第2話 ウサギとバトル




 俺はホラーが嫌いだ。

 まだ小学生だった頃、ヨミといっしょに、なんかハサミ男が襲い掛かってくるホラゲをプレイしたことがトラウマになっているせいである。

 そのゲームは主人公が戦う力を持たないため、逃げるか避けるか隠れてやり過ごすしか選択肢がなかった。


『これ、怖かったねー』


 笑いながらそう言うヨミを見て俺は思った。

 これはゲームだけど、主人公は何度も何度もゲームオーバーを迎えた。

 何かあった時、逃げるしか選択肢がない人間は、ただ怯えて犠牲になるしかないのだと俺はゲームを通じて学んだのだ。

 改めてヨミの顔を見る。

 無邪気で、俺といつも一緒にいてくれる女の子。趣味は男子寄りでいつも一緒にゲームをして、うちにお泊りしていくことも多い。

 この仲の良い女の子がハサミ男に襲われたとして、俺に何ができるだろう。

 そう考えた時、俺は心に決めた。


『そうだ、体を鍛えよう』


 とりあえず筋肉をつけて武術を学べば何とかなる。

 幽霊も物理で殴ればどうにかなるんじゃないだろうか。そもそも殴れるのかどうかわからないけど、とにかく体を鍛えればいい。

 武術で邪を祓うみたいなお話も多いし、祈りを掲げ武を学べば幽霊も何とかなるかもしれない。

 信仰が霊を封じるならば、武に対する信仰があれば、きっと幽霊を殴れる。

 そう、武術はすべてを解決するはずだ。




 ◆




 俺は、倒れたウサギのキグルミを睨みつける。

 うん、まさか実際にこんなことになるとは思ってなかったよ?

 でもとりあえず、俺は間違っていなかった。謎の殺人鬼とタイマン張れる程度には俺の実力は高かったようだ。


「部長、隙を見て逃げ出します。準備しといてください」

「え、あの、は、はい」


 部長に言伝を終えると、意識をウサギのキグルミにのみ向ける。

 アドレナリンで恐怖は誤魔化せ。血を沸騰させて寒気を吹き飛ばせ。

 

『ハァッ……☆』


 ウサギのキグルミが再び襲いかかる。

 俺に、ではない。

 狙ったのは他のメンバー。鉈の先にいるのは、ヨミだった。


「ひっ」

「させるかってんだよ!」


 袈裟懸けに振るわれる鉈は速く強く、避けられないし防げもしない。

 だから狙うのは手首。鉈を持つ右手を、右上段蹴りで打つ。

 メキッ、と嫌な音と感触を味わう。

 俺の蹴りがキグルミの手首を捉えた。

 骨を砕くつもりで放った蹴りだ。ウサギも耐えきれず、右手があらぬ方に流れた。

 だけどそれだけだった。


(マジかよっ……?! 手首に蹴りをぶち当てたのに鉈を放さないとか、どんな握力してやがんだ?!)


 変なところで相手が人間ではないと改めて思い知らされた。

 キグルミが鉈を振り回す。

 あいつの動きは決して早くない。ただ、鉈の速度だけは尋常じゃない。

 腕の動き、肩の動きの始動を確認し、軌道を予測し“あらかじめ避けておく”のがせいぜいだ。

 空気を裂く鉈をやり過ごし、横に回り込んだ俺は、接近し脇腹に肘打ち。


「ちぃっ?!」


 効いているのかいないのか。

 キグルミはたたらを踏んだが、すぐさま反撃に転じる。

 近距離なのにスムーズに鉈を振るうのは、卓越した技術ではない。ごくごく単純な、腕力に任せた乱雑な一撃だ。

 この位置では退いても避けきれない。

 だから俺は一歩を踏みこみ、アメフトのタックルのように全体重をかけてぶつかっていく。

 さすがにこれは耐えきれなかったようで、体が“く”の字に曲がる。

 頭が下がった、チャンスだ。

 俺はぐるりと体を回し、蹴りを放つ。現代風に言うとスピンアトップキックが近いだろうか。踵をウサギの顔面の中心へ叩き込む。


『ガバァアァアァ……?!』


 吹き飛んだキグルミは、そのまま後ろに大きく倒れた。

 ピクリとも動かない。

 人間相手ならKOどころか命も危うい。が、相手が化物ではどれだけ効果があるものか。


「う、ウサギさん、死んだ、のですか?」と部長が恐る恐る聞いてくる。

「あれで倒し切れたかは分かりません。近付いてガバッて襲われるのはホラーの定番ですし、生死の確認よりもとにかく脱出しましょう」

「わ、分かりました」


 久地部長達を促した後、俺は腰を抜かした文城先輩を無理矢理引きずって階段を下りる。

 一番に駆けていったのは会田だった。しかし一階の玄関に辿り着いた彼女は泣きそうな声を上げる。


「あ、開かない! やっぱり開かないよ?!」

 

 ホテルに閉じ込められたまま。

 ウサギのキグルミも倒した訳じゃない。

 どうする?


「ま、まずは二階のどこかの部屋に身を隠しましょう。廊下にいては、別のナニカに襲われないとも限りません」


 久地部長の指示に従い、俺達は二階まで戻った。

 古い造りなのが幸いした。鍵は電子キーではないため、客室には普通に入ることができた。

 ベッドが二つ、トイレとシャワールーム。結構広い部屋だ。

とりあえず鍵を閉め、バリケードとして家具類を扉の前に移動させる。

 

「はぁ、助かった、のかな? よ、よかったぁ」


 緊張の糸が途切れたのか、ヨミが大きく息を吐いた。

 他の皆も同じようなもので、それぞれ安堵の表情をしている。

 俺も気が抜けてしまったらしい。立っていられず、その場でへたり込んでしまった。


「たっちゃん、大丈夫?!」

「な、なんとか……。さすがに疲れたみたいだ」


 動画撮影であんな大立ち回りをする羽目になるとは。

 ヨミは呼吸を整える俺の手を取って、自分の胸元にまで引き寄せた。


「……ありがとうね。たっちゃんのおかげで、私達なんとか無事だよ」

「なんの。普段俺も助けられてるし。寝坊しそうな時は起こしてくれたり、土日とか昼飯作ってくれたり。こんなん、ヨミ特性ナポリタンに比べたら何でもないよ」

「えー、私のナポリタンって人命レベル?」

「少なくとも俺にとってはね」


 マジでうまいです。ナポリタン一本でお店開けると俺は思ってる。

 ヨミと肩を寄せ合って笑い合う。こんな状況なのにホッとするのは幼馴染同士の気安さだ。


「あ、あの、寺島」 

「ん、どうした会田?」

 

 ギャル娘がなんか気まずそうにしている。

 こんな姿を見るのは初めてでちょっと居心地が悪い。


「その……ありが、と。頼りないとか言ったのに、アタシのことウサギから助けてくれたじゃん」

「あー、まああれは咄嗟にカラダが動いたというか」

「はは、それはそれですっげーし。……どっかの口だけ男とは違うってゆうか?」


 言いながら冷たい視線を文城先輩に向ける。


「な、なんだよ」

「べっつにー? あんだけ寺島のことバカにしといて、いざとなったら腰を抜かして騒ぐだけ。そういうヤツが化物相手に殴り合いしてまでアタシら助けた寺島をヘタレ扱いしてたのかぁ、と思っただけですけどー?」

「なっ?! お、お前だって俺に味方してたじゃねーか?!」

「だ、だから謝ったんじゃん?!」


 言い争う二人。

 この状況で騒ぐのはよくない。止めようと思ったのだが、上手く力が入らず立ち上がれなかった。

 

「二人ともやめてください。とにかく、ここを脱出する方法を考えないと。……私達も、河野君みたいに」


 しんと部屋が静まり返る。

 河野副部長が死んだ。その事実が今さらながら重くのしかかる。


「副部長……先にここに来て、あのウサギに殺されたんだよね」


 ヨミが俯いてしまう。

 映研で一番撮影に意欲的で、だけど現状に不満を言わない優しい先輩だった。動画配信を頑張りながらも、文化祭では皆で映画を作りたいと準備を整えていた。

 なのに、どうしてこんなことに。


「茂部井と、布津野さんは……」と俺が呟けば、部長がそれを遮って言う。

「きっと、二人とも無事です。そう、信じましょう」


 ただの希望的観測だ。

 でもみんなそれに縋りたかったのだろう、深く追及はしなかった。


「……文城先輩が、幽霊撮影しようなんて言うから」

「はあ?! 華夜ちゃんだって賛成してただろ?!」


 また言い争いになろうとしたところを「だから、静かにしてください」と部長が冷たく切って捨てる。


「で、でもさ。寺島がウサギ倒しちゃったし、ちょっとは安全になるんじゃない?」


 会田が無理に明るく振る舞う。

 でも残念ながら、俺は首を横に振った。


「……ごめん、あれは本当に倒しただけで、命まで奪ったわけじゃないんだ。そもそも、あれキグルミじゃない。殴った時の感触で分かった。あいつ、中に人が入ってるんじゃなくて、ああいう外見をした化物だ。はっきり言って、俺の打撃じゃ倒し切れないと思う」

「ま、マジで? じゃあアイツ、また襲ってくんの……?」

「へっ、なんだよ。こいつ結局役立たずじゃねーか。あーあ、期待して損したぜ」


 反論できなかったのは、確かに役立たずではあるから。

 もしもあのウサギがまた襲い掛かってきたとして俺に出来るのは足止めまで。

 鍛え上げてきたマッスルは現状の打破には至らないのだ。


「文城先輩、いい加減にしてください」


 ヨミが、怒りに肩を震わせて文城先輩を睨みつけていた。




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