屋根の下の叶夢と涼祐

便利屋りょー乳業

海と膝枕と星空

「海まで散歩に行かない?」


 2人で何かをするとき、始まりはいつも叶夢からであった。

 お互いがまだ純粋だった頃からの十数年続く2人の間のしきたり。色々な事に巻き込みたがる能動的な姉にまんざらでも無さそうに振り回される受動的な弟、このような関係でいることが最早当たり前のものとして無意識下に刻まれているため「了解」の2文字が反射で口から飛び出す。


 夏は下旬、夜は秋が近づいているからか、蒸し暑さはなくなりだいぶ過ごしやすくなっている。少し風が吹けば近くの山から運ばれてきた自然の匂いが、夜独特の感傷的な気分にさせてくる匂いを纏って鼻先を掠め、鼻腔をくすぐる。

 道中の会話は至って普通の身の上話であった。進んで話したがる姉と聞かれれば答える程度にとどめる弟の、相対するような位置に存在している2人だったが振り回されれば自然と言葉が浮かび、所々を噛みながらも次々と自らの口から溢れ出す。

 妙な高揚感が自分の中で次第に頭角を表しているのを若干の頭痛と共に実感していた。

 体感にして数分間の散歩道、現実時間では20分も経過していた事に人生何度目かの驚きを感じる。


 はぁあー、と叶夢が感嘆混じりの声を出す。その視線の先を見遣ると空には至る所に散りばめられた星が、その下には地上の星と言わんばかりに光る、タンカーだろうか、海を漂い僅かながらに波立つ水面を照らしていた。

 電灯の無い浜辺は一寸先さえ見えない程に暗く、それ故に遠くの光は十分な程明るく輝いて見える。


「ねぇ、あれ何座か分かる?」

 そう言い叶夢が指差した先には星の群れ、夏の星座であればさそり座、はくちょう座、ヘルクレス座等々があるものの、名前は知っていたとしても肝心の見つけるポイントが分からない限りは見つけることは限りなく難しい。

「なんだろうね」

 そう答えるしか無かった、紛れもない事実。

「だろうね」

 先ほどまでの浮き立つ気分の溢れる声色とは打って変わってふいと顔を背けるようなそっけない声色になった叶夢に「じゃあ叶夢は分かるの?」と投げかけるとその声色は再び浮き上がり「わかんない」と空を見つめながら首を傾げた。


「立ちっぱなしもアレだしあそこに座ろう」

 砂浜に立てられた膝ほどの高さのある目的不明のコンクリート製の土台を指して叶夢が言う。言われてから気づいたが、20分も歩けば当然それなりの疲労は溜まる、その証拠に脚が重くなったような感覚が現在進行形で生じている。

 コンクリートに腰掛け一息ついてから目の前の景色をまじまじと見つめる。そこに会話は無かった。

 沈黙の時間が2人の間に流れると、聴覚は否応なしにさざなみの音へと意識が向く。規則的なノイズは不可解な安心感を生み、精神を落ち着かせる。

 落ち着いた精神は明かりのほとんどない上に晴天で澄みわたった星空の素朴な美しさを何十倍以上に増幅する。

 そのまま何分経っただろうか、視線は星空に釘付けのまま、見惚れているのかぼうっとしているのかの区別もつかない状態でいると不意に頭が重くなり、鼓動がはっきりと感じられるようになっていることに気づく。居眠りをする予兆とも言える身体的異変、こうなってしまっては寝息を立てるのも時間の問題である。

 うつらうつらと首が垂れては起きてを繰り返していると叶夢に肩を叩かれ意識が一気に覚醒する。

「膝枕でもする?」

 叶夢の唐突な言動は今に始まった事ではない、過去には午前2時に叩き起こしてきてコンビニまで同行させられた事は鮮明に思い出せる。

 今回は自分のことを思いやっての発言だろうか、特に断る理由も無いためコンクリートに仰向けで寝そべり頭を叶夢の膝に委ねる。

 頭を撫でられる感触、どこか懐かしいような撫で方は疲労と眠気の同居する身体をまるで砂糖菓子のような甘く、優しい、蕩けるような至福の心地へと導く。

 叶夢は撫でる手を止めずに語りかける。

「ゲームしてるのか課題してるのか分かんないけど最近やたらと遅くまで起きてるよね? それでいて割と早く起きて学校行って、若いっていいよねホントに。でも寝る時はちゃ——————」


 どうも叶夢の語りかけの途中で眠ってしまったらしい。次に目が覚めると自室のベッドの上、服はそのままで冷房も付けずにいたのか寝汗がひどい。文句の幾つかが頭に浮かんだものの歩いて20分、人一人抱えればその2倍ほどのかかる家路をわざわざ起こさずに連れて帰ってくれた事は簡単に想像され、文句は感謝の念へと変換され風呂場へと向かう途中にある叶夢の部屋の前で軽く礼をした。

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