3 ゆい子③ 軌道修正の範囲内

「あ、来た来た」

 

ゆい子はその場で立ち上がろうとしたが、ボックス席のベンチとテーブルの隙間が狭すぎて変な体勢になってしまった。

それでも、そのまま大きく手を振ると、入口の自動ドアをすり抜けたばかりの耀太が気づいて、にっこりと笑った。

その後ろには、暑そうに手で顔を仰ぐ山崎も見える。

 

耀太はレジ横の店員さんにこちらを指差して何かを伝えると、すぐにゆい子達の席に向かってくる。

他のテーブルに座っている他校の女子が、通路を歩く耀太達の外見を見てひそひそと話を始めたのが、ゆい子の視界の端に入った。

 

「山崎くんも来てくれたんだ。入ってくるの、窓から見えたよ」

 

二人に席を譲って自分は椿の隣に移ろうと、ゆい子は一瞬通路に出た。

すれ違い様の耀太からは、見た目の印象を裏切らない、爽やかだがほんの少し色気を纏った匂いがふわっと香る。

 

少し離れたテーブルから、先程の他校の女子が恨めしそうにこちらを睨んでいるのが見えたが、気付かないふりをして座る。

女子二人の前に男子が二人。なんだか合コンみたいだ、と思わずゆい子の口元には笑みが溢れた。

 

ゆい子が甲斐甲斐しく、男子二人に対面からメニューを広げて見せる。

山崎は、目の前に座る椿が食べているパフェを凝視して、オレもそれ頼もうかな、と大きめに呟いた。

すると、椿は徐ろに、苺ソースのたっぷりかかったクリームを細長いデザートスプーンですくい、差し出しながら微笑んだ。

 

「おいしいよ。一口食べる?」

 

笑うと椿は眉尻が下がって幼く見える。黙っているとクールな印象だから、その変化に驚く人は多い。山崎も例外なく動揺していることを、ゆい子は瞬時に察した。

 

「はい、デザートメニュー。色んなのあって悩むよね」

 

ゆい子がもう一つのメニューを手渡すと、山崎は表紙に大きく印刷された季節限定のシャインマスカットパフェに目を奪われた。

椿が持つたっぷりとクリームの乗ったスプーンは、行き場を無くして人知れず持ち主の小さな口の中に収まっていく。

 

山崎は結局、ハンバーグステーキのライスセットとドリンクバー、それから椿とお揃いのイチゴパフェを頼んでいた。

この後に待ち構える家での夕飯を全く気にしないところが、運動部の男子高校生のお手本みたいだとゆい子は思う。

 

「お前、フルコースだな」

 

同じことを考えていたのか、店員が去った後で耀太が呆れたように言い放った。

 

「いや、逆になんで耀太ドリンクバーだけ?オレのパフェ食べたくなってもあげねーよ?」

 

山崎がそう言うと、耀太は明らかに嫌そうな顔を向けた。

 

「いや、いらないから」

 

「あーそっか、耀太、イチゴ味苦手だったな」

 

「いや、普通に何もいらないだけだって」

 

「ふーん。じゃあ、ハンバーグちょびっとあげよっか?」

 

「いや、だから……はあ、なんか、お前と話してるとゾッとするわ」

 

ゆい子があはは、と声を上げて笑った。

椿も控えめにくすくすと微笑んでいる。

 

「二人、仲良いね」

 

そう言われて、別に、と言い掛けた耀太の肩を山崎は掴んで、オレら親友だから、と快活に笑った。

 

「そんで、椿ちゃんと立花はお茶してたの?」

 

「…え?あ、うん…」

 

山崎がさらっと聞くと、椿と顔を見合わせながらゆい子が歯切れ悪く返事をする。

そっかー、と笑いながら、山崎は先程店員が置いてくれたお冷をごくごくと飲み干した。コップの中の氷がカランと音を立てると、耀太が口を開いた。

 

「ごめん、立花、こいつ何も知らないんだ。ただ付いて来て。邪魔だったら帰らせるよ」

 

「え!?なになに?なにが?え…オレ、邪魔なの!?」

 

山崎は、本当に何も知らずに付いてきただけのようで、急に狼狽え始めた。

大きな身体でオロオロする様子が、ゆい子にはなんだかかわいくておかしく思えた。椿も思わず吹き出す。

 

「あはは、邪魔じゃないよ。ね、椿ちゃん」

「ふふ、うん、全然」

 

それを聞くと、まんざらでもない、といった感じで山崎も恥ずかしそうに後頭部の短髪を撫でた。

和やかな雰囲気の中、ラブレターをもらったから相談したいのだと、ゆい子は山崎に経緯を簡単に説明した。

 

 

今朝、ゆい子は耀太に相談をした。

あのラブレターをどうすれば良いかを。

耀太は、立花の好きにしたら良いよ、と優しく言った。

差出人からの要求が分からないのならそのままでもいいし、気持ち悪いなら捨てたっていい。耀太くんならどうするか、と聞いたら、少しだけ考えてから、「俺なら家に持って帰りたくはないかな」と笑った。

 

それを聞いて、ゆい子は自分の推測がやはり思い過ごしではないような気がしていた。

 

耀太くんは、私がラブレターの差出人と繋がることを気にしているのではないか。

だって、そうではないのなら、どうして差出人との関係を断つような提案ばかりしてくるのだろう。

 

だから、ゆい子はあることを決意した。

「玄関から教室までのわずかな時間では決めきれなかったから、放課後もう一度相談に乗ってほしい」と言うのは建前だ。

ゆい子がどうするかは、すでに決まっている。

 

目の前に座る耀太の方をチラッと見ると、目が合って心臓が跳ね上がる。ゆい子は思わず視線を逸らしてしまったが、先に見ていたのはおそらく耀太の方だと感じた。

動揺を悟られないように口から言葉を発する。

 

「ねー、耀太くん、本当にどうしよーー。椿ちゃんにもここでずっと相談してたんだけど…」

 

「さっきから『捨てる』『捨てない』を行ったり来たりしてるもんね」

 

椿がアイスティーの氷をストローでかき混ぜながら状況を端的に伝える。

 

「あのさ、その手紙って何が変なの?」

 

山崎がハンバーグを頬張りながら聞くので、ゆい子が手紙を取り出して中身を開いて見せた。

犯行声明文のような字体、差出人の名前がイニシャル、不可解な手紙の内容について説明する。

 

「えー?これラブレター?じゃなくね?」

 

山崎が真面目に混乱すると、隣の椿が、みんなに分からないくらいにくすっと笑った。

 

「ラブレターだよっ。ちょっと変わってるだけ」

 

ゆい子がすぐに否定した。『想っている』って書いてあるし、と付け加える。


「ふーん。つーか、『あの日あの場所』って?」


「…それは、私も分からない。けど、『月が主役に戻る頃』って言うのは、きっと夕方から夜ってことだよ」


そう主張した後で耀太に視線を流すと、また目が合った。心臓がいちいち大きく脈打つ。今度は少し笑ってみると、耀太も微笑み返したがすぐに椿に視線をずらした。

 

「椿ちゃんならどうする?普段からラブレターなんていっぱいもらってるんじゃない?」

 

不意に質問されて、椿は一瞬目を見開いたが、すぐに柔らかな微笑みで否定する。

 

「ううん、そんなことないよ」

 

「またまたー、謙遜しなくてもー」

 

山崎が茶化してニヤつくので、椿は言葉を濁してまた笑う。

 

「本当に、手紙はあんまりもらわないし」

 

「そっか、あんまり。手紙『は』、ね」

 

耀太が強調すると、椿は少しだけ恥ずかしそうに、なんかいじわるじゃない?と上目遣いで睨んだ。その様子が新鮮だったのか、二人はさらに、他って?じゃあ何もらうの?とニヤニヤしながら詰め寄る。

やめてよ、と言いながらも椿の顔は笑っていた。

 

「もー、椿ちゃん困ってるじゃん」

 

ゆい子は、二人から守るように椿を抱きしめた。

いつもクールな椿が、こんなにあっさり素を見せてはいけない。そんな危機感のようなものがゆい子にそうさせた。

 

耀太達が椿をからかうのを諦めたことを確認すると、ゆい子は大根役者のようにため息を吐いた。

 

「あーあ、でもせめて、誰からなのか分かればなあ。直接聞けるのに」

 

「え?ああ、差出人?じゃあ探したらいいじゃん」

 

山崎が何の迷いもなくそう提案すると、耀太の表情は一瞬固まったように見えた。

 

「そうしようかな!でも、探せるかな?」

 

「うーん、分かんないけど面白そうじゃね?どうやって探すかはこういう頭のいいやつに任せればいいって。オレも手伝うし」

 

耀太の肩を強引に抱いて、山崎が明るく笑う。俺も?と戸惑う耀太に、当たり前だろ、と言った。

 

「私も探すよ」

 

椿がゆい子に笑いかけると、山崎のテンションはさらに上がった。

 

「みんなありがとう!でも、Y.Tって…誰がいるかな?」

 

ゆい子の言葉で、それぞれ頭の中に知り合いのフルネームを思い浮かべ始めた。

するとすぐ山崎が「あ!」と叫んだ。

 

「誰かいた?」

 

携帯を確認していた手を止めて耀太が尋ねると、山崎は急にしおらしい表情を見せた。

 

「いや、ごめん。一応言っておくわ」

 

すかさず耀太が、何?と薄ら笑いを浮かべる。ゆい子と椿は山崎の次の言葉をただ待っていた。

 

「あの…俺ではないからね」

 

3人は一瞬黙って考えた。

『山崎匠』…『やまざき』『たくみ』…『YAMAZAKI』『TAKUMI』…

 

「あ、山崎くん、Y.Tなんだね」

 

女子二人が同時に納得する。

ゆい子はてっきり、Yが名前でTが苗字を表すのかと思っていた。山崎の例を見ると、どちらの可能性もあるということか。

 

「私もY.Tだよ。山崎くんとは逆だけど」

 

ゆい子がそう言うと山崎は、おそろいじゃん、とけらけら笑った。

 

「ザキヤマ?」

 

気づくとすぐ側の通路に同じ制服の男子が数人立っていた。その中でも髪が少し長くて背の高い男子が山崎に笑いかける。

 

「やっぱりザキヤマだ。さっきから笑い声が似てるなって思ってたんだ」

 

「おー!ヤナー!!なんだお前もいたの!?」

 

山崎は快活に嬉しそうに笑う。

そのあだ名を耳にして、ゆい子は声の主が演劇部で隣のクラスの柳井やないだと気づいた。山崎のような明るいキャラの人と友達だとは思っても見なかったので、最初は誰だか分からなかった。必ずしも自分と似た人ばかりと友達になるわけではないのは、本当に不思議だとゆい子は思う。

 

「ヤナくーん。ちなみに、わたしもいるよ?」

 

パッと振り返り、手を小さく振りながら首を傾げて柳井の視界に入ってみる。

 

「え!うそ、ゆい子ちゃん!えーうわーなんだー。近くにいたんだー」

 

一言二言交わした後で柳井は一緒にいた友達に出口の方から呼ばれ、すぐにファミレスの自動ドアから去って行った。

 

「立花もヤナと知り合いだったんだ?」

 

山崎が初耳という感じで質問する。

 

「うんっ。委員会が一緒なんだ」

 

「仲良いの?」

 

耀太に質問されて、ゆい子はほんの少しだけ考えた。慎重に答えた方が良いような気がしていた。

 

「うーん、仲良い…方なのかな?なんだかんだ委員の集まりの時は毎回話してるかも。隣のクラスで席が近いからかな」

 

それを聞いた山崎が興奮気味に耀太の肩を揺すり始めた。

 

「なあ!ヤナじゃね?だってあいつ、柳井冬馬だよ!イニシャル、俺と同じ!」

 

落ち着け、と宥められても山崎のテンションは下がらなかった。

 

「やっぱヤナだよ!さっき立花と話しててなんか嬉しそうだったし」

 

「さっきのメガネで優しそうな人だよね?私も、なんか、二人お似合いだなって思った」

 

椿は意外にも山崎の意見を鵜呑みにした。無邪気な笑顔を見せている。

 

正直、柳井が差出人だとしたら、ゆい子には身に覚えがあった。手紙のあの遠回しな言い方も、イニシャルを選ぶシャイさも。それに、『あの場所』というのは、委員会の帰りに一度だけ寄ったことのある駅近くのたこ焼き屋のことかもしれない。

 

「いや、まだ柳井って決まってないから。それに――」

 

耀太が言い終わらないうちに、ゆい子は思わず立ち上がった。今度は変な体勢にならないように、ちゃんと通路に出た。

 

「私、聞いてくる」

 

そして、ファミレスの出口に向かって走り出した。窓から外を見ても柳井の姿はもう確認出来なかったが、きっと駅の方に向かっているはずだと、ゆい子は確信していた。

背後ではいつになく慌てている椿とその何倍も騒がしい山崎の声が響いていた。

 

「ゆい子、え、うそ。柳井君のところ行っちゃったの?」

 

「マジ!?いきなり解決?立花、いけいけー!」

 

「あ、カバン!ゆい子カバン忘れてる!」

 

「追いかけようぜ!ほら、耀太急げって」

 

柳井があのラブレターをくれたとして、嬉しいのかどうかはよく分からないとゆい子は思った。

それよりも、それが確定した時の耀太がどう反応するのか、そちらの方が今のゆい子には重要な気がしていた。

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