第9話「天使降臨」
「屋上ってだれも人が居ないんだね? ここ、入っていい場所なのかな?」
「どうでしょう? 特に注意書きもなかったから大丈夫だとは思いますけど」
屋上へ来るなり俺に話しかけてきたマリアさん。
もっとも、ここには俺とマリアさんしか居ないので無理もない話ではあるのだが――
「ねぇビストロ君」
「はい?」
「お日様……ポッカポカだねぇ~」
「へ? あ、あぁ。そうですね」
「風も気持ちいいし。私、ここ気に入っちゃったかも」
「そ、それはようござんした」
何の意味もない会話。
それこそ『いい天気ですね』レベルの会話を繋ぐだけの話題。
それなのに、マリアさんの笑顔は絶えない。
まるで本当に思った事を口にしてるような。そんな雰囲気だ。
「――ごめんね」
そんなマリアさんだったが、不意に表情を暗くして謝ってきた。
――はて? 何か謝られるような事でもされただろうか?
「私、クラスでビストロ君の味方が出来なかった。ビストロ君はただ一生懸命やっただけなのにね。それなのにみんなビストロ君がインチキだって騒いで……。止めるべきだとは思ったの。でも私、怖くて何も言い出せなかった」
まるで自己嫌悪でもするようにマリアさんは「はぁ~~」とため息を吐きながら顔を伏せた。
ごめんねってそういう事か。
だが――
「いや、あのクラスの感じだと誰かが声を上げても対して意味はなかったと思いますよ? 別に俺も気にしてないですし。マリアさんも気にする必要はないですよ」
「ううん。ダメ。ビストロ君が気にしなくても私が気にするの。――もっと頑張らないと」
そう言って両拳をふんすと握りしめるマリアさん。
なんというか……真面目な子のようだ。
まだ出会って少ししか話してないけど、本気で反省しているのが分かる。
だから、俺は気になった事を尋ねてみた。
「クラスのみんなが騒いでたように俺がインチキしてただけとは考えないんですか?」
「インチキしてたの?」
「いや、してませんけど」
「なら良いじゃない。私、ビストロ君の事を信じてるから」
「そ……そうか。ありがとう」
「くすっ。別にお礼を言う程でもないのに。変なビストロ君」
俺の方を見てくすくすと笑うマリアさん。
――うん。この子、真面目とかそういうレベルですらないわ。
なんというべきか……純粋培養された『THE:良い子』って感じの子だな。
誰かに騙されたりしないか少し心配になってくる。
「それじゃ、そろそろ教室に戻ろ?」
そう言って手を差しのべてくるマリアさん。
俺はその手を――取らない。
そして、淡々とマリアさんに告げた。
「いや、もういいです。この学校で学べることはあんまりなさそうですし。俺はこのまま実家に帰る事にします」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
大声を上げるマリアさん。
いや、そんなに驚かんでも……。
そう思うものの、マリアさんは止まらない。
「えと、あの、ごめんね? そうだよね。あんなにインチキだって言われ続けたら学校に通いたくないって思っちゃうよね。で、でもでも! ずっとこうって訳じゃないと思うの! ビストロ君が結果を出し続ければきっと周囲の反応も変わるよ! 私も出来る限り協力するし。それと……えぇっと後は……」
「いや天使か」
出会ったばかりの俺の為に本気で頭を悩ませ始めるマリアさん。
そんなマリアさんの姿を見て、俺の中でグングンとマリアさん株が上昇していく。
女の子として好きとかそういうのではなく、人としてすげえと思わされる。
あれだね。仮にマリアさん教とかあれば入信してもいいかなと思えるくらいには株が上がったね。
ただ、だからと言ってじゃあ学校に残るよという訳にもいかない。
「いや、別にインチキだなんだの言われるのはどうでもいいんですよ。俺がこの学校を辞めようと思ったのはただただ単純に学べる事が少なそうだからです」
「え? 学べることがないって……ビストロ君は何のためにこの学校に来たの? 騎士になるためじゃないの?」
「違いますね」
そうして俺はマリアさんに自分が学校に来た経緯を素直に話した。
自分の実家が禁足地内にある事だけは明かさず、だけどそれ以外は正直にそのまま話したのだ。
そうして――
「そっか……。ビストロ君にとって速さっていうのはかけがえのない物なんだね」
そう言って微笑むマリアさん。
「マリアさん……」
俺は感動していた。
今まで俺が速さについて語っても殆どの人が理解を示してくれなかった。
村のみんなは俺が速さについて語っても興味一つ示さなかった。
親父に至ってはヘイストの修行なんてもういいから他を伸ばせとか訳の分からない事をいう始末。
アレクシア母さんだけが俺を認めてくれていた。
俺にとって速さがどれだけ大切なのか。あの人なりに理解しようとしてくれていたんだ。
それで十分だと思っていた。
きっとアレクシア母さん以外、誰も俺の速さに対する情熱を理解してくれないんだろうと……そう思っていた。
だが、違った。
目の前に居るマリアさんは俺の速さに対する情熱をあっさり理解してくれた。
なんで速さばかりに目を向けるのかとか、そんな無粋な事を一言も漏らさずにただ理解してくれた。
それだけの事が、とても嬉しいと感じてしまう。
「うん。分かったよ。確かに、それならこの学校でビストロ君が学ぶ事なんてないかもしれないね」
「ええ。ですから――」
実家に帰ります。
そう続けようとした俺の手を取り、眼前のマリアさんが顔を近づけてくる。
「でも――もしかしたら学べることがあるかもしれない」
近い。
俺が少し顔を前に出せば唇が触れてしまいそうな距離。
さすがにこれはまずいのでは?
そう思うものの、マリアさん当人は照れた様子などみせず、ひたすら真剣な表情をしていた。
「ビストロ君はヘイストの修行が行き詰って、それでここに来たんだよね? だったらさ。もう少しだけここで頑張ってみない? 学校の授業だってまだ一日目すら終わってないんだもん。見切りを付けるのは速すぎる。そう思わない?」
「え、あ、うん。そう……ですね?」
「そうだよ! だからもう少し頑張ってみよ? 私、ビストロ君の為ならなんでもするから!」
おいヤメロ。
年頃の少女がなんでもするとか言うんじゃありません!
他意はないんだろう。
今のも『クラスの仲間であるビストロ君の為なら私、協力を惜しまないよ』という意味だろうしな。
まったく。俺じゃなきゃ勘違いしちゃうね。
だが、兎にも角にも距離が近い。
年頃の男子にとってこの距離は毒だ。
俺は近すぎるマリアさんの顔から目を逸らしつつ。
「わ、分かった。分かったから少し離れ――」
「ホント!? わーい!! やったぁぁぁぁぁぁぁ!!」
まるで自分の事のように喜ぶマリアさん。
ぴょんぴょんと屋上内を跳ねまわる――俺の手を取ったままの状態でだ。
いや、あの……誰も見ていないとはいえ気恥ずかしさが凄まじいんですけど……。
「それじゃ行こ? 早く行かないと次の授業に遅れちゃうよ!」
そう言ってそのまま俺の手を掴んだまま走り出すマリアさん。
――って待てい!!
「いやマリアさん手!? 手ぇ放して!? これぜってぇ誤解される。誤解されるからぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
結局。マリアさんは俺の手を離さないまま教室まで走った。
俺は何度も途中で手を放してと叫んだのだが、どうやらマリアさんは何かに夢中になると周りの声が聞こえなくなるスキルの持ち主らしい。
誤解されるかと覚悟しながら教室に入った俺だが、マリアさんがこうなのは既にクラス内では共通認識らしく、特に騒がれることはなかった。
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