22.突風

 5月も下旬に入ったのに、相変わらず雨がよく降るせいか、一向に暖かくならない。涼しいを通りこして寒い日も多い。そろそろ一学期の中間テストが近づいてきているが、渚はまだ手をつけていない。千歳から依頼された件に心が気になって勉強に手がつかない。

「そうだ、明日の放課後は武蔵野亭で勉強しよう」

 我ながらいいアイディアだ。なぜか家に帰ると勉強する気がなくなるのだが、カフェでなら誘惑もないし、遥さんも必要がなければ話しかけてくることはない。「カフェで勉強」と口にしてみると、なんだか少し大人になったような心地がした。

 翌日も朝から雨が降っており、学校が終わる頃には雨の勢いがますます強くなっていた。最寄り駅からは傘が役に立たないほどで、びしょ濡れと言ってもいい姿になってしまった。カフェの前まで来たものの、こんなに濡れた状態で入って良いものだろうか。躊躇していると中からお客さんが出てきて、開いた扉から中を覗いたら、遥と目が合ってしまった。

「あ、渚ちゃんいらっしゃい。濡れちゃうから早く中に入って」

 いつもと変わらない優しい声と表情に心が暖かくなって、店内に入る。客は渚だけだった。今日は地域文化研究部員たちはおらず、聖がカウンターに立っていた。渚がカウンターよりのテーブルに座るのを見届けて、水とメニューを運んでくる。

「こんな雨の中よくきたね」

 聖は最初に会った頃にっ比べてすっかり打ち解けた口調になっていた。先輩に対する言葉遣いではないし、客に対する言葉遣いでもないが、渚は不愉快ではなかった。

「家だとついつい怠けちゃうから、ここで中間試験の勉強をしようと思って。あ、注文カフェオレね」

 中間試験、という言葉に聖がハッとした表情を浮かべたのを渚は見逃さなかった。意地悪く聞いてみる。

「やってる? 勉強?」

「あんまり……」


 武蔵野亭では、一時間以上勉強に集中できた。効果的面だ。すごいな、このカフェという空間は。今日だってそのまま家に帰っていたら、絶対にまだ教科書を開いてもいないだろう。お金さえあれば、試験が終わるまで毎日でもきたいくらいだ。親にお小遣いの交渉してみようか。成績アップにつながるならいけそうな気がする。父も母も娘に甘いのだ。

 一息つく。まだ5時を回ったばかりなのにあたりは暗く、雨が建物を叩く音と風がびゅうびゅうと鳴る音が聞こえる。少し怖くなって、カウンターの方に目を向ける。聖の姿を確認できて心強く感じた。遥は買い出しにでも行っているのか姿が見当たらない。カフェオレはまだ残っていたが、口をつけるとすっかり冷めてしまっていた。

 その時、入口の方からガン! と何かがあたる音がした。続けて、窓ガラスがパリンと音を立てて砕けた。風で吹き飛ばされてきた硬い物体があたったようだ。

 何があたったのだろう? と確認する前に風雨が店内を打ちつける。

「聖くん、あれなんとかしないと……」

 ようやく声を出せたが聖は手招きする。

「今そっち行ったら危ない。ガラスも散らばっているだろうし。とりあえずこっちにきて」

 それでも躊躇している渚に、

「はやく!」

 と聖が声を張る。

「はい!」

 渚は素直に従った。


 雨はカウンターの奥までは及ばずにすみそうだったが、なかなかやまない。

「遥さんがいない時にこんなことになるなんて……」

 聖が自宅で作業をしていた遥に電話をして状況を伝えると、危ないから雨が止むまでそこにいるようにとのことだった。しばらくして、作業着の上に雨ガッパをかぶった遥がやってくるのが見えた。扉を開けたが入口付近の惨状をみて、裏口から入って二人と合流した。

「自転車が当たったみたい」

 自転車が吹き飛ばされるほど強い風なんて。

「店の看板も吹き飛んでいるみたいだから、雨やんだら探さないと。渚ちゃん危ないからもう少しここにいた方がいいと思うけど、家に連絡しなくて大丈夫?」

 時刻は五時半過ぎ。六時半くらいまでは連絡なしでも大丈夫だろう。

「はい、平気ですけど……、なんか居座っちゃってるみたいでごめんなさい」

 ぜんぜん、というふうに遥は手をふる。

「でも電気がとまらなくて運が良かったわ」

 たしかに。おかげで恐怖を感じなくて済む。

「どうせ今日はもう営業停止だし、お茶でも入れるから飲んでいって」

 そうして出されたカモミールのハーブティーを飲むと、聖も渚も気持ちが落ち着いた。自分たちがいかに緊張していたかを知る。

 夜7時ごろ、雨が少し弱まったので渚は帰宅した。


 翌朝、登校する時に武蔵野亭の前を通ると、店の前はきれいになっていたが、扉の窓ガラスだった部分には強化テープが貼られていて痛々しかった。中の様子は見えない。看板も出ておらず「店内のメンテナンスのため数日間休業します」と張り紙が貼ってあった。

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