲んでない?

あんなに“テキーラ”飲んだのは誰?

「……蓮さんってどのくらい飲んだら酔うの?」

「酔う?」

私が言った単語は間違いなく日本語だった筈なのに、蓮さんは初めて聞く言葉のように聞き返してくる。

「……もしかして酔った事が無いとか?」

『あぁ』って答えられたらどうしよう……。

「そんなことねぇよ。中坊ん時に飲みすぎて頭痛くなったことがある」

……良かった……。

ツッコ所は満載だけどそこはスルーしてみよう。

「最近は?」

「……最近……そう言えば高校卒業してから酔ってねぇな」

(p.247)

「……!!」

あんなに飲んで酔わないなんてやっぱり蓮さんは人間じゃないんだ!!

……人間じゃないなら蓮さんは一体何者?

……。

……やっぱり……。

間違いない。

蓮さんは人間に化けた閻魔大王だ。

これからは、あんまり正体を出させない様に気を付けなきゃ……。

私は心の中で自分に言い聞かせ。


神社から歩いて10分くらいの所にあるクラブ。

繁華街のメインストリートから入り込んだ薄暗い路地裏。

入り口付近にはガラの悪い男の子達がたくさん溜まっていた。

見た事の無い男の子達が先頭を歩くケンさんやヒカル達に頭を下げ挨拶をしている。

一番後ろを歩く蓮さんに気が付いた男の子達が駆け寄ってくる。

「お疲れ様です!!」

「お久しぶりです!!」

嬉しそうな表情の男の子達。

そして蓮さんの横の私に気付いた男の子達が挨拶をしてくれた。

私も頭を下げて挨拶を返した。

そんな私に戸惑った表情の男の子達。

「……?」

首を傾げる私を蓮さんは優しい笑顔で見つめていた。

それから、蓮さんは財布を取り出すと男の子達に『お前達も飲めよ』と言って一万円札の束を手渡した。

ケンさん達は先に中に入ったみたいだ。

その後を追うように私は蓮さんと手を繋いで階下にある入り口らしいドアに向かった。

慣れない浴衣の私を気遣って一歩前をゆっくりと歩いてくれる蓮さん。

薄暗く細い階段を降りる途中、突然蓮さんが足を止めた。

「……?」

私も足を止めた。

「……蓮さん?どうしたの?」

私の問いかけに振り返った蓮さん。

でも、薄暗い照明の所為で表情が見えない。

階段の一段下にいる蓮さん。

それでも私の顔は蓮さんの鎖骨の位置。

改めて蓮さんとの身長差を感じてしまう……。

蓮さんは繋いでいた手を離すとその手を私の腰に廻した。

そして反対の手を壁についた。

私は壁と蓮さんに挟まれた。

「美桜」

蓮さんの低い声。

「うん?」

「俺になんか隠してねぇか?」

「えっ?」

私の脳裏にさっきの女の子が浮かんだ。

でも……。

蓮さんに言う程の事じゃない。

私の勘違いかもしれないし……。

蓮さんが気付いているはずがない。

私は首を横に振った。

ここが薄暗くて良かった。

蓮さんがこんなに近くにいたら気付かれたかもしれない。


……今、私の顔は強張っている……。

私の瞳は、まだこの暗さに慣れていない。

蓮さんにも私の表情は見えていないはず……。

私は胸を撫で下ろした。

薄暗い闇の中、小さな舌打ちが聞こえて、腰に廻された腕に力が入った。

次の瞬間、蓮さんは私の唇を塞いだ。

いつもの優しいキスとは違う激しいキス。

私の体の力も考えている事も不安も全てを奪おうとしているみたいだった。

驚く事も呼吸が出来ない苦しさを感じる事も許さないような……。

その行為に私が完全に溺れてしまった頃、蓮さんの唇が私から離れた。

自分では立っている事も出来ない。

腰に廻されている腕に全てを委ねる事しかできなかった。

「美桜」

少し掠れた蓮さんの声。

その声を聞いて胸が痛くなった。

切ない蓮さんの声。

私は腕を蓮さんの首に廻した。

……蓮さんは気付いている?

……私の不安に……。

「俺から離れていくな」

耳元で囁かれる蓮さんの言葉。

蓮さんから……離れる?

……私が?

どうして、そんな事を言うの?

蓮さんが私の異変に気付いている事に気付いていなかった私にはその言葉の意味が理解出来なかった。

「そんなとこでイチャついてんじゃねぇよ」

突然、大音量の音楽と振動が耳に飛び込んできて私はビクッと身体を震わせた。

その音と共に階下から聞こえてきた声。

「……ケンさん」

私の視界は蓮さんに遮られていたけど、それでも分かる聞き慣れた声。

「帰ってからでも十分イチャつけんだろーが」

蓮さんの身体の向こうから聞こえてきた楽しそうなケンさんの声。

溜息を吐いた蓮さんが首だけ振り返った。

「なんで、てめぇはいつも邪魔ばかりするんだ?」

「あ?そんなの羨ましいからに決まってんだろ?」

「……ならお前も葵とイチャつけばいいじゃねぇか」

「……無理だ」

「あ?なんで?」

「……人前でなんかするとすげぇ怒るんだ……」

「……じゃあ我慢しろよ」

「……」

蓮さんは、私の方に視線を移すと優しいキスをした。

「おい!蓮!!」

ケンさんの焦った声が聞こえる。

でも、私はそれどころじゃなかった……。

時折漏れそうになる声を抑えるのに必死で……。

そんな私に気付いているのかいないのか蓮さんは私から離れようとしない……。

……もう無理!!

そう思った瞬間、蓮さんは私から離れた。

蓮さんは私のおでこに口付けると手を引いて階段を降り始めた。

入り口のドアのところで固まっているケンさん。

「邪魔だ。早く入れ」

蓮さんにそう言われたケンさんがハッと我に返った。

「クソッ!!負けれねぇ!!」

ケンさんは意味不明な言葉を小さな声で呟いて勢いよく中に入って行った。

店内に一歩足を踏み入れた途端に頭がクラクラした。

耳を塞ぎたくなるような音で鳴り響く音楽。

暗闇の中、店内を瞬間的に映し出すライト。

広い空間の中でひしめきあう大勢の人達。

固まる私の手を蓮さんが離し肩を抱いて自分の方に引き寄せた。

「絶対に俺から離れるな」

耳に蓮さんの唇が触れそうな位置で囁かれた。

耳にかかる吐息に身体がビクっと反応する。

それがバレないように私は慌てて頷いた。

蓮さんは私の頬にキスを落とした。

前を歩くケンさんが一番近くにいた男の子の肩を叩く。

その男の子が驚いたように道を開ける。

それに気付いた周りの人たちも次々に道を開ける。

あっという間に店内の中央に道ができた。

そこを通って奥に進む。

大音量の音楽に負けないくらいの歓声が上がった。

よく聞き取れなかったけど間違いなく蓮さんとケンさんに向けての歓声だ。

その声の中から聞こえてくる女の子の声にチクンと胸が痛んだ……。

店内の奥にはドアがあった。

「どうぞ」

ケンさんがドアを開けてくれた。

ドアの内側は広い部屋になっていた。

中央にテーブルがありその周りを囲むように黒い革張りのソファが置いてある。

そこに葵さんとヒカルとアユちゃんが座っていた。

テーブルの上には唐揚げやポテトや果物などのオードブルやたくさんのお酒が置いてある。

「美桜ちゃんおいで!」

葵さんが手招きしてくれる。

私は葵さんの隣に座った。

「美桜ちゃん、何飲む?」

ウーロン茶って言おうとしたらケンさんが言った。

「アルコール限定だよ」

いたずらっ子みたいな笑顔。

「美桜、飲めよ」

蓮さんが隣に座りながら笑ってる。

不思議に思いながら『ビール』って言った。

この時蓮さんとケンさんが企んでいたなんて全く気付かなかった……。

……だって自分でも知らなかった。

私は飲んだ時に本音が出る癖があるなんて。

蓮さんが知っている私の癖に自分で気付くのはもっと先の事だった。


それから、蓮さんとケンさんに勧められるがまま結構な量の生ビールを飲んだ。

苦いと思ったのは最初の一杯だけだった。

蓮さんとケンさんのテキーラ対決も再開して相変わらず飲み続ける二人。

でも、不思議な事に全く潰れない。

潰れないどころか顔色にも言葉にも動きにも出ていない。

一度でいいから、二人の身体の中が見てみたい。

葵さんとアユちゃんはカクテルを飲んでいた。

ヒカルはテキーラ対決の審判なのでアユちゃんのカクテルをちょくちょく飲むくらい。

何度かヒカルはチームの男の子に呼ばれて部屋を出て行った。

私が3杯目の生ビールを飲み干した時、蓮さんが顔を覗き込んできた。

「酔ったか?」

「……うん」

そう答えた私の頭を撫でながら蓮さんは何かを言おうと口を開きかけた。

それと同時に勢い良く開いた部屋のドア。

部屋の中にいた全員の視線がドアの方に向けられる。

「すみません、ケンさんちょっといいですか?」

チームの男の子が焦った様子で立っていた。

「どうした?」

ケンさんが部屋を出て行く。

蓮さんとヒカルが顔を見合わせた。

数秒、お互いの顔を見つめていた2人。

無言だったのにヒカルが小さく頷いて部屋を出て行った。

しばらくして部屋に戻ってきたケンさんが入り口の近くに蓮さんを呼んだ。

小さな声で何かを話している二人。

話し終わった二人が私に視線を向けた。

「美桜、ちょっとここで待ってろ」

「……?」

「美桜ちん、ちょっと蓮を借りるね」

「……うん」

私が頷くと二人は部屋を出て行った。

「……?」

ドアを見つめながら首を傾げる私の肩をアユちゃんが叩いた。

「大丈夫だよ。蓮さんすぐに戻ってくるから」

「そうそう、なんにも心配ないよ!」

ニッコリと微笑む葵さん。

「それより、今のうちに……」

顔を見合わせるアユちゃんと葵さん。

「……?」

二人が巾着からタバコを取り出した。

「みんなが戻ってくる前に吸っちゃおうよ」

「そうだよね。飲んだら吸いたくなるしね。美桜ちゃんも持ってる?」

私は頷いてタバコを取り出した。

私達は揃ってタバコに火を点けた。

「あーおいしい~!」

幸せそうなアユちゃん。

「ほんと、私なんか今日初だよ!!」

うんざりしたように言う葵さん。

「それ、きついね~!!」

アユちゃんが大笑いしている。

「ねぇ、美桜ちゃんは?」

二人が瞳をキラキラさせて私を見つめてる。

「……え?」

その勢いに思わず後ずさりしてしまった……。


そんな私を挟むように葵さんとアユちゃんが両端に座る。

「蓮くんと一緒に住んでるんでしょ?」

「う……うん」

「家でタバコ吸ってるの?」

「うん」

「「そうだよね~!!」」

重なる二人の声。

「……?」

「ケンが言ってたもん。蓮くんは、美桜ちゃんにベタ惚れだって!!」

「ベタ惚れ?!そ……そんな事ないよ!!確かに優しいけど……」

焦る私に二人が笑いを堪えている。

「多分、蓮くんの事を優しいって言う女の子は美桜ちゃんくらいだよ」

「……え?」

「そうそう、カッコイイとか頼りがいがあるとかはよく聞くけど」

私の中で“蓮さん=優しい”なんだけど違うのかな?

「私、最初蓮くんが凄く怖かったんだ」

「なんか分かる気がする~!!」

葵さんの言葉にアユちゃんも同調した。

「でも、美桜ちゃんと付き合いだしてなんか雰囲気が柔らかくなったよね」

「うん、蓮さんのあんなに優しい笑顔初めて見た気がする」

「本当に美桜ちゃんのことが好きなんだろうね」

そう言って二人が優しい瞳で私を見つめた。

私は恥ずかしくなって勢い良く立ち上がった。

「どうしたの?」

葵さんが首を傾げた。

「……トイレ」

「ここを出て、フロアーの右奥だよ。一緒に行こうか?」

アユちゃんが立ち上がった。

「一人で大丈夫、ありがとう」

ドアを開けると大音量の音楽が耳に飛び込んできた。

人を避けながらアユちゃんに教えて貰ったトイレに向かう。

さっき飲んだビールの所為で身体がフワフワする。

なんとかトイレのドアを見つけ中に入った。

微かに外の音楽が聞こえるけどその空間はなんだか落ち着いた。

個室に入って便器の蓋を下ろしてその上に座った。

大きく息を吐く。

さっきまで熱かった顔が少し冷めてきた。

『本当に美桜ちゃんのことが好きなんだろうね』

その言葉が頭の中に浮かぶ

私はまた顔が熱くなった。

本当に私の事をそう想ってくれてるのかな?

……もしそうだったら……。

なんか嬉しい。

思わず顔が緩んでしまう。

そんな私の耳にドアの開く音と大音量の音楽が耳に飛び込んできた。

誰かがトイレに入ってきた事が分かった私は緩んだ顔を慌てて引き締めた。

『今日ここに来てよかったね』

『でしょう?祭りの後は大体ここに来るらしいからね』

女の子達の話し声に私は個室から出るに出られなくなってしまった。

『ケンさん達が来るのは何となく予想してたけど、蓮さんも見れるなんて超ラッキー!!』

『本当ー!!』

蓮さんやケンさんのファンの子達か……。

なんか盗み聞きしてるみたいで悪いと思った私は個室の鍵に手を掛けた。

『……でも、蓮さんが連れてた女って……やっぱりあの噂本当なのかな?』

さっきまでのテンションがウソみたいな低い声に私は鍵に掛けた手を引っ込めた。

『……本当な訳無い……ただの噂に決まってんじゃん!!』

不機嫌そうな女の子の声。

『だけど……この前“伝達”が出たらしいよ?遊びの女の為にそこまでするかな?』

『……蓮さんが女に本気になる訳ないじゃん……』

『メイが蓮さんを好きなのは知ってるけど……でも、アンタも2回目はなかっ……』

その時、私はトイレの個室のドアを勢い良く開けていた。

……それ以上女の子達の話を聞きたくなかったから……。

二人の視線が私に向けられる。

その表情に驚きが広がる。

私も一瞬動きを止めた。

さっき神社で私を睨んでいた子が今目の前にいる。

頭の中で全てが繋がった。

この子が私に向ける視線の理由も。

蓮さんが言った言葉の意味も。

でも、それは何となく分かっていた。

蓮さんがモテる事も知っている。

それに、これは私と出逢う前の事。

私と出逢ってからはずっと一緒にいてくれてる。

そんな事で不安になる必要なんてない。

大した問題じゃない。

私は、二人の前を通り過ぎ手を洗ってトイレを出ようとした。

「待って!!」

“メイ”と呼ばれていた子が私を呼び止めた。

「なに?」

私は立ち止まり振り返った。

「……あんた……蓮さんの彼女なの?」

メイが鋭い眼つきで私を睨んでいる。

「そうだけど」

私は、感情を隠す事が得意で良かったと思った。

こんな時に感情的になりたくない。

もう一人の女の子がオロオロしながら私とメイを見ている。

「アタシ、蓮さんと寝た事があるんだ」

メイが意地悪く笑った。

「ちょっ!!メイ……」

女の子が焦ってメイの腕を掴んだ。

……分かっていた事なのに……。

やっぱり人の口から聞くとショックを受けてしまう。

でも、目の前で動揺する女の子を見て私は冷静になれた。

「……だから何?」

自分でも驚くくらい普通に言葉を返せた。

私の態度にメイの顔が悔しそうに歪む。

「……アンタだって一回で終わりなんだから!!蓮さんが女に本気になる訳がない!!どうせアンタだって遊びの女なんだから!!」

……。

……多分、相当ショックな事を言われた気がする……。

でも、今はその言葉の意味を考えたくない。

せめて、ここを出るまでは……。

「……そうかもね。でも、それを決めるのは私でもあなたでもない。蓮さんだから」

私は、そう言って彼女達に背を向けた。

トイレのドアを開け外に出る。

ドアが閉まった瞬間、私はクラブの出入り口に向かって走り出していた。

ひしめき合う人にぶつかりながらもなんとか見えた出入り口のドア。

ドアを押し開けさっき蓮さんと手を繋いで降りた階段を駆け上がる。

登りきった所に溜まっていた男の子達の視線が一斉に向けられる。

今はそんな事に構ってられない。

私は、その視線から逃げるように走り出した。

「美桜さん!!!」

後ろから聞こえてきた声を振り切るように……。

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