第6話 もう一人の“けーちゃん”

 翌日、起床した俺は携帯を確認すると、何件もの着信が入っていた。全て恵奈だ。


 丁度起きだした慧が俺の携帯を覗き込み……



「連絡してあげないと流石に不味いんじゃない?」



 ともっともらしい事を言う。



「大丈夫。帰ったら連絡するさ。」


「確かにやり返せたような気分でスッとした。でも、また親友を失いたくないんだけど……。」


「それこそ大丈夫。」



 慧はどういう事? と言いたげな表情だ。



「実際あいつらは浮気しても、慧は許したじゃないか。親友ってさ、そういうものだろ?」



 だから……と続けて



「恵奈もきっと許してくれるよ。」



 俺は思ってもいない事を堂々と口にした。


(許さないなら別れるって言えばいい。恵奈は絶対に許すさ。)


 慧はそれで納得したらしく、そっか……私も許したんだから恵奈も許してくれるよね。と冗談みたいな事を口走っていた。


 慧は幼馴染の彼氏だけではなく、恵奈に対しても執着心を抱いているらしい。普通ここまでくれば、人間関係を維持できない。


(自分の彼氏と浮気した女を許せる奴なんて、一体どこにいるってんだよ……。)












 俺が帰宅し玄関のドアを開けると、そこには無言で立つ恵奈が居た。



「ただいま。」


「お帰りなさい。どこ行ってたの? 心配したんだから……。」



(もしかしてこいつ……ずっと起きて待ってたのか?)



 恐らくは想像通りなのだろう。恵奈の目にはクマが出来ており、更には泣いていたであろうことが伺える。彼女の目元は赤く腫れていた。



「慧に会ってた。」


「ぇ……?」


「聞こえなかった? 慧に会ってたんだ。」



 すると彼女は全てを察したのだろう……


 許さない……あの女、絶対に許さない。と俯き呟いていた。



「親友なのに許さないの?」


「……。」


「もしかして俺も?」


「違うの! いっくんは何も悪くない! ただ、あの女が許せないの!!」


「慧は許したのに? 同じ事されたら自分は許さないの?」


「……。」



 ギリっと唇を噛み締める恵奈。



「そっか……俺の彼女はこんなに心が狭かったのか……。」



 それを聞いた彼女は途端に顔を青ざめさせる。


 そして俺は彼女が最も嫌がるであろう言葉を口にした。



「同じ“けーちゃん”なのに……。」


「いっくんが“けーちゃん”って呼ぶのは私だけ!!」



 彼女は凄い勢いで俺に詰め寄ってくる。


(やっぱり“けーちゃん”は楽しいなぁ……。)



 そろそろこの辺にしておかないと、彼女が本当に狂ってしまう。



(これからもずっと“けーちゃん”と遊びたいからな……。)



「ごめんごめん。“けーちゃん”は恵奈だけだよ。」


「……うん。」


「慧の事も許してくれるよね? 元々はけーちゃんが悪い事したんだから。」


「……。」


「恵奈が慧を許せないなら俺も許さない。」


「ち、ちがう……ちょっと言葉が、出てこなかっただけだよ。」


「許してくれるの?」


「う、うん。」


「じゃあ笑って?」



 我ながら無茶な事を言っている自覚はある。



「え?」


「けーちゃんは笑顔が一番綺麗なんだから。ほら……笑顔だよ笑顔。」



 すると彼女はぎこちなく笑みを浮かべる。誰が見ても無理に作った笑顔だった。



(なんて……美しいんだろう。)



 俺の目には、彼女のぎこちない笑みが今まで見た中で、最も綺麗に映った。



「それじゃあ明日は月曜日だし。慧には許してあげるって来週言いに行こうね。」


「……うん。」



 俺達は再び三人で会う約束をした。





 それからの彼女は一見普段通り。だが、慧の話題を出せば面白いように笑顔が引き攣る。そんな恵奈を見ているのが楽しくて、ついつい慧の話題を出してしまう。


 時々慧の事をわざと“けーちゃん”なんて呼ぼうものなら、途端に取り乱しては“けーちゃん”は私だと迫ってくるのである。


 これが面白い。


 やり過ぎると慣れてしまうかもしれないので、呼び間違えは一日一回までにしている。


 そうして楽しい一週間は過ぎていった……。








 今俺達は、以前慧に謝りに行ったときの喫茶店にいる。


 三人あの時と同じ並びで座り、俺と慧は浮気の事を恵奈に謝罪した。



「……良いよ。元々私の浮気から始まった事だから……。」


「許してくれるの?」


「うん。」



(おいおい……。どう見ても許すって顔じゃないぞ。)


 恵奈の目には、慧に対する憎しみが宿っていた。それこそ、今にも慧に飛び掛かっていっても不思議ではない程の……。


 慧は元々空気が読めないところがあり、そんな恵奈に気付かず許してもらえて良かった、なんて言っている。


 俺はもう少し恵奈を煽ってやることにした。



「な? だから言っただろ“けーちゃん”? 恵奈は優しいから許してくれるって。」



「やめて!!」



 恵奈の声が店内中に響き渡る。


 他の客も何事かとこちらを見ていた。



「どうしたんだよ恵奈? 許してくれるって言ったじゃないか。」


「あっ、その…いっくん、名前間違えてたから……。」


 その場を取り繕うように引き攣った笑みで答える彼女。


「あれ? 間違えてたか。ごめんごめん。二人とも“けい”だからさ……。」


「そうだね。二人の“けい”と一緒にお茶なんて、君は贅沢な奴だよ。」



 相変わらずの慧の空気の読めなさが淒い。流石にこれはわざと煽ってるとしか思えないのだが、これが彼女の素だというのだから恐ろしい。



「仲直り出来て良かった。やっぱ私達は親友だね!」



 そう言って慧は恵奈の手を取り握りしめる。



「おいおい。逆に俺が妬けちゃうよ……。」


(分かってるよ“けーちゃん”。慧をぶち殺してやるって顔に書いてある。)



 二人の手に更に俺は手を重ね……



「ずるいじゃないか。俺も仲間に入れてくれよな。」



 そう言って二人を交互に見る。



 一人は憎しみで我を忘れそうな顔をしていた。対照的にもう一人は幸せそうに笑っている。


(暫くはこうやって遊ぶのも良いな。)

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