第4話

 上原村の最寄り駅には正午過ぎに辿り着いた。廃墟とは得てして、そこにたむろする不良や粗暴な探訪者によって、故意に破壊され弄ばれていることが多い。

 しかし、ここには探訪者もまして不良もないとみえ、白い木造の駅舎は専ら自然によってのみ破壊されていた。

 改札を抜けると、駅員室が見えた。硝子戸はくすみ、きっぷと印字され文字が剥げかけている。

 風雨によって腐敗し、片方の足が欠損した木造のベンチには埃と蜘蛛巣がかかっていた。

 壁に掛かった時計はどれぐらいまで時間を刻んでいたのだろう。時刻は9時32分で止まっていた。一思いに足蹴にすれば、たちまち倒壊してしまうのではないかという、朽ちた柱には時刻表がかかっている。汽車は一時間に一本。朝6時55分から18時24分まで通ってあった。

 駅舎がそのような有様であったから、奥へ進んだ上原村は言わずもがなの状態であった。

 土地を開墾した人々の営みを自然は強靭なその征服力でもってして、自らの手元へ取り戻そうとしているようであった。


 微かな轍を歩き、2人は家々を見て回った。

 当時ここに住んでいた人間は、どれぐらい存命だろうか。彼らがいなくなってしまえば、ここであった生活は記憶という流れの中からも消し去られてしまうだろう。忘れ去られてしまった事実は、もはや事実として存在するのだろうか。この場所を覚えている人間がいなくなることは、名実ともに上原村の消失を意味するような気がした。

 英二は振り返り、芳郎を見た。自分のすぐ後ろを付いてきているとばかり思っていた彼は少し離れた所に突っ立っていた。

 その場に縛り付けられている。立ち止まっている芳郎の様子を英二はそんな風に捉えた。彼は一軒の家屋を意思のない目で見つめていた。

 そばまで行くと、彼を縛り付けていたものの正体が分かった。木造平屋の大きい旧家には『暮』の表札がかかっている。芳郎の実家だった。

「私の家だよ」

 芳郎はぽつりと言って、家の周りをぐるりと一周した。雑草の坩堝となった庭をかき分け、芳郎は縁側へ昇った。

 一枚の雨戸がサッシから外れ、縁側に倒れ掛かり、開け広げられたその隙間から、家の中が見える。のぞくと、板張りの土間があった。広く薄暗い土間はどこまで続いているのか見当もつかず、天井は酷く高い。そこへ太い丈夫そうな梁が渡してあるのが辛うじて目視出来た。

 英二と芳郎は縁に腰を掛け、少しばかり中を覗き込んでいたが、すぐにやめてしまった。

 家の東側へ回ると、建物は半壊していた。

 柱の一部が瓦の重みに支えきれず、根元から折れ、建物内部が一面に露見している。地面には雑誌や文庫本、割れた食器。ケースに入れられていたと思しき日本人形は草根に埋もれ、どす黒く変色していた。どれも、部屋から流れ出てきたものだろう。

 その一つ一つを英二は手にとり眺めた。

 数十年ぶりの帰省じゃないかと嘯いた自分を恥じた。彼の故郷はないのだ。もはやどこにも。ここにあった思い出もやがて朽ち果てていく。その様を見せつけられた芳郎の心に掛かった重圧は計り知れない。

 英二は一枚の写真を取り上げた。破れかかった白黒の写真には学生服姿の少年が写っていた。屈託のない笑顔を浮かべる少年と同じ年ぐらいの少女が並んでいる。眺めている内、破顔する少年には芳郎の面影があることに気づいた。この写真に写っているのは間違いなく暮 芳郎だ。では、隣にいる少女は―

 背後から近づいてくる足音に英二は写真を掲げ、

「これは君だろう? 隣にいるのは兄妹かい?」とつぶやいた。

 返答の不在に振り返ると、芳郎は

「帰ろう」とただ言うだけだった。



つづく

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