6.聖くん③

 自室で夜のテレビドラマを見終わって、寝る準備を始める頃には雨はずいぶん激しくなっていた。寒い時期に雨が降ると一段と冷え込む。明日は寒そうだ。

「ここ来てまだ一週間か。意外と早く慣れるもんだな」

 なんだかもっと長くここに住んでいる気がする。

 一週間前、母親に付き添われてここに来た時はやっぱり不安は大きかった。父親の圧から逃れたいとずっと思っていたけれど、家族と離れて知らない街で暮らすのは寂しい。駅の近くまで行かないと商業施設はないようで、家族と住んでいた三鷹よりも寂しい印象を受ける。武蔵野亭も建物が古く、家族と住んでいた築浅のマンションがとても綺麗だったことを思い出す。加えて知らない大人が隣の部屋に住んでいるなんて聞いていなかった。特に干渉されることないが、どうも大人の男の人は苦手である。

 しかし、まわりに迷惑をかけてまでそうしたいと主張したのは自分なので文句を言うわけにはいかない。それにやっぱり知らない土地で、あの父親の言いなりになる未来に比べたら、ずっとましではないか、と頑張って気持ちを奮い立たせた。そんな聖の武蔵野亭での数少ない癒しは黒い子猫だ。聖はこれまで何かに対して「可愛い」という感情を抱くことは少なかったが、この小さな生き物は、その「可愛い」を凝縮したようなものだった。

 武蔵野亭では、昼ご飯と夜ご飯はすぐ近くのマンションに住んでいる遥が作ってくれるけれど、朝ご飯は自分で用意しなくてはいけない。これまで用意されていた朝食は母親が時間を割いて用意してくれたものなんだな、という当たり前のことを知った。ご飯が用意されるありがたみに感謝して、せめて子猫のご飯くらいは自分が用意することにした。といってもキャットフードのストックもミルクもあるので、皿によそおうだけだが。

 子猫のおかげかは分からないが、数日経つと新しい環境を当たり前のものとして受け入れていた。親がいないことを寂しく感じることもなく、反対に親に干渉されないことが快適だった。毎日特にやることはなかったが、街に慣れるために散歩をしたり図書館に行ったりするのは思いのほか楽しかった。

 そういうわけで遥は心配しているようだが、あまり困っていることはない。強いて言えばお金がない。漫画を買いたい。一応親からの仕送りはあるものの、決して潤沢ではない。ここに来て早々、中学の友達と遊ぶために三鷹の方に行ったら交通費と飲食費などで結構減ってしまった。気をつけて使わないと、すぐにお小遣いはそこをつきてしまう。そう思っていたら昨日、遥から残りの春休みの間だけでもお店を手伝うアルバイトをしないかと提案された。

 バイトの初日、「とりあえず今日はみていて」と言われたので、遥が注文をとってから飲み物を提供するまでの流れをみて、説明をきいて、ノートにメモをとった。そんなふうに過ごしていると3時くらいに自分と同い年くらいの少女がやってきた。このお店に高校生が来るとは思っていなかった。その子は遥と知り合いみたいで、聖のことを紹介された。国領渚という名前のその女の子は、聖にはそれほど興味を示さなかったので、聖からも特に話しかけることはなかった。自分のことを棚にあげて「愛想のなさそうな子だな」と、思っていた。

 夜に遥から神社にお店を出店するイベントの話を聞いた。聖はアルバイトとして当然のごとく参加するのだが、渚という名前のその女の子も手伝ってくれるらしい。聞けば渚は聖が通うことになる高校の生徒らしかった。4月から2年生になるというので、1学年先輩にあたる。

「女の子に好かれるには最初の印象が大事だから、頑張ろう」

「別に好かれなくても……」

「そういうこと言わない。まじめで優しそうな子じゃない。ちょっと不器用そうだけれど」

 渚に対する印象は、今のところ良いも悪いもなかった。ただ小さな黒猫に「漱石」と名付けたネーミングのセンスには感銘を受けた。

「たしかに、猫を助けてくれたのだから、お礼くらいはちゃんと言うべきだったかも」

「そうそう、もっと積極的にコミュニケーションとらないと。4月から同じ高校なんだから顔を合わせることもあるだろうし」

 高校、という言葉を聞いて、忘れていた不安がムクムクと顔を出す。

「あ〜、高校生活かあ」


 翌朝、買い出しのために外に出ると雨は小降りになっていたが、体感温度は昨日よりずいぶん低い気がした。川沿いにある卸売センターで買い物を済ませた後、聖は川原に小さな白っぽいものが動いているのを発見した。

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