青月雫編

第3話 夢の始まり

「は、はあ、はぁ、はぁぁ・・・」


 月も見えない闇の中、一人の青年が何かに跨りながら腕を振り下ろしていた。

 その息遣いは荒く、短く、酷く乱れていた。


「はぁ、はぁ、ふう、ふぅう・・・・ふー!」


 もうずっと、ずっとそれを続けていた。


 その行為に何の意味があるのか、もう彼にも分からないのだろう。

 青年はただ機械操作のように拳を振るう。その手にはナイフか何かの刃物のようなものがが握られているように見えるが、暗くて良く分からない。


 どうやら青年は何かを傷つけているようだ。

 その顔は見えずとも、彼は激情の炎を纏っていることが伝わってきた。


 暫くして、青年の手が止まり、丁度月が姿を現し始める。

 雲のカーテンが開かれていき、やっと周りの光景が徐々に淡い青色を帯びてきた。


 青年、いや少年はただ茫然としたまま、動かない。

 ただを、今の今まで自らが壊し続けていたものを眺めていた。


 さっきまでの激情の火はすっかり鎮火してしまい、燃え残りの白い灰とチリだけが崩れるのを待つのみ。


 光が彼の周りを完全に包んだ。


 そこにあったのは・・・動かない少年と、動かない少女の姿。

 少年はぽろぽろと涙を流し、ただ見つめる。少女は目を瞑り、優しく笑っていた。まるで少年をなだめているかのように。


 十分程経ってから彼がゆらりと立ち上がった。

 そして、ゆっくりと振り返り、こちらと目が合う。

 その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだったが、彼の顔にくっきりと彫られた縦一本線の傷が強烈な存在感を放っていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。

「ける・・・かける・・・・・・・かける---!、朝だよーーー!!」


「うい!?」


 突然毛布の上から全く予想だにしない衝撃がみぞおちに走った。

 一瞬、訳が分からなかったが、この衝撃は何か重い物体が覆いかぶさったものであること、動いていることから生き物であることは理解出来た。


「起きてかける!、もうご飯できてるよ!」


「ゲホ、ゲホ!。」


「随分な・・・起こし方だな、みちる」


 毛布の中に埋まっていた弾頭が姿を現す。


「もう八時だもん!さっきから起こしてたのに、ぜーんぜん起きないんだから」


「冷める前に早く食べてよ」


「頑張ったよー!お味噌汁とタコさんウインナー」


 いつものことながら元気で忙しい奴だ。いったいどこからこんなエネルギーが出てくるのやら。


「・・・分かった、直ぐ行くから待っててくれ。それと・・・」


「早く降りてくれ、重いし暑い」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。

 ぱたぱたと小走りで出ていくみちるを見届ける。


「・・・いてえ」


 寝起きから何たるアクシデント。

 なんかすごく悪い夢を見ていた気がするし、みちるにはロケット頭突きかまされるし。


 まだ痛みが残る腹を抑えて、居間に向かう。

 この如月邸に暮らし始めてはや一週間が過ぎた。


 叔父さんは仕事の都合で日曜日しか帰ってはこない、基本はみちると二人暮らしになっている。


 いまは夏休みなので、基本的にはやることも無い。

 こうして、みちるに起こされながら昼間はテレビを見て過ごしたり、みちると一緒に買い物に行ったりして過ごしていた。


「かけるー!早くー!」


 台所からひまりの急かす声とカチャカチャと食器を運ぶ音が聞こえる。


「はいはい、今行くよー」


 居間に着いた俺は腰を下ろし、冷えた麦茶で一息つく。

 テーブルには二人分の朝食。こういうのにもやっと慣れてきた。


「別に無理に待たなくったていいんだぞ。」


 食器を運ぶみちるに対して軽く行ってみた。俺は一人で、というのは慣れていたし、やはりみちるを待たせる。ということが少し申し訳なかったからだ。


「やだ!」


 きっぱりと否定された。


「だってお父さん、あんまり家にいないからずっと一人だったんだもん・・・私は駆と一緒がいい!」


 顔を近づけこう豪語するみちるに若干気圧される。 


「お、おうそうか。まぁ努力する」


 駆と一緒がいい!、とここまではっきり言われるとなんか照れるな・・・。

 一緒がいい・・・一緒がいい、か・・・。

 いかんいかん。なんかにやけてしまそうだ。

 俺は自分の顔をみちるに見られまいと必死にご飯をかきこんだ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。


 食事を済ました俺達は。ソファでくつろぎながらテレビをみていた。

 辺りは蝉が鳴き始め、縁側に吊るされた風鈴がチリンと涼しげに揺れていた。

 暫くはお互い会話もなく。ただワイドショーをながめていた。


 暫くして、飲んだ後の麦茶のコップが中に残った氷に当たり、心地のいい音を響かせた。

 それが合図とばかりにみちるが立ち上がり、テーブルに置いてあった鞄を取り出した。


「じゃあ私、そろそろ出掛けるね。」


「どっか行くのか?」


「うん、図書館に本借りに行くの。」


「気をつけてな」


「うーん!」

 引き戸が開き、蝉の声が一層大きくなったが、直ぐにぴしゃりと切断された。

 ――――――――――。


 一人残された俺。

 辺りはかすかに聞こえるアブラゼミの鳴き声とテレビの笑い声だけがぐるぐると回り続けていた。


「なんか俺だけダメ人間になったみたいだ。」


 カーテンの隙間から光が漏れ、思わず目を細める。動かない俺を攻めるかのように。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。

「俺も、外出るか。」


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