第21話 聖夜、美咲と陣内はディナーを楽しんでいた!

真里菜の転落死事件から2週間後。

坂上和也の事情聴取を終え、警察病院から捜査本部に戻った竹内と田中は、大麻に陣内雅彦がかかわっているという坂上の供述を報告したが、誰も信じようとしなかった。切羽せっぱ詰まった犯人が、少しでも自分の罪を軽くするために、仲間に引きこもうとしているのに違いない、などという者もいた。

竹内自身も半信半疑なので、そう思われても、仕方ないことだった。


竹内と田中は、坂上の供述の裏をとるため奔走ほんそうした。

まず城北大学におもむき、陣内と坂上が同級生だったのを確認したが、成績トップをふたりで競っていたほどの秀才だったと聞かされたときは、さすがに竹内も驚いた。しかも、今はしがない女の紐に落ちぶれている坂上が、本当にエリート銀行員だったというから、なおさらである。

ふたりが久し振りに再会し、大麻の密談をしたことは、話の内容はともかくとして、ふたりが会っていたことは、タイムのママ、響子が証言した。しかし、10日ほど前、坂上と陣内が入ったというカラオケボックスは、来店者が多く、確認がとれなかった。


翌朝銀行に出向き、坂上が振りこんだという陣内の口座を照会したが、名義が陣内本人ではなかった。念のため銀行の協力を得て、その口座から金が引き出されているかを調べたところ、池袋支店で引き出されたことがわかり、防犯カメラの録画した画像から、陣内本人であることの確認がとれた。

これで、ようやく捜査本部が重い腰をあげ、陣内の大麻取締法違反の逮捕状と家宅捜索令状を裁判所に請求し、それが下りたのは、午後3時すぎ。

竹内と田中は、本庁の刑事とともに、陣内の自宅マンションに急行し、逮捕状と家宅捜索令状を執行しようとしたが、あいにく本人は不在で、逮捕することはできなかった。やむを得ず管理人を立ち会わせ、家宅捜索が行われた。


「どうだった?」マンションの玄関で待機していた竹内が、家宅捜索に加わった田中が戻ってくるのをつかまえて尋ねた。

「ダメです。なんにも出てきません」

「すでに処分したあとか?」

「そうみたいです。ゴミ箱や掃除機のフィルターまで調べましたが、きれいに捨ててあって、なんにも出ません。陣内は、けっこう慎重な野郎ですね」呆れた表情で田中が答えた。

「坂上が逮捕されたことを知って、処分したんだろう。大学の先生なんだから、そう簡単に尻尾しっぽは出さんだろう。それで、陣内の居場所は?」

「まったくわかりません。大学の方は冬休みで、出てきてないことがわかったんですが、どこにいったのかは……」



捜査本部が陣内の行方を追っていた頃、陣内と美咲は、お台場の高層ホテルの最上階の展望レストランで、クリスマスディナーを楽しんでいた。

クリスマスイブのこの日、レストランは若いカップルで満席状態。それを見越して、美咲が半年も前に予約していた。毎年イブの夜は、洒落たレストランで食事をともにすることが、美咲と陣内の恒例になっていた。


実は、陣内は、吉野圭子からもクリスマスイブのデートに誘われていた。数日前、父親の吉野三郎に結婚の承諾を伝えたばかりであったが、早速圭子から誘いがあった。その内容は、美咲とまったく同じで、シティホテルのレストランと部屋の予約がとれたというものだった。

陣内と圭子のつきあいは進展がなく、2、3週間に一度、コンサートや映画を観たあと、食事をするというお決まりのデートを繰り返していた。

敢えて深いつきあいになることを陣内は避けていたが、婚約を期に圭子の方が積極的に出てきた。この機会に身体からだの関係を結び、陣内を離さないようにしたいと、目論もくろんだのではないかと容易に想像できた。


デートのダブルブッキングに頭を抱えた陣内は、ひとり煩悶はんもんした末、美咲を選んだ。圭子には、前々から静岡の実家に帰る予定であったことを理由に、やんわりと断った。もし圭子が厚かましく一緒についていくといい出したら、どうしようかと、気をんだが、そこまでいってこなかった。

圭子の誘いをうまく断れたことで、半年前から楽しみにしていた美咲との約束を果たすことができ、陣内は安堵あんどした。


展望レストランの窓からは、素晴らしい夜景が堪能できた。すぐそばにイルミネーションに飾られたレインボーブリッジが連なり、対岸の高層ビルのネオンが彩りを添え、背後には、ライトアップされた東京タワーがそびえている。

美咲は、陣内がいい出すのを待っていた。数日前、法学部長の吉野から聞いた陣内と娘圭子との婚約。そんなはずはないと思いつつも、野心家で出世欲の強い陣内なら、自分の愛情とは別に、大学の権力者との姻戚関係は、むしろ望むところだとも思えた。

メインディッシュの皿が下げられ、フルーツとバニラアイスのデザートが出されたとき、美咲は我慢できず、口に出してしまった。


「吉野先生から伺ったけど、陣内先生は、吉野先生のお嬢さんと婚約されたの?」

「えっ!」突然の美咲の問いに、陣内は絶句したが、ワインを口に含み、それを一気に飲みこんで息を整えた。

「ああ、したよ。もう噂になってる?」

「噂にはなってないけど……。吉野先生が自分から嬉しそうに話してたわ」

「あっ、そう。あの先生も、娘の縁談に必死なんだよ」

「それで、結婚することにしたの?」

「だって、断れないだろう。吉野先生は、僕の大学院時代の恩師で、次の学長、間違いないっていわれてる人だよ。娘をもらってくれって頼まれれば、断れるわけないじゃない」


「そうだけど。じゃあ、私のことはどうなるの? 先生は、私と結婚してくれるって、約束したじゃない」

「ごめん。約束を破っちゃって。でも、君のことは、これからも大切にするつもりだよ。愛してるよ、今でも、これからもずっと」微笑みながら陣内は、真剣な眼差しで美咲にいった。

「いくら私を愛してるっていってくれても、吉野先生のお嬢さんと結婚するんでしょ。彼女を愛してないの?」

「愛情なんてないよ、彼女には。吉野先生は、もうこれ以上彼女にお金をかけたくないだけだよ。ピアニストを目指すために、これまでかなりお金を遣ったみたいだから。ピアニストを諦めさせるために結婚させようとしてるんだよ。僕に押しつけて」

「そう、そうなの」呆れた表情で美咲は、相槌あいづちを打った。

「だから、僕たちは、これまでどおりつきあっていたいんだ」

「結婚しても?」

「もちろん結婚しても。君が嫌でなければ」

「……」


美咲は、いいとも、悪いとも返事ができなかった。

ついさっきまで、自分を裏ぎった陣内を責め、ののしり、泣きわめこうと決心していた気持ちが、一瞬にしてえてしまっていた。

ふと、美咲は母のことを思い出した。やっぱり母娘なんだ、私たち。

妻子がありながら外で女をつくり、子どもまで産ませた父親を憎み、子どものためとはいえ、日陰者で我慢している母も許せなかったが、今になって、母の気持ちがわかるような気がした。

例え裏ぎられても、自分を愛してくれるなら、それでいいじゃないかと、思うようになっていた。それでも、美咲は、その気持ちを心の隅に追いやり、意を決して陣内に告げた。


「嫌よ、絶対に嫌よ。先生がほかの人と結婚するなんて。私には、我慢できないわ」

「美咲……」

陣内は、美咲がいいといってくれるものと期待していたのか、想定外の返事に言葉が出なかった。

しばらく沈黙が続いた。このままここに一緒にいると、陣内を許してしまいそうになるのを恐れた美咲が、気力を振り絞って宣言した。

「別れましょう、私たち。先生が結婚するんだし、いい機会だわ。今日が最後にしましょう!」

「嫌だ、絶対嫌だ。僕は別れたくない。美咲、僕には君が必要なんだ。これから先も。だから別れるなんて、いわないでくれ!」

表情を一変させ、目に涙を浮かべて陣内が哀願した。これには美咲も驚き、どう答えていいのか、わからないまま、陣内がさし出した掌を握り締めていた。


予想もしていなかった。美咲は、陣内ならあっさり別れるだろうと思っていたが、陣内の涙ながらの哀願に、美咲の心が揺らぎ始めた。食事が終わると、ふたりは、無言で予約していた客室に入った。

レストランとは反対側にある部屋の窓からは、東京湾が一望できた。大きな旅客船や小さな漁船の灯りが、暗闇の水面に反射して綺麗に輝いている。


つかの間、夜景に見惚みとれていた美咲を陣内が後ろから抱きかかえた。美咲に前を向かせ、唇を重ねながら、背中のファスナーを下ろし、ワンピースを脱がした。そのままベッドに美咲を押し倒すと、ブラジャーとショーツをぎとった。

いつもの陣内は、1枚1枚確認するかのように美咲の下着を脱がし、念入りに身体の隅々まで愛撫する。それがまったく別人になり、幼い子どもが、駄々だだをこねるように、陣内は美咲の身体を求めてきた。それを美咲は、母親が子どもをあやすように受け入れた。


異常に興奮した陣内は、むしゃぶりつくように下半身を突き出して、自身を挿入しようとした。こんなに早く陣内が挿入してくるのは、珍しいことだった。陣内は懸命に腰を動かし、それに応えて美咲が激しく突きあげると、美咲がもだえる暇もなく、陣内は呆気あっけなく果ててしまった。

普段の陣内は、避妊に神経質で、陣内とのセックスにはコンドームが欠かせない。それを忘れていたかのように、無防備になまで美咲の中に入り、放出してしまっていた。


あまりの速さに恥ずかしさを覚えたのか、陣内は、無言のままバスルームに入った。水の流れる音を聞きながら、美咲は、真里菜の事件の翌日、陣内が大山のマンションを訪ねてきたときのことを思い出した。

あの日は、今日とは逆に、美咲の方が抱いてほしくて、陣内の股間にむしゃぶりついたのだった。真里菜を殺してしまった恐怖と、そのあとひとりでいた寂しさが、美咲の性欲をき立てた。そして、妊娠してもいいと思い、はじめてコンドームをつけずにセックスした。陣内には、安全日であるかのように嘘をついて。

今もそのときと同じように、自分の秘所から陣内が放った精液が逆流し、あふれ出てくるのを股間で感じていた。それを密かに楽しんでいる自分に気づき、美咲はおかしく思った。男も女も恐怖と寂しさが性欲を搔き立て、セックスしたくなるのかしらと。


陣内がバスルームから出てくるのと入れ替わりに、美咲はシャワーを浴びた。そして、入念に身体を洗い、用意してきた新しい下着をつけ、その上に自分の一番お気に入りの服を着た。

美咲が予想したとおり、陣内は、バスローブのままソファーに座り、ぼんやりと暗い海を眺めながらワインを飲んでいた。

「ねえ、これからドライブしましょうよ」

「ダメだよ。僕は、もうかなり飲んでるから、運転なんてできっこないよ」

「大丈夫。私が運転するから」

「君だって、飲んでるだろう。もう遅いし、外は寒そうだからやめようよ」

「いいじゃないの、今日はクリスマスイブよ。それに私は、先生のように飲んでないわ。ねえ、行きましょうよ。早く着替えて」


これ以上拒否すると、別れ話を蒸し返されると思った陣内は、渋々着替えた。美咲は、これからはじめてデートに出かける少女のようにはしゃいで、陣内の腕をとり、陣内のBMWが停めてある地下の駐車場にいざないだ。

すでに足元がふらつき出した陣内を抱えるように助手席に座らせ、自らハンドルを握りBMWを発進させた。陣内は、車の揺れとともにだんだんと眠くなるのを感じていた。



20分後、BMWは、お台場から夢の大橋を渡って有明に入り、さらに有明埠頭橋を渡り、東京港のフェリー埠頭に停車していた。前方には、廃棄物処理場の煙突が聳え、頂上に警告灯が点滅している。

助手席に座った陣内は、すっかり眠りこんでいる。もうどう揺すっても、起きないほどに。

今日死ぬことは、昨日明日香と会ったとき、美咲は決心していた。ふたりの尊い命を奪ってしまったのだから、命をもってつぐなおうと。陣内を巻き添えにするかどうかは、陣内次第だった。


陣内と別れることになれば、ひとり寂しく死ぬつもりだった。どこか知らないところにいって。もし陣内が別れたくないといったら、一緒に死のうと思っていた。でも、果たして陣内は、一緒に死んでくれるだろうか? 陣内のことだから、きっと死にたくないというかもしれない。

美咲は、最後の賭けをした。陣内がバスルームに入っている間に、部屋にあったワインに睡眠薬を入れておいたのだ。もし陣内がそれを飲んでしまったら……。


美咲は、BMWの運転席に座ったまま、ホテルより持参した紙袋からワインボトルとグラスをとり出した。ワインは、ついさっき陣内が飲んでいたもの。ワインをグラスに注ぎ、一気にそれを飲み干した。

美咲は、しばらく物思いにふけるように、暗闇の海面を眺めていた。美咲の瞼に陣内との3年の月日がよみがえってきた。決して楽しい日々だけではなかったが、幸せを感じていた日々が……。


最後の儀式のように、助手席で眠る陣内の唇に軽くキスをした。

美咲は、意を決してアクセルを強く踏みこんだ。BMWは凄い勢いで発進し、埠頭の先端につくられた柵を突き破り、暗闇の中で警告灯の灯りを美しく反射している海面にダイブした。

一瞬浮かんだように見えたBMWは、ひっそりと静かに海中に沈んでいった。しばらくすると、名残を惜しむかのように、無数の小さな水泡が海面に広がった。

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