6 耀太② 河童と海老煎

「あ、来た来た」

「おせーよ!」


カラオケ店前のガードレールに腰かけた隼人と市川が、大げさに手招きをして急かす。その前に立つ東雲は、いじっていた携帯を持つ手をそのまま挙げることで、挨拶の代わりとした。


空はすっかり暗くなったが、この街は昼間よりも明るい。歩道は様々な店舗から漏れ出す光と音に集まる人々で埋め尽くされていた。


三人の男の姿を確認して、耀太がイヤホンを外しながら人並みをかき分けてゆっくりと近づくと、小柄な市川が顔を覗き込んできた。


「なんか顔変わった?」


「なんだそれ」


耀太が思わず吹き出すと、長身の東雲も携帯をジーパンのポケットにしまいながら呆れたように笑う。


「イッチー、こいつが整形なんてするわけないじゃん。元々が完璧な顔してんだから」


「いや、そういうことじゃなくて…」


「あーもー、早く入ろうぜー」


ガードレールに座っていた金髪の隼人が勢いよく立ち上がり、弁明しようとする市川の肩に笑顔で手を回して強引に前に進ませた。


カラオケ店内は順番を待つ若い男女で賑わっている。

予約を済ませて店員のいるカウンター前、ロビーの隅に落ち着くと、耀太は何気なく辺りを見回した。


入店した時から、複数の女がこちらに視線を送っていることには気付いていた。

目が合って軽く笑いかけただけで、仲間内できゃーきゃーと盛り上がる女達もいた。

同い年くらいか、それか少し年上か、流行りの服と化粧で着飾った女はどれも同じに見える。

その中に、耀太は知り合いに似た後姿を見つけた。その女が横を向いた反動で、ウェーブがかったセミロングの髪がふわっと揺れて、長いまつ毛の横顔が見えた。


「あ」


やっぱり美咲だ。


「ん?うわ、あそこに立ってる子、かわい!」


市川が耀太の視線の先に目を輝かせると、東雲がその頭の上に手を置きながら尋ねる。


「まさか、知り合い?」


薄いベージュのぴったりしたニットに白っぽい長めのフレアスカート。あれは、初めてデートした時も着ていたから、美咲にとっては勝負服の類なのだと耀太は思う。女子の平均身長よりやや高めのすらっとした体型の美咲に、あの丈のスカートはよく似合う。


「一応、彼女」


「まーじかよー。なんであんな子と付き合えるんだよ。この顔かっ。この顔なのかっ」


市川が耀太の両頬を軽く摘んで上下に揺する。なすがままにされている耀太に、矢継ぎ早に隼人が尋ねる。


「え、同い年?耀太と同じ高校?」


やーめろよ、と笑いながら、耀太はようやく市川の手を払いのけ、その質問に簡潔に答える。


「うん。でもあいつは女子高」


すると三人は、妙に団結して納得する。

自分たちの高校にはあんなにかわいい子はいないと口々に嘆き、『女子校』を崇め始めた。


東雲、市川、隼人の三人は地元の共学の高校に進学した。そこはふざけずに受験すれば、ほぼ確定で受かるようなところだ。

耀太達の中学出身の生徒が全体の三分の一、それ以外は近隣中学の生徒が大体を占めるので、同じ小学校だった生徒も多く、ほとんどが顔見知りということになる。


「…そんなにかわいいか?」


美咲をもう一度見て眉を寄せると、「かわいいよ!」と市川が食い気味に肯定した。

それから、うっとりとした表情でまた美咲を見つめている。


「あ、笑ってる!上品!めちゃくちゃかわいいー!はぁー俺もあんな彼女ほしー」


そう繰り返す市川の横顔にはまだ幼さが残っている。まん丸の大きな目に小さい鼻、笑うと現れる八重歯が印象的なその顔は、同年代の女子から散々『かわいい』と言われてきたであろうことが想像出来る。両耳に開けられたピアスは、少しでも大人っぽく見られたいという意思表示の様にも感じられた。


「…じゃあ、あげよっか」


「は?」


市川は真顔で振り向いた。


「ははっ出たよ、耀太の悪い癖が」


「なー。つーか、そういう隼人も前もらってなかった?」


「そっれ、お前、今言うなってー!」


東雲が隼人を茶化して盛り上がっているところに、要領を得ない顔で市川が尋ねる。


「もらうって…何が?」


「何って、耀太の彼女だよ」


東雲が諭すように穏やかな笑顔で返答する。これは面白がっている時の顔だ、と耀太は察した。かわいい市川は困惑するばかりだった。


「は!?え、ねぇ耀太、どういう意味?俺が頭悪いの?」


耀太の両腕を持って揺らすように詰め寄る。


「そのままの意味だって。俺さ、美咲とはもう別れようと思って」


「えっ。あ、そうなんだ。…えっと、他に好きな人が出来たとか?」


「まあそんなとこ」


穏やかに微笑む耀太の顔を、市川は子犬のような瞳でじっと見つめていた。しかし、いくら待っても、それ以上の回答が返ってこないことに気づくと、ぱちくりと瞬きをしてから言葉を発した。


「え、ごめん、全然分かんない。いや、別れるのは分かったよ。もったいないけど、それは耀太の自由だし」


「ありがと。だから、イッチーにあげるってこと」


「そこー。そこなんだけど、分かんないの。もうちょい詳細プリーズ!」


間髪入れずに市川は突っ込んだ。そのやり取りを見て東雲と隼人がケラケラと笑う。


「うーん、付き合えるかまでは分かんないけど、あいつビッチだし一回くらいヤれんじゃね?って話」


「…は?なに言ってんだ?」


市川はあからさまに顔を歪めるが、それが面白くて耀太は微笑を浮かべ続ける。


「ま、俺の言う通りにしてれば良いから。ほら、イッチーなんとなくジャニーズ系だし。いけるいける。とりあえず顔売りに行こうぜ」


肩にポンと手を置いて、耀太は美咲の方へ歩き出した。呆然としていた市川は、「ほら、行くぞ」と隼人に後ろから肩を抱かれて、戸惑いながらも後を付いて行く。


足を止めると、美咲の周りにいる女子達の視線が一気に耀太に集中した。それに気づいて美咲が振り向いたタイミングで話しかける。


「よ、美咲も来てたんだ」


「え、耀太!?どうしたの!?部活じゃなかったの?」


美咲は驚いて両手を口に当てる。


「今日休み」


嘘は言っていない。ここ数日ずっと休みだけど。紳士的に笑う耀太に、一人の女が目を輝かせて美咲の後ろから身を乗り出した。


「え、実物やばーーい!!美咲の彼氏ですよね!ね?」


「美咲の友達?こっちは俺の友達。あ、良かったら後で合流しようよ」


東雲達がこんちわー、と笑顔で頭を下げる。


「はいっしたいです!」


女は右手を挙げて元気に反応する。


「ちょっと、モカ」


「いいじゃ~ん!ね、みんな?」


その子が美咲の言葉を遮るようにして他の女子二人に賛同を求めると、彼女たちは顔を見合わせて、別にいいけど、と笑った。


「いいじゃ~ん」


耀太も笑いながらモカとやらの口調を真似する。それから、もう一言付け加えた。


「俺、あの歌聞きたい。美咲がいつも歌ってくれるかわいいやつ」


すると、美咲は耀太だけに見える角度でほんの少しはにかみ、真顔に戻して振り返ると「もー、わかったよ」と他の女子達に伝えた。




隼人が画面に向かって爆音で熱唱する中、男女が膝をくっつけ合うほどの距離でコミュニケーションを図っていた。薄暗い室内で、ミラーボールに反射した光が八人の顔をまばらに照らす。


音楽に合わせてマスカラを振っていた市川は、女子二人に話しかけられて次の選曲相談に快く応じる。モカは隣の東雲の左腕に自身の右腕を絡ませて、お互いの好きな食べ物ベスト3を当てる遊びをしていた。


「ねぇ、耀太」


隣にいる美咲が服の袖を軽く引っ張った。ちょうど幼馴染の薫から連絡が来たところだったので、耀太は携帯をいじりながら声だけで反応する。


「んー?」


「後で…たりに…たい」


周りの音、というより隼人の歌声がうるさくてよく聞こえない。

塾が終わったから夕ご飯でも一緒にどうかという薫からの誘いに、耀太は快諾しようと指を動かしている途中だった。

その携帯の画面から、仕方なく美咲の顔に視線を移動させて、なに?と聞き返す。目が合うと美咲は小悪魔のように笑って、耀太の左耳に顔を近づけてこう言った。


「この後、二人で、抜けよう?」


耳打ちをされている間、机を挟んで斜め前に座る市川がチラッとこちらを見たのが分かった。自分の顔をそっと美咲から離す。


「あー、ごめん。明日も朝練で早いんだ。そろそろ帰らないと」


「えーー。じゃあ次いつ会える?部活落ち着いたらっていつ?」


美咲は遠ざかった耀太の顔に、もう一度自分から近づいて詰め寄った。


「うーん、今、部活以外にも色々忙しくてさ」


リュックの上に無造作に置いていたキャップを被り、財布から自分の代金より少し多めのお金を取り出してテーブルの上に置いた。

帰り支度が整い、美咲の方を見ると、哀しそうな目と眉で耀太を睨んでいる。先ほどと同じ体勢で一部始終を黙ってじっと見つめていたようだ。


「そんな顔するなよ」


耀太の口から思わず小さくため息が漏れる。


「…わかった。明後日なら筋トレメインだから休んでも平気だと思うし、遊びに行くか」


そう言うと、美咲はパッと一瞬で笑顔を咲かせた。


「本当!?ね、ね、私、ここのアイス食べに行きたいんだ」


女子高生に人気だというアイス屋の写真を携帯で見せる。


「うまそー。じゃ、約束。よし、俺、帰るわ」


スッと立ち上がると、美咲が耀太の左手に軽く触れた。


「もう?それなら私も帰るよ」


「いいよ、美咲はまだ楽しんで」


耀太は美咲の手を掴んでそっと離すと、斜め前にいる市川に話しかけた。


「イッチー、ごめん、帰る時、美咲のこと送ってやって」


「え、耀太、帰んの?」


そう言いながらも、市川は自分も立ち上がり、狭い室内で耀太の通り道を開ける。

部屋を出る時に市川の腕を小突いて、『うまくやれよ』とアイコンタクトを送った。


耀太がいなくなった室内で、市川が隅の方に目をやると、美咲は捨てられた子犬のような瞳でドアの向こうを見つめていた。

美咲は自分に向けられた視線に気づくと、今度はその潤んだ瞳を市川に重ねる。


「…えーと、俺で申し訳ないけど、よろしくね。美咲ちゃん」


美咲はにっこり笑って頷き、市川を手招きしてそのまま手を取ると、自分の隣に座らせた。今の今まで耀太が座っていた場所に。


さっきまで画面越しのように見ていた光景が今は自分の身に起きていることに、市川がそわそわしていると、隣から、はい、とデンモクを渡される。


「え、あ、どうも」


市川が『履歴』ページを心ここにあらずの状態で眺めていると、左腿のあたりに美咲の手がそっと置かれた。


「ねぇ、イッチーは、どんなの歌うの?さっきから盛り上げてばっかじゃない?」


赤くてふっくらとした美咲の唇は、パフェの一番上に乗っているさくらんぼのようだった。そこから囁かれる言葉と人工的な甘い香りに、市川は呼吸が何度も止まるような錯覚を覚えていた。

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