第6話 西武線の線路内で井坂の遺体が発見される!

 真里菜の転落死事件から3日後の早朝。

 井坂宏治が、西武池袋線椎名町駅近くの線路内で、遺体となって発見された。

 5時池袋発小手指行きの始発電車の運転手が、線路上に遺体らしきものがあるのを見つけ、直ちに警察に通報したのだった。

 朝早くから警察の現場検証が始まった。

 現場検証を行うには、電車を上下線とも運休させる必要がある。通勤ラッシュ時に重なると、乗降客に混乱が生じる恐れれがあるため、少しでも早く終わらせようと、早朝より豊島警察署の署員が動員された。


「朝早くから、ご苦労さんです」すでに線路内で検証作業を行っている鑑識の佐藤に、竹内が声をかけた。

「竹さんか? お互い、朝早くからたたき起こされて大変だなぁ」

「ええ。どうです、被害者ガイシャの様子は?」

「こりゃあ、轢死れきしじゃねえなぁ。あそこから、落っこちたんじゃねえか?」佐藤が頭上にある高架橋を指さした。

 線路から10メートルほど上に高架橋が架かっている。そこでも、鑑識課員が作業をしていた。

「左足が切断されちゃってるが、生態反応はないよ。おそらくあの高架橋から落っこちて死んだあと、線路の上に左足がかかってて、それを電車がいたんじゃないかなぁ」

「ということは、またも転落死ですか?」

「そういうこと!」素っ気なく佐藤は答えた。


 被害者の身元は、所持していた財布に入っていた城北大学の学生証から、井坂宏治であることが判明。

 井坂は、線路上の高架橋から上下線の線路の間に転落し、その際頭部を強く打ち、脳挫傷で即死したものと推測された。線路に倒れたとき、左足が下り線路にかかり、それを始発電車が轢いてしまったため、発見された遺体の左足は、足首のところで切断されていた。

 現場検証は、どうにか7時までに終えることができたが、通勤客の足どめは、避けられなかった。


 検証結果だけでは、井坂の転落した原因が、事故なのか、自殺なのか、それとも他殺なのかは、真里菜の事件と同様、判断がつかなかった。ちなみに、井坂は、チャコールグレーのブルゾンに紺のジーンズ、靴はスニーカーという2日前自宅を出たときの服装のままであったことが、井坂の母親によって証言された。

 死亡推定時刻は、司法解剖により深夜1時から3時の間と判明。


 井坂の遺体を確認するため豊島警察署に出頭した井坂の母親の話では、2日前の朝、岡本真里菜が死亡したことを知った井坂が、慌てて家を飛び出したきり、一度も家には戻ってこなかった。電話さえなかったらしい。

 真里菜が死んだことは、前夜真里菜の父親からの電話でしらされたが、井坂は不在で、深夜に帰宅した井坂が知ったのは、朝になってからだという。


 井坂宏治と岡本真里菜は、家が近所の幼馴染。父親同士も幼馴染であったことから、両家は、家族ぐるみのつきあいをしていた。ともにひとりっ子で、ひとつ齢が上の井坂が、よく真里菜の面倒を看て、ふたりは兄妹のように育った。

 ふたりとも、地元の公立小学校、中学校に通い、高校は、井坂が進学した都立の進学校に、真里菜も見事に合格し、再び一緒に通うようになった。この頃から、これまでの兄妹の関係でなく、互いに異性として意識した愛情が芽生え始めていた。


 井坂が高校3年に進級して間もない頃、井坂は父親を亡くしてしまう。祖父のあとを継ぎ、鉄工所を経営していた父親が、ここ数年の不況により経営にいき詰まり、大きな借金を抱えてしまった。追い詰められた父親は、自分の命と引き換えに借金を清算しようと目論もくろみ、誰もいない工場で首を吊って死んでしまった。

 銀行のほかに街金などの借金が嵩み、保険金だけでは、すべてが精算できず、工場兼自宅は、手放さざるを得なかった。生まれ育った家を出て、母親とふたりで小岩のアパートで暮らし始めた井坂は、一時は大学進学を諦めた。しかし、高校での成績が常に上位で、担任から熱心に大学進学を勧められ、母親と真里菜が、ふたりがかりで説得したことで翻意ほんいし、昨年の春、城北大学法学部に進学したのだった。


 井坂は、大学に通いながら、平日は、夕方から深夜までコンビニで、土日は、ガソリンスタンドで終日バイトをした。母親に余分な負担をかけたくない一心で、奨学金を借り、そして懸命に働き、大学の学費だけでなく、生活費まで自分でまかない、母親を援けた。しかし日々のバイトで忙しく、勉強している時間はほとんどなく、いつしか疲労で授業も休みがちになっていたのは、無理もなかった。


 ひとつ齢が下の真里菜は、井坂が城北大学に進学したことで、再び同じ大学に進学しようと考え、懸命に勉強した。その希望が叶って、この春、城北大学法学部に見事合格し、これまでと同じように井坂と同じ学校に通い始めた。

 皮肉にも、井坂の父親の自殺が、より一層ふたりのきずなを強め、互いに将来の結婚相手と考えるようになるまで、愛をはぐくませたのであった。



 井坂宏治の遺体が発見された日の午前11時より、江東区の木場公園近くの小さな斎場で、岡本真里菜の告別式が執り行われた。城北大学の法律研究部のメンバーは、部長の片瀬をはじめ明日香や麻衣子のほか、同級生10名ほどが列席した。

 祭壇に掲げられた遺影は、真里菜が大学の入学式で撮ったと思われる写真で、黒のスーツ姿で嬉しそうに微笑んでいた。苦しい受験勉強を乗りきり、見事合格を果たした晴れ晴れとした真里菜の笑顔だった。


 明日香は、焼香の際、遺影の真里菜を目にしてから涙がとまらなくなっていた。

 なぜ真里菜は死んでしまったのか? いったい真里菜になにが起こったのか? これから自分になにができるのか? いくら考えても、明日香は、答えを見つけることができなかった。

 真里菜の早すぎる死が、斎場内のはり詰めて息が詰まりそうな空気をさらに重苦しくしていた。


 霊柩車を見送ったあと、明日香は、法律研究部で真里菜と一番仲のよかった栗原くりはら千佳ちかに声をかけ、お茶に誘った。

 地下鉄木場駅前のスターバックスで、片瀬や麻衣子とともに、コーヒーを飲みながら話をすることにした。

「千佳ちゃんは、真里菜さんと一番仲がよかったみたいね」

 4人でテーブルを囲み、片瀬がそれぞれにコーヒーを配り終えるのを待って、明日香が尋ねた。

「ええ、同じクラスで、ほとんどの授業は、一緒に受けてました」


「今回の事件で、警察にも事情を聴かれたの?」明日香が質問を続けた。

「事件の翌日、一昨日おとといになりますが、警察の人が大学にきて、いろいろと聴かれました。クラスの何人かは、同じように事情聴取を受けたと思います」

「どんなこと、聴かれたの?」

「最近の様子だとか、悩んでいた様子はなかったかとか、つきあってる人がいたのかとか、いろいろなことです」

「それで?」

「まったく変わった様子がなく、普段と変わりはなかったといいました。私は、亡くなる直前まで一緒に授業を受けてましたから。ただ最近元気がなく、塞ぎこんでいるようにも見えたのですが……。これは、警察にはいいませんでしたが……。」


 そして千佳は、真里菜の死は絶対に自殺でないと、いいきった。真里菜は、何度か千佳のアパートに泊まりにきて、そのときは、夜遅くまで話しこんだりした。

 井坂宏治との関係については、生家が近所の幼馴染で、今も親しくつきあっていて、将来結婚するのだと、嬉しそうに話していた。だから、絶対に自殺など、するはずがないと。

 ただ最近の真里菜は、妙に塞ぎこんでいた。

 そのわけを尋ねると、大学に入学してから、学費や生活費を稼ぐため懸命にバイトしていた井坂が、ひと月前突然バイトをやめてしまった。それにもかかわらず、井坂の金まわりがよくなったので、真里菜は、井坂が危ないことをやっているのではないかと、とても心配している。

 このようなことを話してくれたらしい。


 これからバイトがあるという千佳が先に帰ったあと、明日香、片瀬、麻衣子の3人は、真里菜の事件でわかったことを整理することにした。

 3人とも、すでにコーヒーを飲み干していた。明日香と麻衣子が、お替りにカフェオレが飲みたいといい出したので、片瀬がカウンターにいき、カフェオレを3つトレイに載せて席に戻ってきた。席につくなり、片瀬がきり出した。


「自殺のセンがないとすると、やっぱ、岡本は殺されたのかもしれんなぁ」

「その井坂っていう恋人が、犯人かもしれないよ」麻衣子が唐突にいった。

「それはないやろ。栗原の話を聞く限りでは、愛しあっているふたりに殺人など起こるはずはないし、ましてや、結婚の約束までしてたんやから……」

 片瀬が麻衣子の意見を否定したが、直ちに麻衣子は反論する。

「片瀬君は、愛が憎しみに変わることを知らないの? 大人の世界では、よくあることよ!」

「そんなこと、お前にいわれんでも、とっくの昔に知っとるわ。あのふたりの愛は、ホンマモンや!」

「そこまでいいきれる? 男と女の関係って、当事者しかわからないのよ!」


「まあまあ、男女の恋愛論は、そこまでにして」見かねた明日香が仲裁に入った。

「片瀬君の肩をもつわけじゃないけど、あたしも、井坂君が真里菜さんを殺したとは、考えられないわ。ただ井坂君が真里菜さんを殺してなくても、真里菜さんが死んだことに、なにかかかわってるんじゃないかと思うのよ。いまだに井坂君の行方がわからないのも、そういうことじゃないかと……」

「そうやな。そういえば、今日の葬儀にも、井坂はきてへんかったからなぁ。いくらなんでも、恋人の葬儀やから、普通であれば、なんとしてでも駆けつけてくるわなぁ」

「そうなのよ。今も行方がわからないのは、もしかしたら井坂君は、誰かに監禁されているんじゃないかと、思うのよ」


「監禁って?」麻衣子が驚いた声を出した。

「ええ、そう考えないと、辻褄つじつまがあわないわ。愛する人の葬儀よ。これをのがすと、一生会えないもの。せめて最後のお別れぐらいは、したいはずよ」

「そらそうやわな。恋人やからなぁ」片瀬も同意した。

「それと、もうひとつ気になることがあるの。昼夜を問わずバイトしていた井坂君が、突然バイトをやめてしまったこと。にもかかわらず、井坂君の金まわりがよくなったことが、どうしても引っかかるのよ」

「そうやな。井坂が急にバイトをやめたのは、に落ちんわなぁ。どこかにええ金蔓かねづる、つかんだのかもしれんなぁ」

「その金蔓との三角関係で、井坂が真里菜を殺したのよ。きっと!」麻衣子は、どうしても愛情の縺れにもっていきたがる。

「北原! なんで、お前は、そんなふうに考えるんや。金蔓がおったとしても、女とは限らんやろ!」またも片瀬と麻衣子のバトルが再開。


 このあとも、3人で真里菜の事件の推理を続けたが、納得できる結論には至らなかった。

 この日の朝、すでに井坂宏治の遺体が発見されていたが、明日香たちには、知るすべがなかった。



「明日香!」

 帰路についた明日香が、所沢駅の改札を出たところで、背後から呼びかけられた。明日香が立ちどまって振り返ると、一郎が近づいてきた。

「やだ、お父さん。びっくりさせないでよ!」明日香が少し口を尖らせたが、一郎は笑顔を返した。

「お父さんが今頃、帰ってくるのって、珍しいじゃん。どうしたの?」

「仙台から直接帰ってきたんだよ。会社に寄らずに。2日もホテルに泊まれば、わが家が恋しくなるよ」

 そういえば、一郎は、一昨日から仙台に出張していたことを、明日香は思い出した。

「どうした? 元気ないんじゃないの?」一郎は優しくいった。

「まあね、いろいろあったから……」

 マンションまでの帰り道、歩きながら明日香は、真里菜の事件のことを一郎に話した。


 玄関のドアを開けると、真っ先にポチが出迎えてくれた。母親の洋子は留守で、最近り始めたホットヨガに出かけているようだ。

「明日香、一緒にポチの散歩にいこうか? 母さんはヨガで、帰りが遅くなるようだから……」

「いいよ。お父さんと散歩するなんて、久し振りだね」


 明日香は、一郎と一緒にポチを連れて、航空公園に出かけた。

 村木家のマンションから徒歩10分の航空公園は、正式名称を『所沢航空記念公園』といい、戦後米軍に提供されていた軍事通信基地の一部が返還され、1978年より、県営の公園として一般に公開されている。

 とても広い公園で、面積は約50ヘクタール。園内には、航空発祥記念館や所沢市立図書館をはじめ、日本庭園、野外ステージ、野球場、サッカー場、テニスコートなど、さまざまな施設がある。中でも、ノーリードで犬が自由に走りまわれるドッグランには、休日になると、多くの愛犬家が集まってくる。

 紅葉が終わりを告げた季節。ケヤキやクヌギなどの落葉樹は、すっかり葉を落とし、針金状になった木々が、どことなく寒々しい。ところどころに、クロガネモチやヤマモモなどの常緑樹の緑が、際立ついろどりを見せ、冬の到来に抵抗しようとしていた。


 公園内に全長約2キロのランニングコースが整備されている。脚に負担がかからないよう全コースにラバーが敷かれ、若者からお年寄りまでが汗を流していた。ランニングコースといっても、走っている人よりも、歩いている人の方が多いようだ。

 明日香たちは、ランニングコースに沿って歩き始める。

 スタート地点から200メートルほど進んだとき、前方から「キャイーン、キャイーン」と甲高く鳴きながら、飼い主をリードで引っぱって走ってくる犬が見えた。

「ロンドだ!」明日香は、同じマンションに住む母親の友人が飼っている愛犬の名前を呼んだ。


 ロンドは、グレーのトイプードルの雄。去勢しているためか、雄嫌いのポチとも仲は悪くない。とても人懐ひとなつっこい性格で、人間に対する警戒心は皆無。知っている人を見かけると、すぐに近づいて身体からだり寄せてくる。

「久し振りだね、ロンド!」といっている間もなく、明日香の顔をめにくる。

 舐め終わると、頭を下げて頭をでろと催促する。二度、三度撫でてやると、今度は身体を反転させ、背中を撫でろとまた催促。


 明日香が、次々と出されるロンドのリクエストに応えてやっていると、

「珍しいですね、おふたりで散歩なんて」ロンドのママが話かけてきた。

「ええ、出張で早めに家に帰ってきたら、駅で明日香とバッタリ。母さんがヨガに行って留守なんで、ふたりでポチの散歩にきたんですよ」

「そういえば、洋子さん、最近、すっかりヨガにまってるみたいですね」

「そうなんですよ。ほとんど毎日。困ったもんです。家事、そっちのけですから……」といってしまってから、一郎がしまったという顔をした。洋子がホットヨガに通い始めたのは、ロンドのママに誘われたからだった。

「でも、お蔭で、最近はほとんど病気もせず、元気でなによりです」すぐに一郎がとりつくろった。

「元気だけでなくって、洋子さん、とても若々しく綺麗になりましたよ」と、ママがつけ加えた。妻がめられるのを聞いて、悪い気がしない一郎は、「そうですね」と、思わず相槌を打っていた。


 一郎は、ホットヨガがどういうものか、まったく知らない。洋子の話では、室温を38℃程度に保った部屋の中で、いろいろなポーズをとる体操のようなものらしい。

 激しい運動はしないが、高温の室内で身体を動かすため大量の汗をかく。1時間のレッスン中に1リットルの水分を補給するという。この汗と水分補給が、身体の新陳代謝をよくして、若返るというらしい。

 洋子も、50歳を目前にアンチエイジングを図りたいのかもしれない。

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