第二十八話 馬鹿げた人間性

 理解が追いつかない。ヴァラガンはイーガンの瞳の中に、自身のひどく滑稽な顔を見た。それは次第に憐憫と憤怒の入り混じったものに変わる。次の瞬間には外勤処理班の班員に二人がかりで上から押さえ込まれ、その鬼気迫る顔は床に擦りつけられた。

 手首には炭素鋼の手錠をかけられたうえに、ゲル状の凝固剤を塗布される。二重の拘束に、腕が手錠と一体化したような感覚を覚える。その隣でケインズは、班員に制止されていた。

「エストック、これで父さんと会わせてくれる?」

 イーガンはうつ伏せの状態で拘束されているヴァラガンには目もくれず、エストックの下に駆けていく。煤汚れた黄褐色の肌と、風に遊ばれて四方に跳ねた茶色の髪からは悲壮感が漂っていた。だからこそ、その無邪気な声はこの空間で一層異質なものに感じられた。

 エストックは相槌を打つと、班員を一人つけてイーガンを階下に促す。去り際にイーガンはヴァラガンを「自分勝手なくせに、いい人を演じていて気持ち悪い」と吐き捨てた。

「嫌われちゃったね、ラッキーマン」

 拘束されたヴァラガンの横顔にそう言い、エストックは班員から工具箱を受け取る。

「上手く潜り込ませられなかったら、と思ったけど杞憂だったか。同情して、あれを拾ったわけだ。ただの操り人形に情が湧くなんて。ついでに型番も教えようか」

 皮肉っぽく言いながら工具箱を漁るエストックに、ヴァラガンは声を振り絞る。

「まさか、クラブの一件さえも」

「その通り。D13を唆して龍灰窟ロンフェイクーとの抗争を画策した」

 すべては延命管理局の掌の上。その事実を知り、ヴァラガンは沈鬱な表情を浮かべる。今までの葛藤と喪失は、なんだったのか。爪の先ほどの良心が仇となり、すべてを奪われた。こんな仕事を引き受けなければ。もしくはガントレットの提案に従っていれば。その他大勢の龍灰窟の住人と同様に、良心など持つべきではなかったのだ。

 エストックは工具箱から、お目当ての工具を取り出す。そして、思案げに様子を窺うケインズの前を素通りして、血で薄汚れた雑巾のようになったワンの前に立つ。

「血も滴るいい男ってね、王浩然ワンハオラン。生身だった頃を含めると、今年で百三十三歳か」

 感慨深げに目を細め、エストックは手にした電気ドライバーを回転させる。朧げにそれを視界に捉えた王は、仰向けのまま入れ墨に埋もれた頭を横に振る。

「悪いね。規則で、処分確定の複製素体のチップは摘出することになっていてね」

 有無を言わさぬ様子のエストックに王は酸欠の魚のように口をぱくつかせ、なにかを訴えようとする。どうにかして、この場を乗り切る魂胆なのだろう。この調子では野犬の糞も舐めかねない。無様な様子に、笑いも枯れたエストックが王の上体を引き起こす。

「君はラッキーマンを釣るための餌だったんだよ、若者の皮を被った爺さん。それに龍灰窟は従順だからこそ、延命管理局にとって価値がある。これは局長の意向だから」

 返事を聞くこともなく、エストックは電気ドライバーを王の側頭部に突き立てる。機械的な駆動音とともに、先端のビットが柔らかな肉と頭蓋を掻き混ぜていく。側頭部からビットが引き抜かれる頃には、王の体は独りでに踊り出し、小便を垂れ流していた。エストックは削り取った穴から、小さなチップをほじくり出してヴァラガンに見せる。

「これが王浩然の正体。予備もあれば、書き換えもできる。ワタシたちの精神、それに伴う記憶は言うほど大層なものなのかな? ねえ、ラッキーマン」

 指先でチップを弄びながら、ケインズやガントレットに視線を移す。そうして最後にもう一度ヴァラガンを見据えたあとに、エストックは班員に撤収を指示した。

 班員に左右から腕を抱えられて、階段へと連行されるヴァラガン。終始、自動小銃で威嚇されていたケインズは、重圧から解放されて溜息をついている。ガントレットとは目が合う。床に這いつくばり、なんとか顔だけを上げてこちらを見ていた。無力感と苦痛。感じているものは同じらしい。その視線の間にエストックの半長靴が割り込んでくる。

「ガントレット。ラッキーマンにほだされたのか知らないけど、あれが本当にそんな人間だと思ってる? 次はないから。赤松博士によろしく」

 ガントレットの頭上から一方的に言うと、エストックは階下に消える。ヴァラガンも班員に腕を引かれるままに、江たちの亡骸やケインズと、茫然自失するガントレットを置いて、頻りに雨音の響く階段を下りていった。

 三台の黒のSUVが列を成して、通りを走り抜けていく。

「失せろ、都会の豚どもが!」

「記憶の価格高騰の皺寄せが、こっちに来てるんだぞ!」

 王の拠点での騒動に、外勤処理班の介入。日常に混入した異物に、龍灰窟の住人たちは敵愾心を露わにしていた。誰もが面倒事を避けて鳴りを潜める北東部はこの日ばかりは大勢の野次馬で埋め尽くされ、我が物顔で通りを進む車列は罵声の嵐に晒される。

「コンソルン・シティの腑抜けたちよりも人間らしい」

 車列の中央に位置するSUVの助手席では、エストックがそう口にする。後部座席には、班員に左右から挟まれた状態でヴァラガンが座っている。エストックは雨滴に歪む車窓の風景に目をやりながら、言葉を続ける。

「向こう側は楽園。汗水流さなくても、永遠に生きられる。だから心も溶けて、くだらない快楽主義者が増える。自傷や強姦、猟奇殺人。それが自己表現だと信じて疑わない」

 それらの尊厳の蔑視を一種の快楽と認識する人種は少なくない。それもまた人間の本性といえる。コンソルン・シティの人間は完全な生を手に入れたために、本来の営みを忘れたということだ。そうした意味では、龍灰窟に人間性は未だ健在なのだろう。

「自分たちは違うって言いたいのか? ガントレット籠手エストック刺突剣。お前らを顎で使っている奴は、人間を道具かなにかと勘違いしているみたいだが」

 エストックはしばし黙したあと、ヴァラガンを横目に見る。

「ワタシたちに必要なのは闘争。外勤処理班を構成するのは退役軍人に傭兵、元孤児。闘争が生きる原動力。おまけに全員が複製素体だから、四年前と同じ轍を踏むことはない」

「四年前?」

 呆れた様子で溜息をつき、エストックは言葉をつなげる。

「とち狂った外勤処理班の班員が上司、部下を惨殺。当時は全員生身だったから、複製素体関連の問題処理に遅れが出た。それがこの結果。複製素体の裏取引やら、東ユーラシア全域での違法な記憶製造の放任。全部、誰かさんのせいだけど」

 妙に棘のある言い回し。なぜか胸騒ぎを覚えて、ヴァラガンはすぐに話題を変える。

「どうして、イーガンを使った。あいつの記憶は」

「作り話。現実味を帯びさせるには、自分自身を騙す必要があるわけ。あれは外勤処理班に協力すれば、父親と再会できると妄信してる。ちなみに先頭車両にいるよ」

 やがて車列が北東部を抜けて南西部に差し掛かる頃、エストックは静かに「向こうに会わせたい人がいる」と告げた。向こうが指すものは当然、コンソルン・シティ。龍灰窟の南西に位置しており、片道だけでも二時間は要する。選択するには十分な時間だった。

 このまま素直に従うか、一悶着起こすのか。外勤処理班、その大元である延命管理局の真意が不明瞭な今、迂闊な行動は憚られる。さりとて、座して死を待つこともできない。

 淡い希望に縋った末に、どんな結末が待ち受けていたか。希望など端から存在せず、知らずに絶望の沼に溺れるぐらいなら、自ら沼の奥底に身を投じる方が潔いのではないか。どう足掻こうとも得られるのは、ろくな記憶でしかない。脳裏に甦る声がなによりの証左だ。

 それでも、そんな記憶を取り戻すことを生き甲斐にしているのも事実。ヴァラガンは自身の抱える矛盾に嫌気が差す。車列は信号に足止めを食らい、待つ間は降り注ぐ雨音が緊張を煽る。そんな折、ヴァラガンの耳に聞き慣れた声が届いた。

「……ヴァラガン、まだ生きてる?」

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