第3話 なんで、こんなところにいるのですか?

 宿屋でやることを終え、私は紹介してもらった海岸へと向かった。

海岸への道はなだらかな土の道で、コロコロと石が転がっている。

まるで昔通った学校への道のようだ。


 長い長い道を歩いて到着する学校、そこが楽しい場所ならどれほど良かったのだろう。気ままなくせに、人の言うことを気にする私にとって、学校は衆人環視されているような場所だった。同級生、先生、用務員……全ての人に自分の行動を見られているような気がした。おかしな行動すれば、それ相応の報いを受けると、この教室内にいられないと思っていた。いるだけで呼吸が苦しくなったのはいつからだろう。心臓の音がうるさいくらいに聞こえ授業に集中できなかった。親ははじめのうち、私の恐怖に気づかなかったのか、

登校させようとしたが、私はそれに耐えきれず、吐いた。


 病院に診断されて、何かしらの病名がついて、私は学校を休んだ。不登校だった。周囲は私の繊細な気質を心配し、優しい言葉で休みをすすめた。私はそれを甘受していたが、やがてあることに気がついた。


 誰も逃げろといえど、その後のことを語らなかったのだ。

親は転校も考えていたようだ、環境が悪いのであれば逃げれば良い……と。まったく、馬鹿らしい、私はいじめを受けたわけではないのだ……ただ学校の雰囲気になじめなかった。檻のように感じていたことが、根源だったのに。学校を変えたとしてどうにもなるわけじゃない。


 逃げて良い、休んで良い、あなたは頑張った、だから辛いことを思い出さなくて良い……それは正しいことだろう、逃げることはけして悪いことじゃない。だが最終的に自分の足で立って、現実に立ち向かわなきゃいけない。甘く、逃げるための言葉では自分は救われない……。そう気づいた時、私が学校に行く決意をした。


 学校は恐ろしい、しかし安直な甘言に甘えていては、もっと先がない。だから私は律した。己の日和ってしまう心を。


 そんな経緯を踏まえたくせに、私の書く小説はなんだ……

 辛かったら逃げてもいい、休んでも良い、あなたは悪くないんだ、赦されて良いんだ……。

 その言葉を受け取っていい人間もいる、同時にどんな苦境でも、優しく甘い言葉を安直に与えてはいけない人間もいる。都合のいい言葉に、甘えに甘えて、堕ちていく人間が。


 ……人が駄目な方向へ邁進していく、ひとつのきっかけを作っているのではないか。私はそのことが怖かった。


 ……作者はどう思って書いているということを抜きにして、小説をどう読み取るかは読者次第だ。だから読んだ後の感想に、作者ですら干渉できない。けれど自分は、現実でも人が聞いて喜びそうなことをいい、小説ではさらに悪化する。

 本当は良くないとわかっているのに……私はどんな思いをもって、人を癒やし小説を書いているのか、自分でも分からない……。


 自然と呼吸が浅くなっていく。緩やかな下り坂になっていて、けして息が荒くなるような道ではないのに、心を圧迫する思いで、苦しくなってきた。海はまだかとおもう、海岸はまだかと思う。

 じれったい気分のままで、足を進めていくと、海岸についた。

 少し深い色をした海だった。岸に打ち寄せる波の音が、私の心を落ち着かせる。昔祖母に背中をやさしく叩かれたことを思い出した。


「大丈夫、大丈夫よ、朔太郎」


 祖母はいい人だった。


 私は浜辺でひょっこりと顔を出した石の上に座り、海を眺める。

のんびりとした時間だった。少し遠くで、誰かが海の中に入り遊んでいるようだったが、それ以外に人はいない。波と風の音だけ、船にのっているときよりも心がゆるくなれた。現実を忘れられる。このまま、現実なんて忘れたいくらいだ。やはり一度逃げるという選択に走ってしまうと、ずっと逃げたくなる。思考が単純になるのだ。


 逃げるだけでいいのだから……と。

 

 私は目をつむる。だんだんと眠くなる。こらえようとしたが、ふっと揺らぐ意識にかまうのが、段々どうでもよくなった……。


「村田先生ですよね、村田朔太郎先生……」


 ハッとした。意識が急速に現実に引き寄せられていく。私は声のした方を見ると、髪を濡らした、水着の少女がこちらを見ている。動揺のあまり目が泳ぐ私に、少女は怪訝な顔をしていた。


「なんで、こんなところにいるんですか……」

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