第6話

「みんなが苦しんでるのに、あたしだけのうのうと安全な所にいるなんて! それにシャガには聞きたいことが山ほどあるし、一発だけでも殴ってやらなきゃ気が済まない!」

「しかし……」

「殿下に迷惑はかけません。だからお願いです。あたしに出来ることがあるなら教えて!」

 本音を言えば今すぐ外に飛び出して孤児院に戻りたいし、シャガを何としても見つけ出したい。だが彼は巨大なドラゴンに乗っているのだ。もしアイビーが孤児院に戻ったところを襲われたら、また誰かがユノのように傷ついてしまう。

 それどころか、強靭な脚に踏みつぶされて、孤児院自体が跡形もなく無くなってしまうかも知れない。

 トクスは悩むように腕を組んだまま、一向に頷いてくれない。

 やはりダメだろうか。出来ることがあるなら、と言ったものの、正直なところ自分に何が出来るのか分からない。トクスはドラゴンと戦わなければいけないだろうし、自分がいたところで邪魔にしかならないのは理解している。

「いいんじゃないですか? 殿下がつきっきりで守っていたら」

 軽い調子で言ったのは、側近のナシラだった。

「シャガさまは雲隠れしておられますし、目撃証言を頼りに探すにしても時間がかかります。ですが、彼女を狙っているというのなら、彼女がいる場所に現れる確率は非常に高いでしょう」

「要するに、彼女を囮にしてはどうか、と言いたいのか?」

「遠回しに言ったつもりだったんですがね。ドラゴンは厄介でしょうが、殿下や他の幻操師を集めて戦えば、ヒュドラの時ほど苦戦はしないでしょう。なによりシャガさま自身は幻操師でもなんでもない。捕えるのは容易かと思います」

「だが……」

「放っておくと、そこの娘、一人でどこかに行ってしまう気がします。うろちょろされても迷惑ですし、殿下がそばにいて見張っておくべきですよ」

「お前、もう少し言葉を選ぶとか……」

「わざわざ言葉を濁したのに、はっきりと指摘してきた殿下に言われたくありませんね」

 はあ、とため息をつき、トクスは「分かった」と二度ほど頷いた。

「事態が収束するまで、アイビーは俺が守ります」

「えっ、でも迷惑じゃ……?」

「そんなことはありません、お気になさらず。それに、あなたには訊ねたいことがありますし、答えによっては今回の兄上の行動を理解するのに十分な手掛かりとなる」

 ひとまず今日はお休みください、とトクスはナシラを引き連れ、部屋を出て行った。代わりに入ってきたのは、楚々とした微笑みが人懐こい女性だった。彼女はお仕着せのスカートを摘まんで膝を折り、ぽつんと取り残されたアイビーに近づいてきた。

「ダビーと申します。殿下から、アイビーさまがこちらに滞在される間のお世話を仰せつかりました」

「お、お世話」

「はい。あら、なにか臭い……まあ! お兄さまったらなんてものをお客さまにお出しするのかしら!」

 お世話なんて大丈夫ですと言うつもりだったのに、ぷんすかと怒るダビーの声に遮られた。

 もしかしてナシラの妹だろうか。髪と瞳の色は兄と同じだが、雰囲気がほぼ真逆である。

「すぐに違うお茶をお出しいたしますわね。好みなどはございますか?」

「あの、あたしにそんな丁寧にして下さらなくても!」

「お気になさらないで。わたくし自身がしたくてしておりますの。ああ、可愛らしい女性のお世話は格別ですわ。特にアイビーさまですもの。ずっとお会いしとうございました」

「はい……?」

 ダビーはなぜかうっとりと頬を桃色に染めて一息に喋った。

 その後は彼女に言われるがまま、されるがままに服を替え、体調を考慮して軽めの夕食を済ませた。自分でやるからいいと言ったのに、体を隅々まで拭かれて、髪まで梳かされた。

「わたくしは続きの間に控えておりますから、御用がありましたらお呼びくださいまし。寝物語の提供、手をつないでの添い寝、不審者の確保や撃退など、すぐに駆けつけますわ」

 彼女が退室した後、アイビーは顔面からベッドに倒れ込んだ。

 色々なことが短時間で起こりすぎて、頭が爆発してしまいそうなほど疲れた。さらにダビーに勢いに抵抗したせいで余計に疲労が蓄積している。彼女とアイビーではこちらの方が身分は低いのだし、分不相応なもてなしだと何度言っても、ダビーは軽くあしらうだけでまともに話を聞いてくれなかった。

「明日からは大人しく従った方が疲れなさそう……」

 ――明日からどうなるのかしら。

 アイビーはごろりとベッドに寝ころんだ。念願だった殿下に――トクスに会えて驚きはしたものの、喜びなどを感じるよりも、先のことを考えて大量の不安が被さってきた。

 負けるものか。アイビーは強めに頬を叩き、くじけそうな心を奮起させた。

 アイビーのことはつきっきりで守ると言った。だったらせめて、彼の重荷にならないようにしなくては。少しでも助けになることはないかと考えているうちに眠気に襲われ、アイビーはまぶたを落とした。



「いいんですか? 質問とかせずに出てきて」

 ナシラの問いに、トクスは部屋を出てすぐの廊下の壁にもたれながら苦笑した。

「聞けるような状態じゃなかったからな。目の前で友が襲われて、知らないうちに慣れ親しんだ場所から遠ざけられて匿われたんだ。立て続けにあれこれ聞くのは彼女にとって苦だろう」

 シャガとドラゴンの捜索は、父王が編成した幻獣討伐隊が行っている。普段であればトクスもそちらに参加するのだが、今回はそういう訳にもいかない。

 間近に控えている還天祭に出席しなくてはならないからだ。

 王妃は式典の中止を提案したらしい。ヒュドラほどの超大型の幻獣ではないが、ドラゴンという脅威が現れたのだ。還天祭には多くの国民が集まるし、そんな場所に幻獣が現れては一大事だと。

 しかし父王は、「民が不安に感じている今こそ、神に祈りを捧げる還天祭を行うべきだ」と譲らなかったと聞く。国では光の神と闇の神が信仰されており、父は王であると同時に熱心な教徒でもあるのだ。

「しかし、今度の還天祭は聖女のためのものでしょう。シャガさまが出てくる確率は、あの少女のところに来るそれより高い気がしますが」

「聖女のための還天祭だからこそ、兄上は台無しにしないとお考えなんだよ、父上は」

「その判断が誤りでないことを祈るしかないですね」

 ドラゴン出現の報は瞬く間に王都を中心とした地域に駆け巡り、国全土に広がるのも時間の問題と思われた。

 明日からのことを考え、トクスは前髪をかき上げた。出来る限りアイビーのそばにいてやりたいが、四六時中というわけにもいかないだろう。心配するあまり常にそばにいると、彼女に鬱陶しがられそうだ。

 この部屋にいる間はダビーが世話をしてくれる。彼女には六年前にアイビーと出会ったことや、それによって自身に訪れた変化のことを話したことがある。名前が似ている二人はすぐに打ち解けたのか、室内からはダビーの楽しげな声が漏れ聞こえてきた。

「楽しげというより、少々騒がし過ぎる気もしますが」

「ずっと暗い表情でいるよりは騒いでいた方が楽だと思う。何の話をしているのかはちょっと聞いてみたいが」

「止めておいた方が良いですよ。盗み聞きしているのがバレたら『乙女のときめく時間を邪魔するなんて!』と殴られるかもしれません」

「それは困るな」

 今でこそ女中として勤めているダビーだが、子どもの頃は他の誰よりも喧嘩っ早くて、男子を圧倒するほど強かった。だからこそアイビーの世話を任せたのだ。

「とりあえず、まずはアイビーと兄上の関係性から探ってみるか。この間の慰問以外で面識があったのか、とか」

「先ほどの反応から考えるかぎり、決して友好的ではありませんでしたが」

「けど、なあ」

 とん、とトクスは自分の鎖骨のあたりを指で叩いた。

「面識がないのなら、どうして彼女がアレを持ってる?」

「……さあ、私には分かりかねます。気になるのなら問いただせばよろしかったのに」

「二度も同じことを言わせるな。あれ以上話していたら彼女の苦になる」

 分からないことが山積みだ。トクスは上着のポケットから冷たく銀色に光るそれを取り出した。

 六角形の頭部には小さな花の模様が三輪寄り添うように彫られ、左右からは鳥の翼が伸びている。ブレード部分から飛び出した歯は四つ。

 アイビーを離宮に連れてきた時、ぐったりとした彼女の服の下から出てきた鍵を見て、トクスは目が飛び出そうなほど驚いた。自分が持っているこれは、細かな部分の違いはあるものの、アイビーの首からぶら下がっていた鍵とよく似ている。

 これは自分を除けばナシラだけが持つ、王宮のトクスの部屋の鍵だ。

 ――見間違えるはずがない。アイビーが持っていたあの鍵は。

 ――兄上の部屋の鍵だ。


 翌日の朝、聞きたいことがあるとトクスに言われ、アイビーは彼とナシラに連れられて離宮の図書室を訪れた。

 孤児院の書庫とは比べ物にならないほど広く、静かだ。高い天井すれすれまで設置された本棚にはぎっしりと書物が並び、それでも収まりきらない分は机や椅子の上に積み重なっている。棚の中にはガラス戸付きのものもあり、開錠しなければ閲覧できないよう、厳重に保管されていた。

 ナシラがカーテンを開けると、南向きの窓から陽の光が降り注ぎ、真っ赤な絨毯で覆われた床を照らした。

「気になる本があったら後ほどご自由にお読みください。王宮よりは狭いですが、お気に召すものが一冊くらいは見つかるでしょう」

「王宮の図書室ってそんなに広いの……?」

 どれくらいだろうと考えてみたが、自分の想像力が追い付かなかった。

 アイビーとトクスは部屋の中央にある丸机を囲んで座った。彼の後ろにはナシラが控え、万が一シャガとドラゴンが現れた時のため、いつでも主を守れるように剣を携えている。

「ここには色々とありますよ。童話や寓話、建国の歴史に創世神話。図鑑なんかもあります」

「あそこの棚の分厚い本は? 記号みたいな字が書いてあるけど」

「東国ヨサカの歴史書です。海にぽつりと浮かぶ島国で、独自の文化が発展しているとか」

 机の近くにはアイビーの身長よりやや小さめな球体が置かれている。枠で囲われたそれをトクスが撫でると、ころころと音を立てて回った。球体には青い部分と茶色い部分があり、所々に白い文字で名前も書かれている。青が海で、茶色が陸だという。

 彼は探るように回転させたあと、手のひらを押し当てて停止させた。

「この細長い島がヨサカで、レンフナはほぼ反対側にあります」

「行ったことあるんですか?」

「残念ながら、まだ一度も。文字の習得も試してみたんですが、なかなか難しくて進まない」

「へえ……これ、ちょっとだけ回してみてもいい?」

 どうぞ、とトクスは快く頷いてくれた。乱暴に扱って壊してしまわないよう、そっと手で球体を滑らせる。

 自分が今いる離宮や、孤児院はどのあたりだろうか。地図は孤児院でも見かけたことがあったが、あくまでも国内の、それも簡略化された貧相なもので、こんなに立派ではなかった。ただ無意味に回しているだけでも楽しくて夢中になりかけたが、すんでのところで図書室に来た理由を思い出す。

 ハッとして手を引っ込めると、トクスは目を細めて笑い、ナシラは暇そうに耳を掻いていた。赤くなった頬を隠すように、アイビーは少しだけ俯いた。

「ダビーとは仲良くなれましたか」

「仲良く、というか」

 なんとなくおもちゃにされている気分というか。

 起きた時にはすでに部屋のすみで控えていて、すぐにお茶を淹れてくれた。そのあとは服を着せかえられ、髪を梳かされ、その間ずっとダビーの絶え間ない話を聞かされた。何度か口を挟みもしたが、八割近く彼女が喋っていたように思う。

「好みの女子がいると止まらなくなりますからねえ、彼女。もっと普段と同じようにしなさいと注意しておきましょう」

 そうしておいてもらえると非常に助かる。

「それで、聞きたいことってなに……ですか?」

「初めて会った時みたいに気軽に話していいんですよ。不敬だなんだと誰も咎めませんから。そちらの方が俺も嬉しいですし……というか、記憶の中のあなたはいつも気安く話しかけてくれたので、かしこまられるとモヤモヤするというか」

「? なに?」

「いいえ、なんでも」

 ありがたい提案に、アイビーは肩の力を抜いた。実を言うと、彼は王族なのだから失礼があってはいけないと気を張っていたのだ。ナシラが微妙に不愉快そうな顔をしたのは気にしないでおく。

「いくつかお尋ねしますので、ゆっくりお答えください。急がせはしませんが、回答の拒否だけはご遠慮いただけますか」

「分かった。あたしに答えられることなら、なんでも」

 ではまず俺から一つ目、とトクスは人差し指を立てた。シャガと違って肉付きがよく、太くて頑健そうだ。

「アイビーは兄上と面識はあったんですか?」

「多分、ないわ。一昨日、孤児院に来た時に顔を合わせたのが初めてのはずよ。最初は普通というか、特にこれといった印象も無かったけど……あたしを見て急に、『ヘデラ!』って」

 思い出すだけでも怖く、肌が粟立つ。

「ヘデラって、六年前にヒュドラ災害の後で死んだ聖女さまのことよね? あたしはその人に、そんなに似てるの?」

「髪と目の色は確かに同じなんです。ただ、俺は当時、彼女と何度も顔を合わせましたし話もしましたが、背丈も声も似ていません。顔つきは……どちらかというと、ナシラに似ているような」

「えっ」とイヤそうに顔を顰めたのはナシラだ。「冗談はおやめください殿下。私のどこがこの少女に似ていると?」

 よほどアイビーに似ていると言われたのが不愉快らしい。アイビーだってイヤだ。自分のどこがこんなクマみたいな男と似ているのか。唇を尖らせていると、トクスがようやく「冗談ですよ」と苦笑した。

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