La Moustache Bleue ~青髭~

平中なごん

Ⅰ 聖女の死

 聖暦1580年初頭、遥か海の向こうに未知の大陸〝新天地〟を発見したエルドラニア帝国は、この新たなる大地の植民地化を進め、世界最大の版図を誇る大帝国へと成長を遂げていた……。


 だが、そんなエルドラニアに対して脅威を感じる敵国アングラントやフランクルは、私掠船(※公式に海賊行為を認められた船)によるエルドラニアの海上輸送妨害に着手。また、新天地のエルドラニア人社会から弾き出された他国の移民達の中には、生きるために海賊となる者も少なくはなかった。


 エルドラニアの新天地における最初の植民地・エルドラーニャ島の北に浮かぶトリニティーガー島……この小島は現在、そうした海賊達の根城となっており、堅固な要塞化もなされているため、各国の艦隊も手が出せない悪の巣窟だ。


 その悪名高きトリニティーガーの中にあって、最も背徳的で悪徳に満ちた海賊といえば、やはりジルドレア・サッチャーをおいて他にはいないであろう。


 ジルドレアは島でも有力な船長の一人であり、青く濃い髭剃り跡の残るその顔から、ついた仇名はずばり〝青髭〟。 


 歳は30代半ば。黒髪をオカッパ頭にしたフランクル人であるが、その血筋は少々複雑であったりなんかもする。


 彼の故郷フランクル王国アルビターニュ地方は、古来、海を隔てたアングラント王国の原住民アルビトン人と同じ民族の住まう土地であり、また、かつてアングラント領であった際に婚姻関係なども進んだため、フランクルとアングラント、長年敵対してきた二つの国に起源を持つ小領主──つまりは騎士の家にジルドレアは生まれた。


 特に彼の家はバリバリの軍人家系であり、ゆえに海賊になった今でも銀に輝くカラビニエールアーマー(※銃弾にも耐えるよう鉄板を厚くした反面、重量軽減のため胴体部だけを覆う鎧)をお勤め・・・の際に着用していたりもするのだが、その一族は祖父の代よりあまり評判がよろしくはない。


「──ジルドレア、世の中、騙したもん勝ちじゃ。そなたもよーく憶えておけ」


「はい。おじいさま!」


 ジルドレアの祖父ポールからして裏切り・謀略当たり前の、非道徳的な行動の目立つ問題ある騎士だったのだが、そんなお爺さんに育てられた彼もまた、その褒められたものではない性格を受け継いだ。


 が、軍人としては優秀で、フランクル軍内でもめきめきと頭角を表していったある日のこと。彼の故郷アルビターニュで宗教戦争が勃発した。


 神聖イスカンドリア帝国ザックシェン選王侯領の司祭マルティアン・ルザールが始めた宗教改革運動は、瞬く間にエウロパ全土へと拡り、既存の預言皇を頂点とするプロフェシア教会──レジティマム(正統派)に対して、「聖典の教えに立ち帰れ」と主張するビーブリスト(聖典派)は政権に不満を持つ農民ら庶民層と政治的に繋がり、各地で反乱を起こすことも少なくはなかった。


 ここ、フランクル王国においても〝エジュノー〟と呼ばれるビーブリストの一派が、やはり農民達を巻き込んでアルビターニュ地方で蜂起。当然、その鎮圧に騎士であるジルドレアも参戦することとなったのである。


 そして、図らずもこの戦場で、彼は運命の出逢いを果たすこととなる……。


「──誰だい、あの小娘は? どう見ても騎士には思えないんだけど……」


 騎乗での進軍中、うら若き乙女ながらもしろがねの甲冑を身に纏い、馬に跨って兵達の先頭を行く少女を見かけたジルドレアは、怪訝な顔で傍らの同僚に尋ねた。


「ああ、あれは近隣の村のジューヌっていう農民の娘だ。敬虔なレジティマム信者で、なんでも神の声が聞こえる聖女さまらしい……おまなけに名前まで〝オンドリャンの聖女〟と同じときた」


 彼の質問に、美しいブロンドの髪を風になびかせ、碧い瞳に強い意志を秘めたその少女を同僚の騎士はそう称する。


 アルビターニュの農民は、なにも全員がビーブリストというわけではない。同じくらいに熱烈なレジティマム信者も存在しており、相容れないビーブリストを排斥するため、民兵を組織して鎮圧軍に参加する者もいるのだ。


 そのジューヌという少女も、そんな信徒の一人だった……。


 しかし、ジューヌが他の者達と違ったのは、彼女が〝神の姿を霊視〟し、〝神の声が聞こえる〟ということだった。


 ある日、日課の祈りを捧げている最中に


「異端であるビーブリストに鉄槌を与えよ…」


 との神のお告げを授かり、彼女は幼いながらも民兵に志願したのだという。


 その上、やはり神の声を聞くことができ、かつて、フランクルの領土をアングラントより奪い返した救国の英雄、〝オンドリャンの聖女〟こと聖女ジューヌとも偶然、同名である。


 いや、本当に彼女が神を声を聞いたのか? それとも、単に同じ名の聖女を意識したための幻聴であったのか? それはわからない……。


 だが、レジティマム派の民兵達は彼女の出現に狂気乱舞した。


 本来、レジティマムの教えによれば「神の声を預かれるのは預言皇のみ」とされており、それからするとジューヌの言動は明らかに異端の主張であるはずなのだが、やはり救国の英雄と重なる彼女の出現は、熱烈的な歓迎を以って兵達に受け入れられた。


 そして、民兵ばかりか全軍の士気を高めた彼女は一躍、鎮圧軍のアイドルへと祭り上げられ、〝オンドリャンの聖女〟同様の象徴的存在となったのである。


「聖女さまねえ……ま、ただの気のふれた娘っ子ってとこだろうね……」


 はじめ、現実主義で悪徳に満ちた人間へと成長していたジルドレアは、ジューヌのことを完全に眉唾モノと思っていた。


「──真なる神の戦士達よ! わたしに続けぇーっ!」


 しかし、けして恐れを抱くことなく、細腕にブロードソード(※レイピアよりは幅広の戦場用の剣)を握りしめ、激しく銃弾飛び交う中を果敢に突撃してゆく可憐な乙女の姿に、斜に構えて見ていたジルドレアも次第に心惹かれていった。


 いやむしろ、人を疑うことしか知らず、けして他人を信じることのなかったジルドレアにとって、純真無垢に神を信じている彼女の姿は、キラキラと眩ゆいまでに光を放つ、なんとも美しいものに映ったのかもしれない……。


「ジューヌ、君は下がるんだ! ここは僕らが引き受けるよ!」


「ありがとうございます、ジルドレア卿! ですが、銃弾の雨などわたくしは恐れませんわ!」


 それまでの彼とは異なり、ジルドレアは己が利益のためではなく、粉骨砕身、彼女のためだけに身を粉にして戦った。


 ところが、一種、純愛にも似た、あるいは騎士道的な愛とも呼ぶべき彼のこの想いは、突然、無慈悲なまでに打ち砕かれることとなる……しかも、あまりにも壮絶的な終わり方で。


「──このジューヌなる者はーっ! 教会腐敗の象徴たる預言皇同様ーっ! 神の声が聞こえるなどと虚言を弄しーっ! 我らが真実なる神を冒涜したーっ!」


 エジュノー軍の立て籠った古城の高い城壁の上、柱に縛り付けられたジューヌの傍らで、敵の指導者が眼下の鎮圧軍相手に高らかに演説をつ。


 乱戦の中、不運にもジューヌは敵の手に落ちたのだ。


「よってーっ! 異端の魔女である罪によりーっ! この大罪人を火刑に処すーっ!」


 そして、鎮圧軍に心理的打撃を与えるべく、彼らの象徴的存在であった彼女──聖女ジューヌを、そのまま衆目の見守る中で火炙りにしたのである。


「皆さん! 恐れることはありません! 神は我らとともにあります! たとえ死しても、正義をまっとうした者は神の御許へ召されるのです! さあ、皆で神に祈りましょう!」 


 だが、それでもなお、ジューヌは敵を恐れなかった……どこまでも神を信じ、灼熱の炎の中で泣き叫ぶことも、また苦痛にもがき狼狽うろたえることもなく、潔く自らの信念に殉じて天に昇っていった……。


 それは、あたかも〝はじまりの預言者〟、開祖イェホシア・ガリールの磔刑を思わすものであり、処刑というよりは教会の祭礼を見るかの如くであった。


「ああ、我が愛しきジューヌ……」


 堅牢な城壁の下に群れなす兵士の一人として、そんな彼女の最期をジルドレアも目の当たりにした。


 無論、尊崇と恋慕の情を抱く彼女の処刑は、他の兵士達同様、ジルドレアにとっても大きなショックだった……しかし、それとともに彼女の死は、むしろ神々しさを感じるほどに大変美しいものでもあった。


 赤々と燃える炎に焼かれ、青空に立ち昇る煙とともに天へと召されゆく聖女……相反する二つの感情を想起させる、この信仰にも近き尊き対象の喪失は、ジルドレアの中に何かを芽生えさせた。


「……そうだ。ジューヌは最も美しい姿のまま天へ召されたんだ……彼女は〝少女〟という汚れなき完全な人間として、幸福にもその生を終えることができたんだ……」


 突然の、そして残酷な少女の死を受け入れるために、「むしろその早すぎる死によって、彼女は最も美しい姿のまま生涯を全うできたのだ…」とジルドレアは解釈することにした。


 いや、さらにその逆説的な理論を昇華させ、〝未成熟の汚なき少年・少女こそが最も優れた人間の姿である〟という、なんとも歪で極端な思想へと至ったのである。


 その後、けっきょく包囲されたエジュノーは鎮圧軍の猛攻に抗しきれず、ジューヌの死を前に怒り狂った兵達によって、完膚なきまでに蹂躙された。


 同じく無慈悲な虐殺をジルドレアが行ったことは言うまでもない……。

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