豪炎寺武満の人生

 俺は最低な男だ。友であった同僚を裏切った。

 自分の仕事を押し付けて、相手に苦痛を与えている。

 そして、俺自身は部長から押し付けられた部長の仕事をこなす。

 俺には愛する妻と娘が居る。仕事を失う訳にはいかない。


 だから俺は部長の言いなりとなって友を裏切った。

 そんなある日、時期的に珍しい採用の社員が増えた。

 一見するとただの平凡な男。だが、その内に秘めているモノが分からず、異質だった。


 片目を前髪を伸ばして隠している。その男は一言で言えば、凄かった。

 仕事を覚えるのがとても早く、完璧に行える。

 システムの改善も行い、仕事の効率は上がった。


 俺は昼の休憩時間に部長に呼び出された。

 イライラした様子の部長。


「もっとあの男に仕事を回せ!」


「で、ですが、これ以上は⋯⋯」


「なんだァ? この仕事にもう未練は無いのかァ? あぁ?」


「⋯⋯分かり、ました」


 苦渋の決断。自分の為に友を売るクズの決断。

 拳を握り締める。その痛みは心の痛み。

 俺の人生は、どこで狂ってしまったんだ。

 部長が何故、友である西園寺を嫌っているのか分からない。


 もしかして、60近い部長が西園寺に嫉妬しているのか?

 彼は再婚している。だが、それでも付き纏う女性が一人居るのだ。

 この会社でも美人で有名な俺達の後輩に当たる人物。

 それに西園寺は良くモテる。優しいし、タバコや酒などの中毒性の有りそうなモノは断固拒否するスタイルも評価されている。


 俺は部長の傀儡だ。自分の為、家族の為、そう思いながら仕事を押し付けた。

 正直無理な方法を行った。これで部長よりも上の人にこの事がバレたら、俺はクビだ。

 それでも、すぐにクビに成らないだけマシだと体を動かす。

 しかし、入って来た後輩、この男がその仕事を素早く終わらせた。

 俺に報告して来て、本当に驚いた。


 この男はここで終わって良い人材では無い。

 そう思わせるだけの価値を、彼は見せてくれた。


 そんなある日、娘の方はもうすぐテストが始まると言う頃、俺は社長室に呼び出されていた。

 ある程度の予測は立っている。

 俺の成果も、押し付けた成果も、全て部長に入る。

 そして、俺の日頃の行い。それは俺を孤独にするには十分の行い。

 だから、予測は簡単だった。


「君、ワタシが何を言いたいか、分かっているかね?」


「⋯⋯」


「ふぅ。君を懲戒解雇とする。理由は、君が分かっているんじゃないか?」


「はい」


 俺は一人の人生を滅茶苦茶にしようとしていた。当然の結果だ。

 だが、気がかりがある。妻と娘は、どうなるのだろうか。


 昼に家に帰ると、当然嫁は驚く。嫁は在宅ワークだ。

 テストなので、早帰りの娘も驚く。


「どうしたの、パパ?」


「俺、仕事をクビに成っちゃったよ」


 家族会議が始まる。議題は当然俺の事。

 それからの記憶は無い。ただ、地獄の時間を過ごしていた。

 失望されたくない。そう思い、本当の事を素直に言えなかった。

 最後の最後まで、俺は自分の事しか考えてない。

 西園寺に一度も謝る事が出来ず、俺は家に籠った。


 もう仕事をするのが嫌になった。怖く成った。

 再就職も難しい。死んだも同然なのだ。

 いっそ、外をブラブラ歩いて事故にあって、死んだ方が楽なんじゃないかと考える程に、俺は疲弊して行った。

 そんな俺を見て、罵倒するのでも無く、ただ励ましてくれる家族。

 涙が毎日出る。クズの俺なんかの為に慰めの言葉をかけてくれる家族に。


 俺は何をしているのだろう。

 自分の保身の為に友を裏切り追い込み、それがエスカレートし、そしてクビとなった。

 死刑宣告と変わらない形で。

 部長は、今でも西園寺を追い込む為に、他の誰かを利用しているのだろうか。

 助けてやりたい。そんな考え⋯⋯良くない。俺にそんな資格は無いのに。


 全部、俺が悪いのだ。

 部長の提案にキッパリと断るか、上に相談すれば良かった。

 長年会社に貢献した部長よりも言葉は軽いかもしれない。だけど、少しでも伝えれば良かった。

 証拠も集めれば良かった。現代ではその方法も多いのに。

 俺は一人で抱え込んで、一人で堕ちて、そして狂った。


「なんで、こうなったのかなぁ」


 後悔しかない。後悔しても何も変わらない。だけど、今の俺は後悔しか出来ない。

 何も出来ない、何も感じない虚無の時間。

 妻と娘の心配を増やす日々。


 そんなある日だった。俺の元に訪ねて来る人が居た。

 西園寺が恨み辛みを叫びに来たのか、そう怯えながら対応する。

 ドアの向こうには何が待っているのか、妻に見守られながら俺はドアを開いた。

 外に居たのは、新入社員の男だった。


「少しよろしいでしょうか」


「お断り、していいですか? もう、動きたくないんです」


「そのままで良いんですか? そのまま穀潰しの日々を続けて、最後に一人になって、永遠の苦しみを味わうんですか?」


「何が言いたいんてす?」


「部長、クビに成りました。部下の功績を自分のモノにしていた事、立場を利用したパワハラセクハラの事、横領をしていた事、貴方の様に部下を道具にして特定の相手を追い詰めた事、それを全て貴方の責任にした事。それらを伝えました」


「伝えました⋯⋯って。はぁ? 意味分かんねーよ」


「貴方なら理解出来ると思いますよ? そのままの意味ですので」


「この短期間で? 君は、一体⋯⋯」


「その事も含めて、お話をしたいと思い、この場に足を運びました。少し、場所を変えませんか?」


「あ、あぁ」


 俺達が来たのはファミレス。そこには高校生の男の子が居た。

 後輩が頭を深々下げる事に疑問を持ちながらも、高校生の対面に座る。


「僕は西園寺天音と申します」


「西園寺⋯⋯まさか!」


「はい。アイ⋯⋯あの人の息子です」


「何か、用ですか?」


「そうですね、まずは一言」


 俺は来るであろう罵詈雑言に耐える為に、俯く。

 それだけの事をしたのだ。甘んじて受けよう。


「ありがとうございます」


「⋯⋯へ?」


「いやー本の僅か、そうですね、一ナノくらいはスッキリしました。⋯⋯別に父親の事はどうでも良いんです。こちらの方の調査で、色々と聞いております。大変でしたね」


 自然と涙が流れた。

 その言葉が、とても嬉しかった。

 誰にも言えなかった事を、彼は理解して、その上で言ってくれた。

 それだけで、心が、楽に成った。


 当然疑問は残る。

 優秀な男が高校生相手に敬服しているのだ。それだけが疑問である。


「そこで、貴方をスカウトしたいと思います。面接などは不要ですよ。詳しい事は、その人と」


 そう言って出される名刺。

 その内容に驚き、目を見開いて相手を見る。

 ニコニコの明るい笑顔。


「こ、こんなクズの、お、俺で良ければ!」


「⋯⋯僕の父親と比べたら、全然普通ですよ。寧ろ、貴方の娘が羨ましい」


 そんな呟きを、俺は聞いて、信じられなかった。

 西園寺は良い奴だ。俺なんかよりも。だと言うのに、この人の言葉には、重みがあった。

 隣に座る後輩も、辛い顔をしている。

 怒りも含まれている様な気がした。


「あの、お、いえワタシは、西園寺に、謝りたいです」


「良いですよ。それで貴方の気が収まるなら」


 懲戒解雇で俺の人生は完全に終わった⋯⋯そう思っていた。

 だが、俺はこの高校生、或いはこの後輩の掌の上で踊っていたようだ。

 そして、そのお陰で、俺は更に良い人生を歩む事になる。

 俺は、豪炎寺ごうえんじ武満たけみつと言う男は、西園寺天音に、付き従う事にした。

 それだけの希望をくれたのだ。それだけの恩が出来た。

 俺の人生を掛けて、恩返ししたい。



 問題があるとすれば、ここが外から丸見えな窓側の席だと言う事だった。

 たまたまこの場面を娘に目撃され、娘は勘違いをして、怒りの炎を燃やした。

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