第13話 物語の結末

「――うん、俺も愛してる。じゃ、また金曜に」


 俺は優芽との電話を終え、いつもどおり缶コーヒーを飲みながら遠くの景色をのんびりと眺めた。今にも雨が降り出しそうなどんよりとした空模様だからなのか、いつもは談笑しながらランチを楽しむ女子社員たちの姿もなく、屋上は俺一人きりだ。


 先日、副社長に関する調査結果を社長に報告してきた。社長は報告書を受け取ると、ページを数枚めくりながら『また連絡する』と言っていた。

 俺たちは今後どんな結末を迎えるのだろうか……。そんなことをぼんやりと考えていると、背後からゾッとするような冷たい声が聞こえた。


「さっきの電話の相手は彼女かな?」


 恐る恐る振り向くと、煌大がゆったりとした足取りでこちらへ向かって真っ直ぐ歩いてきた。一体いつから屋上ここにいたのだろうか? もしかしたら優芽との会話を聞かれたかもしれない。俺は焦りがバレないよう深く息を吐き心を落ち着かせた。


「副社長、なぜこの様な所に?」

「ん~? お前の同僚に、お前が毎日ここで彼女と電話してると聞いてな。で、さっきの電話の相手は彼女なんだろ?」

「そ、そうですが……。それがなにか?」


 煌大はニヤリと笑いながら、突然なんの脈絡もない質問を俺にした。


「なぁ、女の心を縛り付けておく秘訣って何だと思う?」

「……さ、さぁ?」

「俺はね、身体さえ繋がっておけば、自ずと心は付いてくるって思ってるんだよね。だから妻のことはほぼ毎日抱いてきた。それなのに最近妻の様子がおかしいんだ。なんだかんだ理由を付けては俺を避けている。これってどういうことだと思う?」


 煌大は俺たちの関係に気づいているのか? それともカマをかけているのか? どう答えるのが正解だ?


 俺が答えに窮していると、それまで笑っていた煌大の目が突如鋭く光った。それは、 “すでに何もかも知っている” ということを伝えるには十分すぎる程の怒りの目だ。俺は真正面から煌大にぶつかる覚悟を決めた。


「お前の電話の相手、優芽なんだろ?」

「……ご察しのとおり俺たちは愛し合っています。副社長と結婚するために一度は別れを選んだのですが、ずっとお互い忘れることができませんでした」

「上司の妻に手を出すなんて、自分が何をしているのか分かっているのか?」

「副社長だって他に愛している女性がいるじゃないですか。だから優芽を俺に返してください」


 それまで優勢と感じていた煌大だったが、俺の予想外の返答に初めて動揺を見せた。


「……お前、俺を調べたのか? 一体どこまで知ってる?」

「それは後日明らかになりますよ」


 焦りの色を見せる煌大を残し、俺は屋上を去った。

 


 その数日後、俺は再び社長室に呼ばれた。

 部屋に入るとすでに煌大と秘書が横並びに座っていた。そして驚いたことに、優芽もこの場に同席していたのだ。

 中央の席に座る社長の手には、俺が渡した報告書が握られている。ついに決着をつける時が来たようだ。


「煌大。お前、何を企んでいる?」

「社長、どういうことでしょうか? それにこの顔ぶれは一体……」

「誤魔化しても無駄だぞ? すでに証拠は揃っている」


 社長は手に持っていた報告書を机の上に投げ落とした。報告書はバサバサと音を立てながら皆の前で扇状に広がった。そこには、俺が集めた経理書類の他にも、秘書との密会現場を収めた写真も混ざっていた。見る見るうちに煌大の顔が青ざめていく。


「会社だけでなく、娘のことも裏切ったな」

「お義父さん、でもそれはお互い様なんです! 優芽だってその男と不倫をしてるんですよ!?」


 煌大は俺を指さしながら今度は顔を真っ赤にし怒りを顕にした。しかし社長は一切態度を変えない。


「小鳥遊くんの処遇については後で考える。でもまず煌大、お前はクビだ。そしてもちろん優芽とは離婚してもらう。その後はそこにいる大切な秘書とともにお前を喜んで迎えてくれるであろう会社に行くがよい。……まっ、如月の後ろ盾がないと分かった途端、奴らはすぐに手の平を返すだろうがな」


 社長と煌大のやり取りを黙って見ていた優芽だったが、泣きも笑いもせずただ静かに一言、『さようなら』と煌大に別れを告げた。


「そ、そんな! ゆ、優芽、俺が悪かった! コイツとは遊びだったんだ! 許してくれ! 俺は優芽がいないと生きていけない!」

「副社長……、奥様と離婚して私と一緒になってくれるはずじゃ—―」

「うるさい! お前みたいな何の価値もない女に俺が本気になるわけないだろ!?」


 最後の最後に皆の前で醜態を晒した煌大と秘書は、社長の命令で如月グループから追放された。

 二人がいなくなった途端、社長室は再び静けさに包まれた。


「さて、小鳥遊くん」

「は、はい」

「今回のこと本当に感謝する。会社と優芽をあの男の手から救ってくれてありがとう。何か礼をさせてくれ。謝礼か? それとも役職か?」


 俺や優芽にとってお金や地位は大して重要なことではない。それは前回の別れで痛いほど学んだ。だから今度こそ誤った答えは出さない。

 俺は横に座る優芽の手を取り、社長に頭を下げた。


「私の願いは一つだけです。優芽さんをあの頃からずっと愛し続けています。これからもそれは変わりません。だから彼女の傍にいさせてください」


 社長は固く結ばれた手をじっと見つめながら、父親として優芽に尋ねた。


「……優芽はどうなんだ? この男となら幸せになれるのか?」

「うん。伊織のことを愛してるの。だからもう二度と離れたくない」

「そうか……。お前たちはずっと想い合っていたんだな。あの頃、無理矢理に別れさせて悪かった。しかし、ほとぼりが冷めるまではお前たちを堂々とさせる訳にはいかない。会社のイメージにも関わるからな」


 そしてこの騒動の1ヶ月後、俺に県外支社長を命ずる辞令が出て、俺は本社を離れることとなった。

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