第11話 上書きと乙女心


 ――がるっ!


 その叫びが届いたのか、俺の目の前に救世主が現れた。ソイツは目にも留まらぬ速さで俺たちの前に飛び出してくると、エステルが持っていた剣を咥えて奪い取る。



「ぎ、銀狼……!!」

『がるっ、がるるるっ!!』


 まるで助けに来たとでも言いたげな唸り声を出すと、銀狼はヒキョンの方へと向き直った。



「や、やめろ! 俺様を殺せば、奴隷紋は一生消えな……ぎゃああっ!」


 残念ながら、すでに銀狼の隷属は解けている。


 自由の身となった銀狼は、彼の喉笛をひと噛みで噛み千切ってしまった。ヒキョンは反撃する間もなく絶命し、首から大量の血飛沫を上げながら床に倒れ込む。



「おいっ! 大丈夫か、エステル!?」

「う、うむ……私は平気だ……」


 思わず固まってしまっていたが、どうやらエステルは無事だったようだ。彼女はフラつきながらも立ち上がると、銀狼に向けて頭を下げ始めた。



「ありがとう。そしてすまなかった、銀狼よ。私の代わりに貴殿の手を汚させてしまった……どうか許して欲しい」

『がうっ』


 銀狼はそんな彼女を許すように吠えると、エステルの頬をペロペロと舐め始めた。その口はヒキョンの返り血で真っ赤だったが、彼女は嫌がりもせずされるがままになっている。


 どうやら銀狼はエステルを仲間だと認めたらしい。



「ああ……ありがとう。君のような優しい友を持てて、私は幸せ者だよ」

「良かったな、エステル。だが犬は苦手じゃなかったのか?」

「……そういえばそうだった。だが不思議だな。何故か今はちっとも怖くないのだ」


 エステルはお返しにとばかりに、本当に嬉しそうに銀狼の頭を撫でている。奴の毛並みが相当気に入ったようで、遂には頬擦りまでやり始めた。



「しっかしまさか、こんな形の結末になるとはな……」


 放ったらかしにされた俺は部屋の中の惨状を眺めた。

 来た時は高級そうな調度品で溢れていたギルドの一室は、今ではすっかり破壊し尽くされてしまっていた。


 結局、死んだのはヒキョンだけだった。手下たちも一緒に床に転がっているが、意識を失っているだけだ。


 領主の息子がギルドで殺されたとあっちゃ、これは後始末が大変そうだ。



「それにエステルのお父さんのことも……頼みのつなだったヒキョンも死んじまったし、これではエステルの隷属紋も……」


 まだ銀狼を撫で続けているエステルの首元を横目で見た。そこには変わらず、隷属の証である刺青が残っている。


 ヒキョンが死の間際に言った通り、魔法を掛けた本人が死んでも残るらしい。ただ問題は、その隷属先が誰となっているかなのだが……。



「こういうのは術者の立場で変動するんだったっけ? とすれば、ヒキョンの父親か? マズいな。あの変態の親父だろ? どうせソイツも『俺を舐めろ』とか言う変たヒビョッ!?」

「んっんっんっ……」

『わふっ、わふわふわふっ』


 突然、俺の頬が両サイドから襲われた。

 俺は慌てて引き剥がそうとするが、一人と一匹は構わずにベロベロと顔を舐めて来る。



「お、お前ら急にどうした……や、やめろ! 人の頬を舐めるんじゃない!!」

「……はっ、私は一体なにを!?」

『わふっ?』


 急に我に返ったエステル。自分のしてしまった蛮行に、顔を真っ赤にして恥ずかしがっている。どうやら彼女自身にも、どうしてあんなことをしてしまったのか分かっていないようだ。銀狼も首を傾げている。


「と、殿方にキスをするなど!! ああっ、なんて破廉恥なことをしてしまったんだぁあ!?」

「落ち着け。そいつは俺にも分からん……いや、待てよ?」


 隷属魔法で強制的に結んだ主従契約が引き継がれる条件。魔法を行使した者が誰かに殺された場合、殺した者に引き継がれるとしたら。



「その場合、該当するのはこの銀狼だ。そして銀狼の主が俺となっていた場合……」

「私の主はガイ殿ということになるな」

『わふわふっ!!」


 そんなのって有りなのかよ!?

 銀狼は『よくできました』とでも言わんばかりに、俺の頭をベロンと舐めた。



「はぁ……なんてこった。俺じゃ解除の方法なんて分からないし……」


 この国の宝である聖騎士を隷属させた、なんてことがバレたら、俺は他の聖騎士に殺される。ヒキョンほどの裏社会に通じているアホだったらどうにかなったかもしれないが、俺はただの底辺冒険者だ。簡単に捻り潰されちまう。



「ふふ、気にすることはないさ。私はむしろ感謝をしているぐらいだぞ?」

「はあっ!? エステル、お前は何を言っているのか分かってるのか!?」

「ガイ殿には命を助けられた恩がある。そのガイ殿になら喜んで仕えようじゃないか」

「いや、そういう訳にはいかないんだろ!……なんでお前はそんな嬉しそうなんだよ」


 エステルはまるで乙女のように頬を染めて『これぞ騎士の本懐……』と呟いている。



「そもそも、本来ならば死ぬまであのクズの人形にされるところだったんだ。それが解放されて、新たな主人まで得た。これほど嬉しいことはないだろう」

「だから、そういう問題じゃないだろ! 聖騎士は個人に仕えるものじゃないって分かってるだろ!?」

「うむ、分かっている。分かってはいるのだが……なんだ、その……」


 エステルは恥ずかしそうにモジモジすると、俺の顔を見つめてきた。



「私は……ガイ殿のモノなら、嫌じゃないというか……幸せなんだ」

「……え? あー……うん……はい」


 エステルは耳まで真っ赤にして俯いている。正直に言って、かなり可愛い。こんな状況でなければ抱き締めてやりたいくらいだ。


 ま、まぁ主従関係は駄目でも、恋人としてなら良いよな?

 なにより、エステルが居てくれたら俺も嬉しいし……でへへへ。



『くぅん……』

「なんだ? 急に銀狼が大人しくなったぞ?」


 エステルの言葉を聞いた銀狼は、なぜかションボリとしていた。耳も尻尾も垂れて元気がない。



「ふふっ……おそらくだが、私にガイ殿を奪われて落ち込んだのだろう。見たところ、この銀狼は女の子のようだしな……」

「コイツ、メスだったのか!?」


 言われてみれば、たしかに股間のブツがコイツには無い。いや、メスだと判明したところで、ショックだと言われても困るんだが。さすがに精霊獣とはお付き合いできないし。



「まぁ良いではないか。私はこの子とだったら、ガイ殿を一緒にシェアしても構わないぞ?」

『くぅ~ん!!』


「えー? 俺、そんなに甲斐性ないんだけどなぁ」


 なにより、コイツらと一緒に居たら確実にまた厄介ごとに巻き込まれそうなのだ。

 一人と一匹に潤む瞳で見つめられながら、俺はその場で頭を抱えた。

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