第四話 蛮龍の頭

「厄介な仕事のようですが、報酬も桁違いです。乗りませんか」

「そんなに報酬が多いのか」

「私は『サイバー・インプラント』を買おうかと。鎮痛系のものが入用で」

 サイバー・インプラント。

 ガントレットの口にしたそれは、複製素体の拡張機能である。精神置換技術の浸透により電子機器や知覚補助器具の類は精神と同様に、複製素体に内蔵されるようになった。今では別途料金を支払うことによってチップの他に拡張現実、感覚補正、通信機能などの拡張機能を頭に埋め込むことができるのだ。当然ながら、これもそうやすやすと貧者の手に届くものではない。だが、それを可能にするほどの報酬ときた。ヴァラガンは目の色を変える。

「依頼内容はなんだ。言っておくが、殺しはしない」

ワンさんは『詳しくは賭博場に来い』とだけ」

 舌打ちをこぼすヴァラガン。依頼の不透明さをいぶかしむが、ガントレットの目はこれ以上の説明は不要だ、と言っていた。

「わかった。話だけでも聞きにいく」

 仕事の報酬に記憶の復元を頼めないものか、と淡い期待を込めて、ヴァラガンはランタンの灯りを消した。

 二人は駐車場に降りて、白のバンに乗り込む。これはヴァラガンが、いつかの仕事の報酬に手に入れたエタノール車だ。換装したエンジンはエタノールによる腐食を防いでいたが、マフラーからはその燃焼で生じる発がん性物質をとめどなく溢れ出している。ヴァラガンはそんなことは些事であるかの如くに、南西を目指してバンを驀進ばくしんさせた。

 龍灰窟ロンフェイクーの南西に位置する通りは、深夜を過ぎても多くの人で賑わっていた。この周辺は隣接する市からの人の流入もあり、ある程度の治安は維持されている。その反面、炎熱酒家やヴァラガンの住処の位置する、北東部へと進むにつれて龍灰窟の本性は明るみになる。尤も、その辺りにまで足を運ぶ人間は限られているのだが。

「王のお抱えの記憶作りをする連中だったら、俺の記憶を調べられると思うか?」

 移動の暇つぶしに、ヴァラガンが話を切り出す。他愛もない話に聞こえるが、当の本人は至極真面目だった。ガントレットは、車窓を過ぎる風景を見送りながら口を開く。

「結局は想像の連鎖ですから、望みは薄いのでは」

 それにしても、とガントレットが続ける。

「なぜ、そこまで記憶に拘るのですか」

 素朴な疑問に、ヴァラガンは愚問だと言わんばかりに片眉を上げる。

「俺は龍灰窟に来るまでの記憶、長期記憶っていうのがほとんどない。しかも最近は、幻聴まで聞こえやがる。医者が当てにならないなら、せめて希望だけは持ちたいところだ」

 ガントレットは「希望は無料ですからね」と、こともなげに言う。心ない言葉に、ヴァラガンはへそを曲げた。沈黙と静寂の中、ガントレットはシャツの下からステンレス製の大型拳銃を取り出し、賭博場に着くまでの時間を整備に費やしていた。

 そうこうしているうちに、バンは交差点を右折して狭い路地に入る。路地では隅に並べられた廃棄待ちのロボットや、作業台の上で豚を解体する老婆、路上生活者などが独特な空気を醸し出していた。そんな中、バンは突き当たりの地下駐車場の入口に行きつく。シャッターが下りており、その付近には警備の者と思しき数人の若者たちがいた。彼らは錆びた拳銃を片手に、胡乱うろんな目を向けてバンに歩み寄ってくる。

「なんだ、あんたら。博打しに来たのか?」

「王に用がある。ヴァラガン・ラッキーマンが来た、って伝えてくれ」

 若者はバンの窓枠に腕を乗せると、片手で無線機を操作し始める。その腕には『蛮龍』と入れ墨が刻まれていた。龍は、龍灰窟では力の象徴。力は絶対だ。読み書きも教えられず、銃と死体の山を見て育った若者たちにも、その文字は生きる活力を与える。しばらくして通信を終えた若者は、ヴァラガンを値踏みするように眺めてせせら笑った。

老板ラオパンに確認が取れた。さっさと行けよ、島猿野郎」

「言葉に気をつけろ。俺は極東人だ」

 剣呑な視線を向けるヴァラガン。隣ではガントレットが、整備を終えた大型拳銃の遊底を引く。そんな二人におどけた顔をして若者がシャッターを開けた瞬間、ヴァラガンはバンを加速させて間髪を入れずにその真横を通り過ぎる。うしろで、どよめきが聞こえる。

 サイドミラーには、顔をひきつらせた若者たちが映っていた。ヴァラガンはそれを横目に一笑する。視線を前方に戻せば、中は地下駐車場。多くの車両で埋め尽くされていた。その中を一巡する手前で、運よく空きを見つけてバンを滑り込ませる。

「行くぞ」

「少し時間をもらえませんか、頭痛がひどくて」

 そう言って、車内で前のめりに屈むガントレット。ヴァラガンは、ドアにかけた手を膝の上に戻す。本人曰く、群発性頭痛。一定周期で起こるらしいが、発作の度にこれでは鎮痛系のサイバー・インプラントに頼らざるを得ないのだろう。王の仕事を受けたのも肯ける。

 ヴァラガンは隣で頭痛が治まるのを待つ。それから一、二分が経った頃、二人は賭博場の受付に赴いた。事務作業をしていた係員は二人に気づくと、職業的な笑顔で歓迎する。

「ヴァラガン・ラッキーマン様と、そのお連れ様ですね。どうぞ、こちらへ」

 係員は受付を出て、二人を賭博場に案内する。中は龍灰窟とは思えないほどに豪奢な造りになっており、客は大きなテーブルを囲んで神妙な面持ちでルーレットを見守る者や、古典的なトランプによる賭けを楽しむ者など多種多様だった。

 龍灰窟では外部の法律の一切が適用されない。魔窟と言っても差し支えないだろう。違法賭博に薬物、強盗、殺人、その他諸々の犯罪が放任されている。そんな中、記憶の転写と再解釈の仕事だけは一人の男の管理下に行われていた。その男こそが、龍灰窟を牛耳る存在。

「こちらで老板がお待ちです」

 二人の前には仰々しくその存在を誇示する、龍の意匠が施された両開き戸が姿を現す。

「龍どもの溜まり場か」

 ヴァラガンは半ば呆れながらも、係員に案内されるままに部屋の中に入る。それを見て、最奥のソファに座る男の口元がゆっくりと弧を描いた。

「ヴァラガン・ラッキーマン。馬鹿みたいな名前だよな」

「やめてくれ、王浩然ワンハオラン。あんたが付けた名前だろ」

 ソファにふんぞりかえった王はヴァラガンを鼻で笑うと、二人を向かいのソファに座るように促した。部屋は龍の彫像はもちろんのこと、工芸品の壺やら調度品などの派手な装飾に覆われており、目が痛かった。二人は向かいの小さなソファに腰をおろし、年季の入ったウッドテーブルを挟んで龍灰窟の主と相対する。

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